2011年12月14日水曜日

最高にあつい本『夜明け前』

昨夜、やっとの事で島崎藤村『夜明け前』を読み上げた。読み始めたのが今年の6月初めであったから半年掛った事になる。勿論この本だけを読み続けたわけでなく並行して10数冊別の本も読んでいたのだが。しかし私に取っては生涯で最もあつい小説本で、本の厚さは5cmで中の活字が細かく1ページ2段書きだから活字密度は高いので、今思うとよく読みきったものだと我ながら感心した。

先日ある異業種勉強会の35周年記念誌にエッセイ『古本が結ぶ不思議な縁』を寄稿したが、実はこの本も古本が結んだ縁で読み始めたのである。今年3月に神保町で古本『梅と雪(水戸の天狗党)』(杉田幸三著)を購入し読み始めたが、天狗党が常陸国・那珂湊から京都に向けて行進中、信濃国・諏訪に出てきて、三州街道を天竜川に沿って南に下り飯田から馬籠に向かう。この辺は小説『夜明け前』に詳しいと書かれていたので、早速インターネットで検索して、中央公論社の日本の文学『夜明け前』の古本をゲットした。(写真参照)

いざ本を手にして、その厚さ、活字の細かさには尻込みさせられたが、読み始めるとこれが面白い。ストーリーは馬籠宿の「本陣」である青山家の3代に渡って書かれているが、1代目は江戸時代の中期、参勤交代が盛んに行われていた時代の名誉ある本陣職であったが、2代目になると江戸末期、幕府の勢力も弱体化する中、参勤交代の形骸化が進み、黒船来襲と海外からの圧力も加わり、遂には3代目の時、明治維新により本陣の廃止となりお家が滅亡してゆく姿を描いている。あの山奥の馬籠宿でも、京都やそして江戸でのニュースが結構早いスピードで入り込み、この物語の中心人物2代目である青山半蔵の青春時代、江戸や京都に度々出掛けては情報を収集していた姿に感心させられた。この小説を読み上げて、何か今現在日本が直面している「先の見えない日本」に居る自分には、明治維新の中で平田篤胤の国学門下に走った半蔵の気持ちがよく分かるのだ。

2011年11月23日水曜日

紅葉を求めて外秩父ハイキング

今年の紅葉は10月に入って朝晩の冷え込みが無く、いまひとつ冴えないという。しかしすっきりと爽やかに晴れ渡った空を眺めるとジットしてはいられない。
早速、東松山に住んでいる友人に「紅葉をみながら歩きませんか」と誘いを掛けて外秩父の山で適当なコース選んでもらった。



















毎年4月に【外秩父七峰縦走ハイキング大会】が開かれるそうだが(上図参照)、今回はそのコースの半分「白石車庫~白石峠~剣が峰~堂平山~七重峠~笠山・西峰/東峰~萩平~皆谷」をハイクするそうだ。全長がおよそ10kmだそうで、私には丁度よい距離だ。実はこの縦走コースの半分「寄居駅~登谷山~大霧山~白石車庫」コースを昨年4月にやはり友人のアレンジで歩いている。今回はもう一人友人を誘って3人でのウォーキングである。
11月21日(月)朝からすばらしく晴れ渡り山を歩くには最高の日和だ。東武東上線で小川町下車、そこから30分ほどバスに揺られて「白石車庫」で下車、そこから「白石峠」を目指してチョット急な登りが続く。白石峠から更にひと登りすると「剣が峰」に出る。そこから20分ほどで本日の目的地「堂平山」山頂(876m)に到着、360度全開の景色に包まれる。遠く彼方に「スカイツリー」が小さく見えた。そして顔を右に旋回、遠く新宿の高層ビル群が薄っすらと見えている。更に右へ顔を移動すると、ほんのチット頭を出した「富士山」が見え、更に右に向くと秩父連山の先に「浅間山」がクッキリと見えてくる。更に「浅間隠山」から「榛名山」、「赤城山」、そして日光「男体山」とぐるり一周360度視界が開けているのだ。こんな場所は関東地方では他に無いのではなかろうか。興奮とため息が続く。
次の「笠山」(837m)で昼食を摂り、2時には「萩平」の村落に下りて一休憩、そこでやっと紅葉らしく彩られた山を眺めることが出来た。確かに今年の紅葉は例年に比べて少し色付きが悪いようだ。「皆谷」からバスで「小川町」に出て、駅前のレストランで生ビールで乾杯、3時過ぎの電車に乗り我家には5時前に到着、何とも充実した一日でした。

