2012年7月26日木曜日

油絵 『チンチン電車』


この絵は今から11年前に描いたもので、私の油絵作品の13作品目にあたりますが、現在は「文京区役所」の4階廊下に展示されています。先日、久々に区役所に立ち寄った際に4階に上がって自分の絵を観て来ました。廊下は照明が無く、薄くらい中に展示されていましたが、これが私を何とも言えない郷愁に誘ったのです。

この絵は「小野誠一郎・彩画集<ザ・ふるさと東京>」の画集の中で一番コミカルに描かれていた絵の模写なのです。“何ともいえない郷愁”に引きずり込まされたのは、私の「ふるさと」も東京なので、ついついこの彩画集を思い出していたのでしょうか。

この画集の最終ページに「四本のエントツ」という作品が載っていますが、これも私には懐かしい想い出があります。東京電力千住火力発電所を尾竹橋から見た絵だそうですが、私が子供の頃、観光バスに乗って遠足に行く時、バスガイドが「今、エントツは何本見えますか?」と質問してくると、「4本!」と答えます。しかし見る角度が違って来ると、バスガイトが、「え! 4本ですか?違うでしょう。何本に見えますか?」ともう一度言ってくるので、見直してみると何と3本になっているではありませんか。この4本のエントツが3本に、そして次に2本に最後は1本になってしまう不思議なエントツとして子供の頃の思い出として焼きついています。
そして、この「四本のエントツ」の絵の下にある詩が私には“たまらない”のです。

2012年7月16日月曜日

林秀彦著『日本を捨てて、日本を知った』に巡り会えて


6月の今にも雨が降りそうな蒸し暑い日だった。読む古本が無くなりそうなので、神保町に買出しに出た。そして3冊で500円の古本屋で購入した内の1冊がこの本である。筆者は売れっ子シナリオ・ライターで、テレビの脚本家として「ただ今11人」「7人の刑事」や「鳴子の海」などで活躍されたが、日本に絶望し、1988年にオーストラリアの山中に逃げ込んで10年目、外から観た日本に就いて書いたエッセイという。第1章「日本人はアングロ・サクソンを知らない」から強烈な日本人批判が始まるのだが、第2章「日本人は愛国心を知らない」の途中あたりから雲行きが変るのである。
彼が強烈な表現で日本人感を述べている前半の部分を纏めると;
『アングロ・サクソンとは、強盗団である。血も涙も無い、好戦的な野蛮人である。押しなべて「白人を見たら泥棒と思え」の認識は正しいのだが、中でもとりわけアングロ・サクソンを見たら人殺しと思ってよい。(略)それは彼らの生存する自然環境が、日本人が想像を絶するほどに苛酷だったからである。(略)南海の孤島の住民ならいざ知らず、ある程度の文化文明を創造しえた民族で、「窮地」を知らずに歴史を歩んだ民族は、日本人以外にない。そんな民族が「ポーカー民族(アメリカ人)」に勝てるわけも無く、世界戦略としての外交的剽悍(ひょうかん)と狡猾(こうかつ)に勝てるわけもない。畢竟(ひっきょう)、経済にも勝てないのである。』
しかし、筆者は映画監督・小津安二郎の映画作品『東京物語』を何度も観るうちに、役者のセリフから【一を聞いて十を知る】、日本語会話の深さに気づかされ、日本人は他の民族と比べ、たぶん二万年くらいよけいに進化した人類で、ガイジンたちはそのことに全く気づいていない、と日本人を褒めちぎっている。
そして文中『本当は、人間はみなかくあらねばならない。世界中の全民族が、日本人を見習わなくてはならない。しかし現実は、まだ違う。ガイジンらは常に血塗られた剣と、ポケットいっぱいのミサイルを誇示している。あと百年ほど先に、日本文明が世界の主流になる日まで、われわれはアチラ様の価値観に合わせなければならないのである』(108ページ)と書かれているのを読んで、小生の書いたエッセイ【日本復活私論】とダブってしまい、もし林氏がハプログループの研究結果「日本民族は特異なD系統」を知っていたらどんな書き方になっていたかと興味津々になって来る。
早速この驚きをオーストラリアの林氏に伝えようとメールを打電したが、住所不明でメールは届かない。インターネット検索で調べると、彼は2005年に帰国され2010年11月福岡県久留米市にて満76歳でお亡くなりになっておりました。 合掌