2014年5月24日土曜日

司馬遼太郎の【十六の話】にめぐり合って       (「古本」が結ぶ不思議な縁 その2)

実は4月28日、神保町に出て「古本」を6冊1000円で買ってきた中に司馬遼太郎著
【十六の話】(中央公論社)があり、その初っ端のお話が「文学から見た日本歴史」で、それを読んでビックリしたのです。私は格安で買ってくる「古本」で不思議なご縁にめぐり会えるので、そんな話を2011年にある勉強会の記念誌に題名『古本が結ぶ不思議な縁』のエッセイを出稿したのですが、今回も余りにも偶然な巡り会わせに驚き“「古本」が結ぶ不思議な縁 その2”と副題をつけました。
今年(2014年)5月に私は【日本復活私論 PartII】というエッセイを書き上げました。その中の最後の=あとがき=で、昨年大晦日の東京新聞・社説からの次の様な一文を使わせて貰っています。
「日本人と言えば作家の司馬遼太郎さんが1991年、文化功労者に選ばれた時の会見で、『どうして日本人はこんなにばかになったんだろう。昔はちがったろう。ここから僕の小説を書くことが始まった』と言いました。彼によれば江戸時代の武士道からきたストイシズム、江戸の商人たちが到達した合理主義、その二つが明治で合体し、よき明治人を書く事で、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と彼は諭そうとしたのでした。」

ところが司馬遼太郎は1987年3月英国ケンブリッジで開催された「英国日本学研究会」における特別講演に於いてこのような事をすでにスピーチしていたことがこの古本から分かったのです。それではケンブリッジで彼がどのように言ったか、その一部を書き出してみます。
「戦い(太平洋戦争)が終わったとき、当時二十二歳だった私は『なぜこんなにバカなことをする国に生まれたのだろう』と思いました。さらに、こうも思ったのです。『むかしは、例えば明治時代は、あるいは江戸時代は、さらにそれ以前は、こんなバカなことをする国ではなかったに違いない。』そのことを検証することに、半生をついやしました。というわけで、私の原点は1945年にあります。従って作家としての私は、“人間とは何か”を追求するより“日本人とは何か”ということを考えつづけることで、三十年をついやしました。」

私も3・11『東日本大震災』の後、“日本人とは?”を考えさせられ、私なりの自論を書き上げたのが【日本復活私論I そして II】であります。そして私の私論も1945年が起点となっているのです。つまりその年を境に日本人は敗戦コンプレックスからか、欧米文明の真似師に代わってしまい現在に至っているので、(司馬遼太郎氏も言うように)本来の日本人に戻れば必ず日本は復活する、というのが私の考えなのです。

そうそう、最後に6冊1000円で買った古本の他の5冊を書き出しておこう。この5冊からまた不思議なご縁が生まれるかも知れないから。
『漱石の白くない白百合』塚田裕一著(文藝春秋)
『江戸の想像力』田中優子著(筑摩書房)
『大江戸ゴミ戦争』杉本苑子著(文藝春秋)
『世論の嘘 新聞の偽善』永田照海著(新潮社)
『新日本人事情』深田祐介著(講談社)

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