2011年10月10日月曜日

『日本スリーデーマーチ』と驚きの写真

『日本スリーデーマーチ』は今年も11月4~6日の3日間、埼玉県・東松山市で開催される。私はここ数年毎回1日だけ参加しているが、馬鹿でかい規模のウォーキング・イベントである。今年はその第34回目だそうだが、多分日本では最大のイベントではなかろうか。日本各地から、そして世界からウォーカーが集まってきて毎年8万人を越えるそうである。関東平野の北に位置する東松山市は武蔵野の自然を残しており、東に田園風景が広がり、西には秩父の山々が連なっている。そのすばらしい地形の中で、3日間連続して歩けるよう3つのコースが用意されている。①和紙の里・武蔵嵐山ルート、②吉見百穴・森林公園ルート、そして③都幾川・千年谷公園ルートの3種で、私は今年も②ルートを歩く予定だ。それぞれのルートに50km、30km、20km、10km、そして5kmと自分の脚力に合わせて距離を選べる様になっているので、参加者が大勢になる理由かもしれない。私は毎回20kmに挑戦しているが、今年も20kmコースを歩く予定だ。

ところで、驚いた事に今年の『日本スリーデーマーチ』にインターネットから参加申込みする用紙上の写真(上の写真)に私達のグループが写っているではありませんか。上の写真は一番上の申込用紙上の写真の中央部を拡大したもので、上の写真の左端に写っているのが私です。そして上の写真に写っている6人全員がすべて我々の仲間だったのです。何と言う偶然でしょう。これは昨年のイベントの時の写真ですが、昨年のイベントで最初のチェックポイントの所で私が仲間5人を撮った写真を下に添えますので、その服装から間違いなく上の写真は我ら仲間であることが確認できますよね。
ことしも11月5日、数人の仲間と吉見百穴や森林公園を歩いて楽しんで参ります。

2011年9月30日金曜日

文京区役所にて油絵作品『白馬三山』展示


文京区役所の4階、エレベータを降りた前の廊下を利用して、区内の高齢者の作品が展示されております。今回私は油絵『白馬三山』(サイズ:F4)を出展致しました。これは今年3月に描き上げたのですが、この絵は手前が白馬村で、その先にスキーのゲレンデが拡がり、更にその先には「白馬三山」が屏風のように聳え立っています。左に尖がっているのが「鑓ケ岳」、真ん中の杓子形が「杓子岳」、その右側に「白馬岳」。
私は今から4年前(2007年)の8月、塩の道の最終章(信濃大町から糸魚川市まで)を一人行脚しておりまして、丁度この付近を通過したのですが、夏もそして冬も、どちらもすばらしい眺めです。油絵とほぼ同じ方向からの夏の姿は下の写真です。


この展示会は12月末まで開催されておりますので、 文京区役所の近くをお通りの際には是非4階にお立寄り頂ければ幸甚に存じます。

2011年9月16日金曜日

面白いよ! 新しい教科書

3・11東日本大震災の後、被災地の日本人が冷静沈着な行動を取っていたことが外国人の高い評価を得たと言ったニュースがテレビや新聞で報道され、私を嬉しい気持ちにさせてくれた。そんな矢先にある雑誌の中で「教科書問題研究会」による『自虐、反日度を深める歴史・公民教科書』という記事に出会った。その見出しにはこう書かれていた。
「教育基本法改正も全く無視。歴史教科書では、わが国の歴史を貶める自虐史観がますます深化し、公民教科書には国家解体思想が蔓延した」とビックリした内容である。こんな教育を受けてきた我ら日本人と上述の外国人の日本人への高い評価がどうしても結びつかない。
この記事は、10数年前に創られた「新しい歴史教科書をつくる会」側から、従前どおりの内容で作っている「教科書出版軍団」に対する批判であるが、私は丁度2年前にエッセイ『歴史って真実なの』を書いたが、その中で「新しい歴史教科書をつくる会」の会長であった西尾幹二氏の発刊した『国民の歴史』に対して意見していたので、この教科書論争にはチョットばかり関心があるのだ。この教科書問題に関しては、ブログ上で語れるような単純な問題でも無いので、別途またエッセイにでも纏めてみたいと考えている。
ここで報告したいのは、今年5月に市販された中学生用『新しい歴史教科書』(自由社 1260円)を読んでみたが、実に面白い内容なのだ。(表紙は上写真参照)
とにかく自分が中学生の時に学んだ内容とは違うのだ。とにかく面白い!次から次へと読んでいってしまう。ご興味あれば是非一度書店で買って読んでみて頂ければと思う。

2011年8月16日火曜日

NPO【楽しいひととき出前どころ】のご紹介

友人 室尾武久氏が2年ほど前にNPO【楽しいひととき出前どころ】をスタートされました。室尾氏と私の接点は早稲田大学名誉教授であられる田中由多加先生を中心に35年前にスタートした異業種勉強会「セールス・フォース・マネージメント研究会」での出逢いでございました。当時室尾氏は「企業内教育」の指導者として活躍されておられましたが、趣味で挑戦されていた「手品」も玄人肌で忘年会や新年会などの際には出し物として人々を楽しませておられました。
室尾氏が現役仕事から離れられた時、自分の好きな「手品」を是非とも人様に楽しんでもらおうと、同じように定年を迎えた人で自分の趣味を生かして皆さんに楽しんで貰う趣旨に賛同された仲間が集まり2年ほど前に特定非営利活動法人(NPO)【楽しいひととき出前どころ】を発足されたのです。私も5年前に地元の老人会の会長をお引き受けしまして、3ヶ月に一回開催される「お誕生日会」に何か面白い出し物をアレンジしたら会員の皆さんに喜んで貰えると思い、室尾氏にその旨相談し、2年前から、腹話術、マジック、朗読、二胡演奏、ノコギリ演奏、そして落語などの出し物をアレンジして賑やかなお誕生日会になり皆さんに大変に喜んでもらっております。これからの予定では、9月誕生日会にはパントマイム、そして11月誕生日会では落語が予定されております。 他にイベンターとして、太極拳、日本舞踊、能、フラダンス、歌手など沢山のタレントが集まっておられます。

私は室尾氏のこのNPO発足の趣旨に賛同し、そしてこのアイデアが幅広く世間で認められ、沢山の人々に喜びを提供して行ければと、応援団長をやらせて頂いております。
このブログをお読みの皆様も「会社の記念行事」とか「地域組織の集客イベント(商店街イベントやお祭りなど)」、あるいは「学校や幼稚園でのイベント」などなど、キットいろいろな形で各種イベントに携わることもお有りかと存じますが、その際にはこの団体を思い出して頂きまして、是非「出前先」のご紹介を頂けますれば大変にありがたく存じます。
“お問い合わせ”は上のパンフレットに記載された電話番号まで連絡をくださいませ。
この5月13日にイベンターが一堂に会して「中目黒GTプラザホール」に於いて大勢の方をお迎えして「チャリティー公演」を行い大成功に終りました。その時の最後に応援団を代表しまして私より一言御礼のご挨拶をさせて頂きました。本当にありがとうございました。そして、今後ともこの【楽しいひととき出前どころ】をお引き立ての上、よろしくお願い申し上げます。

2011年8月5日金曜日

油絵作品【ねこ様】完成!

私は「ねこ」と「いぬ」のどちらが好きですか?と聞かれると、即座に「いぬ」と返事します。その理由は、「いぬ」は俊敏で賢く、「ねこ」はのろまに見えるからなのです。
私が中学生のころ雑種の柴犬「ピケ」を我家で飼っていたのですが、当時は庭に犬小屋を置き殆ど放し飼い状態でした。当時は区役所が「犬狩り」と称して、路上で放し飼いの犬たちを捕まえて東大病院の裏手にある檻に運んでいました。捕まった犬は、ある期間に引き取り手が無ければ、医学上での実験に使われ殺されてしまうのです。 そんな訳で私達はその「犬狩り」の人たちを「犬殺し」と言って恐れていました。「ピケ」も何度かその「犬殺し」に捕まって、慌てて母と東大病院の裏に引き取りに行ったものです。檻に近づいて「ピケ~~!」と叫ぶと一目散に檻の出口に来て「キャンキャン」と真剣な顔をして吼えていた「ピケ」が忘れられません。

しかしそんな時代、私は「ねこ」に対しては悪いことばかりしていました。特に夜中に盛りの付いた「ねこ」同士があたかも赤子が泣くような声をあげていると、「ぱちんこ」(Yの字の形をした枝にゴムを結わい付けて遠くに物を飛ばす玩具)を使って「かんしゃく玉」を飛ばして、大嫌いなあの泣き声をとめていたものでした。
しかし子供の頃そんな悪事を「ねこ」に与えていたことを深く反省致しまして、そのお詫びの印に、心を込めて「ねこ」の油絵を描こうと決めました。カレンダーからかわいい子猫の写真を模写し、ファッション雑誌に載っていた女性の姿の鼻から下の部分を描き加え、窓を付け、その外には私の駐在地「シンガポール」の風景を描き込んだ創作画を完成しました。そして題名を【ねこ様】と付けさせて頂きました。これで「ねこ様」からの祟りが無いことを祈ります。(サイズF8)

2011年7月16日土曜日

我家で誕生ブルーベリー

今日は7月16日、小生の○○歳になった誕生日である。まだまだ日本男子の平均寿命までには十数年残されているのだから焦ることも無かろう。日本列島をすっぽり太平洋高気圧が覆いかぶさり、灼熱の日々が続いている。そんな中、この春から世話を始めた鉢植えのブルーベリーに毎朝大量の水をやっている。ブルーベリーは凄いスピードで大量の水を吸い込む。
6月半ばに、甘い実を狙って来る蜂などの虫を避けるために、そして強烈な太陽光の直射を避けるために、ブルーベリーを覆うネットを作ってやった。この効果満点(?)で実はすくすくと成長し、遂にこの誕生日に20個の初収穫があったのだ。今ワイフがその20個を洗浄し冷蔵庫に入れて冷やしている。午後息子夫婦が孫を連れて我家に来た時に皆でその粒を頂くことになっている。さてさて、そのお味は?
まだ数百個の実を付けているが、これらが一挙に大きく実って収穫が出来るといは思えず、従ってジャムが作れるかは、はなはだクエスチョンである。それでも都会の家屋の軒間で着々と実をつけてくれたブルーベリーが愛らしい。

2011年7月10日日曜日

第8回 『文京を歩くかい』日程・行程が決まる!

毎日、お暑うございますが、如何お過ごしでしょうか。
さて毎年恒例の【文京を歩くかい】の今年バージョンが決まりましたのでご連絡致します。
今回は「文京区内」に戻って、細い路地をくまなく歩きます。日時、コース、テーマなど詳細を下記しますので、昨年同様に奮ってご参加ください。

   ===記===
【日時】 2011年9月10日(土)10:00AM~   
【テーマ】司馬遼太郎の「本郷界隈」を歩き、国立科学博物館にて『菌類』を学ぼう!
【集合地と集合時間】
           ●10:00 JR飯田橋駅東口(水道橋側)出た所
  (午後参加組)●14:00 地下鉄丸の内線「本郷三丁目」出た所
  (菌類勉強組)●15:30 上野・国立科学博物館前
【費用】昼食は途中にて各自コンビニにて購入頂きます。    
    国立科学博物館 入場料 600円
【懇親会】 18:00~20:00 上野駅付近 (場所現在選択中)
       打上パーティ代 約4000円(飲み放題)    
【コースの概要】本郷台地の21の坂道、そして10の神社仏閣を歩き巡ります。
そして最後に上野の山の「国立科学博物館」を訪れ、涼しい中で西森講師(【第3回文京歩くかい】にて「生命誕生」の解説を頂いた方)による【菌類】に関しての解説を受けます。その後は恒例の上野にて楽しい楽しい!打ち上げパーティです。
<行程> 飯田橋―後楽園―牛天神―萩の舎跡―伝通院―澤蔵司稲荷―樋口一葉終焉の地―福山坂―大円寺―やっちゃ場跡―蓮光寺―高林寺―夏目漱石旧居―根津権現-藪下通り―鴎外記念館―藍染川―弥生式土器遺跡―朱舜水終焉の地―本郷追分―本郷館(森川町)-東大・安田講堂―三四郎池―かねやす(本郷三丁目)-蓋平館―樋口一葉旧居―鐙坂―常盤会跡―炭団坂―忠弥坂―給水公苑―麟祥院(春日局)-湯島天神―岩崎邸―不忍池―科学博物館

司馬遼太郎「街道をゆく」の第三十七が「本郷界隈」です。今回はその中に出てくる名所を完璧に歩きます。本郷台地は武蔵野台地の東端にあたる台地で縄文時代では海に面した一等地だったようです。徳川家康が浅瀬を埋め立て運河を作り、上水道を完備させたその痕跡を訪ねて歩きます。そして後半は国立科学博物館にて森を綺麗に掃除してくれている大事な【菌類】そして【変形菌】に就いて西森講師より解説を頂きます。ジックリと勉強させて頂きましょう。

参加お申込みはメールで: miyaha@kazum.net

2011年7月6日水曜日

池之端、梅雨明け宣言

7月6日の爽やかな朝を迎えた。昨日の朝も青空だったので、不忍池を目指して朝の散歩に出たのだが、その時一つだけ咲いた大きな蓮の花が私を出迎えてくれたが、カメラを持ってくればよかった、と反省したので今朝はカメラを持って不忍池に向ったのである。

我が家の前の言問通りを東に歩き唐橋を抜けて東大と農大の間を通過し、「暗闇坂」を下ると、もうそこが池之端である。それから不忍池を一周するのだが、池越しに見る上野・御徒町方面の背丈の定まらぬビル群の姿は、何ともゴチャゴチャした上野界隈を象徴しているようだ。 早朝の池に太陽光線が反射してまぶしい。空にはカモメが群れ成して乱舞しながらギャアギャアと囀っていて煩い。あまりの天気の良さに鳥たちも興奮しているみたい。ちょっと木陰に入ると涼しい。木陰で咲いているアジサイの青色がまだ鮮やかさを残している。昨日朝見た蓮の花の所に辿りついたが、その花が見当たらない。よくよく見れば花は完全に散り落ちていた。ひょっとすれば昨日の朝が絶頂の最後だったのかもしれない。余りにも美しかった姿が今でも目に焼きついている。 しばらく歩くとポツンと咲いた蓮の花が現れる。昨日の花より一回り小さいが、これまた廻りの緑の葉をバックに映えている。もう暫くするとこの池一面に蓮の花が咲き誇り大勢の人が集まってくるのだろう。日当たりに出ると強烈な太陽光線が肌を刺し、丁度その時に池の脇の木々からニイニイぜみの鳴き声がした。今年初めて蝉を聞いたことになる。もうこの池之端界隈は梅雨が明けて夏の到来を告げているようだった。

2011年6月27日月曜日

梅雨空に花開く「アガパンサス」

我家の前に毎年梅雨の時期に薄紫の花を咲かせる「アガパンサス」があります。6月に入ると、突然ニュ~ット茎が伸びてきて、その茎の先端には蕾を付けています。その茎の成長スピードがとても速く、一夜にして5cmは伸びているのでは?毎朝新聞を取りに玄関先に来て、このアガパンサスを見るのを楽しみにしています。ある朝に真っ先に1本の茎がニュ~ット出ると、それからは毎日のように1本、2本と新しい茎が現れて来て嬉しくなります。茎の丈が50cm程に伸びると、それから茎の先端の蕾が次第に大きくなり、遂に表面の皮が裂けて中から薄紫の細身の花が四方に向って顔を現すのです。そして20本程のアガパンサスが一斉に咲き誇るのが6月末。梅雨のどんよりとした曇り空でも満開のアガパンサスは周りを賑やかにしてくれます。この時が来るといつも「お盆が近づいた」と感じるのです。

このアガパンサスは母が生前に世話していたのですが、その当時はその花の存在すら知りませんでした。母が他界して暫くして母が世話していた植木類やフラワーポットが雑草に覆われ惨めな姿に変ってしまいました。よし私が整理整頓しようと植木鉢の中をほじくり、出てきた同じような球根や根茎をそれぞれに纏めて新しいフラワーポットに植えました。その結果、毎年四季折々の花を楽しんでおります。

ところでアガパンサスは不思議な花です。原産地は「南アフリカ」だそうで園芸品目としては300種以上も有るそうです。ある程度の過酷な生育環境でも育つようで、都心の道路脇でも時々見かけることがあります。しかしこの花の呼び名は複数あり、「アガパンツス」、「アバカンサス」、そして和名は「ムラサキクンシラン」(紫君子蘭)。英名で「Agapanthus」と書くのでアガパンサスが正しいようですが、何故アバカンサスとなったかは不思議です。しかしインターネットで【アバカンサス】を検索してもアガパンサスと同じ花が出てきます。ムラサキクンシランは紫色の花で姿が君子蘭に似ているから付いた名前だそうで、アガパンサスは「ユリ科」、君子蘭は「ヒガンバナ科」で全く異種だそうです。

アガパンサスの花が終る頃、次にあの暑い暑い夏の日が来て、それから「お盆」を迎えます。

2011年6月7日火曜日

東大 想い出みち

緑のトンネルは想い出の道
少年は正門の門番が怖くて遠回り
レンガ塀をよじ登って収穫物を運んだ

この想い出の道は四季めぐり
春、新緑の三四郎池でザリガニ獲り
夏、鬱蒼と茂った木々の中で虫を追う
秋、真黄色のイチョウの下で臭い実を集めた
冬、この想い出みちにおもいでが無い

今はこの道に子供がいないのは何故だろう
今でもここは四季めぐりを守ってくれているのに
ヤゴ、小エビ、ゲンゴロウ、クチボソが居ないのか
おにやんま、クワガタ、カミキリ、タマムシが居ないのか

あの時イチョウの木々は僕たちの行動を見守っていた
私はこの真っ直ぐに伸びた道で沢山の事が想い出せる
私は今でもこの道が好きだ

2011年5月24日火曜日

『こころの時代の到来』を語る!

2011年5月16日(月)、早稲田大学『セールス・フォース・マネージメント研究会』にて『こころの時代の到来か!』というテーマでスピーチする機会を頂きました。
7年ほど前からスピーチの機会を頂くと、テーマの副題として【21世紀はこころの時代】に関して話しをさせて頂いて来ておりました。この話の骨子は「欧米文化は遂に行き詰まってしまった。日本は明治以降、欧米に追いつこう、追い越そうと躍起となり、「便利」や「楽」を追い求めてきてしまい、欧米同様に行き詰まってしまった。そもそも日本人は『森の民』であり、日本の文化は『八百万の神信仰』の下で自然との共存を大事にしてきた。つまり21世紀ではもう欧米文化の模倣は止めにして、本来の日本人気質を主流とした“こころ”の時代を取り戻して行こう」という主張です。
今回のスピーチでは、「一体こころとは何か?」という疑問からお話を進め、「脳」と「こころ」とを対比して話を致しました。そしてインターネット時代に突入した昨今、私達を包んでいる環境がガラリと変わっているのであり、つまり「物理空間」重視の時代から「情報空間」重視への変革の真っ最中にあり、これまでの【親分子分型社会】(中央集権型)からインターネット世界の中で【寄り合い型社会】(権限分散型)に変っているという私の考えを述べさせて頂きました。
この辺のスピーチ内容の詳細については別途纏めまして近い内に私のホームページ上の<スピーチ>欄にて報告したいと思っております。

尚、今回のスピーチの情景は【セールス・フォース・マネージメント研究会】のブログ上でも紹介されておりますのでご覧ください。

http://angel.ap.teacup.com/wasedasfm/19.html

2011年5月4日水曜日

芝桜と琴平巡礼道

5月3日、GWの真っ只中友人と秩父の「琴平丘陵」に里山ハイキングに行ってまいりました。天気予報では晴となっておりましたが中国大陸からの「黄砂」の影響でどんよりとした曇り空でした。行程は秩父市観光課が推薦する【琴平コース】で、秩父駅から「羊山公園」の「芝桜」を鑑賞し、それから琴平丘陵に出て秩父札所めぐりの巡礼道を26番円融寺・奥の院「岩井堂」を目指します。薄赤色の山つつじと色鮮やかな新緑に包まれた山道は天国のようです。途中、岩の前に突然現れる「鉄階段」、それを昇ると岩の上に張り付くように建てられた祠、それは「秩父修験道」と言われ心の邪気を取り除く修行の場所だそうです。さらに進むと山道の真ん中に「大仏坐像」が現れます。そこからは急斜面になっていてステッキを突きつき下りますと、大きな岩の陰に京都の清水寺を模して江戸中期に建てられた「岩井堂」が忽然と姿を現します。どうして江戸の時代にこんな山奥にこんなお堂を造ることが出来たのかと不思議になって岩肌に張り付いた柱の基礎の部分を覗き込んでいました。ここから峰伝いに上っては下りてを繰り返すと「護国観音」に出ます。ここからの秩父盆地を見下ろす眺望はスバラシイ。ここで昼食をとりました。観音様の足元にあるベンチに座って、我々以外に誰も居ない静寂の中で絶景を前に摂る食事は、これまた天国のようでした。この護国観音の真下に札所27番「大渕寺」があります。大渕寺から武甲山の縁に沿って更に南下すると札所28番「橋立堂」に辿りつきます。ここにある「鍾乳洞」に入りますと中は冷蔵庫の中のようでした。武甲山が石灰で作られた山であるが為にセメント会社に側面を削りに削らされ、見るも無様な悲しい姿をむき出しています。そこから秩父鉄道「浦山口」駅へ出たのですが、その駅の側にある「不動名水」は大変に美味しかった~ぁ!石灰層のお陰でそこを通過して来たこの湧き水にはミネラル成分が豊富だと言われています。空になったペットボトルにこの名水を入れて持ち帰りましたが、何か大いに得した気分になりました。
今日は朝9時10分ころから歩き出し、「浦山口」から電車に乗ったのが午後2時ですから、今回の行程は大変に変化に富んだ山道でもあり、“日帰りウォーキング”としては理想的なコースだったと思います。

2011年4月2日土曜日

春を捕まえました


4月1日 あまりの天気の良さにジットしておられず、ワイフを誘って一緒に歩こうと自宅を飛び出して「六義園」までのウォ―キング。3・11の東日本大震災のせいか、今年の桜もあまりの恐ろしさに固い実のまま開こうとしない。我が家の前にも大きなコヒガン桜の老木があるのだが、まだ一輪も開花していない。20分も歩くと「六義園」に到着。入口に近づくとガードマンが「おはようございます」と元気よく挨拶を投げかけた。いつもなら居ないはずのガードマンが居る事に疑問を抱きながら入口を入ってすぐに気が付いた。目の前に大きな「しだれ桜」がほぼ満開で私達を出迎えてくれていたのだ。「六義園」ではこの「しだれ桜」が大変に有名でシーズンにはハトバス観光のルートになって多くの人が訪ねて来ることは知っていたが、まさに今がそのシーズンであったのかと知らされ、その偶然のタイミングの良さに驚かされたのだ。このしだれ桜はコヒガン桜の亜流でコヒガンより早めに咲くのが特徴と言う。

この「六義園」は江戸時代・5代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主の「柳沢吉保」が築園した大名庭園だそうで、東京のど真ん中にしっかりとした回遊式庭園の姿を残しており、園路を歩きながら四季の移り変わりを充分に味合うことが出来る。入口から直にくぐる「大門」越に観るこの「しだれ桜」の姿もこれまた格別の味わいである。

2011年3月30日水曜日

「春うらら落語会」が日本橋にて開催

この度の東日本大震災により被害にあわれた皆様にたいして心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々と遺族の皆様にたいし深いお悔やみを申し上げます。1日も早く福島原発事故での放射能放出が止まり、被災地が安心して復興に向うようお祈り申し上げます。
さてこのような情勢下ではございますが、沈んだ気持で毎日を過ごすことが解決を早めるわけでもなく、むしろ気分を一新して東北地域の復興に一人ひとりが出来える範囲で支援してゆく為にも、皆さんで元気を取り戻そうと「春うらら落語会」を予定通り実施させて頂くことにしました。

日時: 4月9日(土) 15:00 ~ 20:30
場所: 日本橋 伊場仙ビル 7階
会場: 15:00 開演: 25:30
プログラム:
◆第1部「春うらら落語会」15:30 ~ 18:00 
4人の修行中の噺家が次のような演題に挑戦してくれます。
花伝亭小田急 :「短命」
花伝亭与太美 :「宿屋の仇討ち」
花伝亭長太楼 :「長屋の花見」
花伝亭にょろにょろ :「金明竹」
花伝亭長太楼 :「片棒」
◆第2部 皆さんとの懇親会 18:10~20:30(近所の居酒屋にて)
参加費:第1部のみ 800円、第1部/第2部参加 4,000円

まだ席には余裕がございます。ご参加ご希望の方は第1部のみか、第1部・第2部ともにかをご記入の上、下記にメールをお願いします。   miyaha@kazum.net

2011年2月12日土曜日

豪雪の中の秘境・青森ランプの宿『青荷温泉』へ

2月10日『望走会』メンバーがこの寒い真っ只中に青森の八甲田山の麓にある秘境・秘湯で有名なランプの元で過ごす宿『青荷温泉』へ旅出たのだ。やはり“暴走(?)”の会なのだろうか。今回の参加者6人は皆さん現役でIT分野の企業で先頭切って活躍されている面々なのだが一人だけ隠遁生活者が混ざっているのも異様である。8:56東京駅発の東北新幹線「はやて」に乗る。皆さん乗車するや児童の遠足のように興奮気味である。ついこの間盛岡から先に開通した「新青森」までの乗車だけに皆さんが初体験。3.5時間の旅はビール、チュウハイ、ハイボール、水割り、そして日本酒と販売カートが通路を来るたんびに購入していたのだから呆れたものだ。下車の際の空き缶、空き瓶をいれたビニール袋がはち切れんばかりに大きかったことに驚いたが、恥ずかしくもあった。

新青森からは「黒石こけし号」という無料シャトルバスにて「津軽伝承工芸(こけし)館」経由で青荷温泉まで浅瀬石川に沿っての上りで黒石温泉郷(板留、温湯)を通過して約1時間のバスの旅。こけし館を過ぎるともう道の両側は雪の壁である。遂に雪にスッポリ包まれた「青荷温泉宿」に到着、建屋の一番奥の離れ屋「滝見の湯」に通された(上の写真)。1階が風呂場でその2階は10畳が二間でそこに6人が隔離された。本当に夢のような別天地であった。このような激寒地で、なにせ1階が風呂なので2階は床暖房の部屋にいるようなものだからだ。部屋の窓からは確かに雪の間に滝が見えている。

男6人が集まると早速風呂につかり、そして酒盛りが始まる。午後2時過ぎから夕食までの時間、温泉につかり出てきて酒を飲み、そしてまた風呂へを繰り返した結果、日本酒の消費は720mlX2本、1.8lX1本であった(左上の写真)。この宿には風呂が4箇所にあり、風呂のはしごが出来るので結構飽きずに済んだ。暫くすれば体が冷たくなったように感じて自然と風呂に行きたくなるのだからよくしたものだ。
夕食時も大広間に集まって宿泊客全員ランプの下で食事を取る。部屋に戻っても薄暗いランプの下では酒を飲みながら喋るしかやるこがない。しかしそんなに喋りも続かず10時頃には眠りに着いた。

翌日、外は薄曇だが、東京では雪がコンコンと降っているとの情報が入った。勿論携帯電話も圏外であるから、これら新情報は帳場で宿の人から得るしかない。早朝に風呂に入り仲間の中には我慢で出来ずに6時になって食堂に行った者がいたが、朝食は7時半からと断られて帰ってきた。帰りは午後1:20発のバスで下山する事になっている。それまでやることと言えば風呂に入るか、あとは寝ることだけ。なんという贅沢であろうか。一体私は今回何回風呂に入ったのだろうか。10回までは数えられたが、いやもっと入っていたのかも知れない。

帰り際にロビーに出てきて女将さんとお話しをしていると、「最近は韓国のお客様が青森直行便で来て日帰りで帰りますよ」と聞かされて、「ここは本当に秘境なのか?」と何ともいえない気持ちにさせられた。そして帰りのバスで運転手さんが、「この辺の温泉郷は、最近はヨーロッパからのお客さんが増えてきたよ。特に困るのがフランス人だね」と聞かされ益々ビックリ。やはり何も知らないのは都会人の私達だったのかも知れない。それでもこの「秘境の旅」から私の想いが実現しつつある事を確認できたのだ。それは「こんなスバラシイ日本は世界の人々に知ってもらうべきだ。そのためにも日本は観光立国にまい進だ!観光に力を入れて地域を活性にして、おカネをジャンジャン稼がせて頂こうではないか!」

2011年1月16日日曜日

『アトリエ清水1月展』無事に終了


今年は異常な寒さの中、昨年同様大勢の方々にご来場頂きまして本当にありがとうございました。今年はサイズ的に小さい作品を4点出展させて頂きましたが、沢山の暖かいお言葉、ご感想を頂きまして大変にありがたく思っております。ご感想の中で代表的なコメントを書いておきます。

作品1)『東大・安田講堂』: こんもりと銀杏の木々に包まれた安田講堂が上手に描かれていると思いました。そして額がピッタリと絵に合っていると思います。
作品2)『シスレー模写:モレの通り』: 空の雲の表現が何ともスバラシく気に入りました。
作品3)『下駄』: 下駄の油絵を見ると、ゴッホの“靴”の絵を思い出しますが、この絵のお洒落下駄の光の反射具合がよく描けています。
作品4)『バラ』: ちいさい絵なのに小さく感じません。とくに全体のバランスがよく取れた絵だと思います。

上の写真は毎回毎回この油絵展を訪ねて頂き、出展油絵の前で小生を写真に撮って頂いている国立科学博物館にお勤めのN氏から届いた今年の写真でございます。今回は出展作品それぞれのサイズが小さかったので全4作品個々の写真を組み合わせてA4サイズに収めて頂いたので、小生のブログに掲載させて頂くことに致しました。