2018年12月9日日曜日

携帯電話iPhoneの悲劇


昨日、気が付くと私のiPhoneがうんともすんとも立ち上がらないのだ。眠ったままだ。そこで購入したAUショップに電話入れて「昨年8月にそちらで買ったiPhoneだが、全く立ち上がらない。」と問い合わせしたところ、「強制立ち上げをトライしましょう」と言ってiPhoneの電源SWと前面にある丸いホームボタンを同時に10秒ほど押して下さい」と言われて試してみたが、全くうんともすんとも言わず、画面は真っ黒のまま。そして改めてAUショップに電話を入れると、「こちらショップでは修理は受けていないので、池袋のビックカメラにあるApple修理窓口に相談してみてください」との返事。早速電話入れると、「こちらでの相談受付はこの先10日間満杯です。年末になってお客さまが集中しています。もし一日でも早くご希望なら一度Appleサービスセンターに電話してみて下さい」という。年末になると、Apple携帯電話が軒並み故障すると言うことなのだろうか。
<なんという無駄だろうか>

実は昨年8月にDocomoからAUに切り替えた理由が、Docomoショップに行くと1~2時間は待たされるのが当たり前という”最悪なサービス”から抜け出たい為であったのだが。
さて、次にAppleサービスセンターに電話すると、誰でもが体験するあの返答、「只今、電話が大変に混んでいますので暫くお待ち下さい。その間お好きな音楽をお選び下さい。」何んて言うテープが流れて5分ほど待たされたが、ついに沸を切らして諦めて電話を切る。
これだけの時間を掛けても、全くどうしたら良いのかの方向性が見えて来ない。あたかも救急患者が受け入れる病院が見つからずに待たされて居る状態に似ている。そして自動車修理の場合にはその修理期間中は代車使用というサービスもあるが、AU携帯電話の場合は代用機提供のサービスは無いらしい。これまでの各窓口の対応から判断すると、どうやら修理に出したとしても1ヶ月以上は携帯電話ナシの状態が続いてしまう事が予想される。
この緊急事態を最も早く回避する方法は、新品を改めて買うことしか無いようだ。つまり自腹を切って「お金」で解決するのが一番早く携帯電話を手に出来る方法なのである。結局は2時間もの長い時間をAUショップで購入手続きに時間を取られたが、何とか夕方にはiPhoneを持って帰宅出来た。何とも不快な一日になってしまいました。

2018年11月23日金曜日

2018『いきいきシニアの集い』油絵出展


11月23~24日文京区シビックセンターで開催されている『いきいきシニアの集い』に油絵を出展しました。今回は2002年、今から16年も前に描いた油絵なのですが、写真でご覧の様に大変に不安定な格好をしており、また周りの茶色い部分は粘土の上に着色しており、手で触れると色が手に付いてしまうので展示するには不向きでした。
従ってこの絵は過去16年間他人の目には触れずじまいでしたが、今回は思い切って出展してみました。格好が、格好だけに皆さんの注目を浴びたようです。作品の題名は『考古楽(アンバランスとバランス)』です。
さてこの絵は、古代に栄えたキプロス島の港コウリオンで発掘された一組の男女と子供の遺骨で3人は抱き合っていました。紀元365年にこの集落を襲った地震で一瞬にして地中に葬られ、発見される日を待っていました。母は子供を胸に抱きしめ、それを夫が守るように覆い被さっています。これが人間の本能と信じます。夫の骨盤は崩れていますが、母の骨盤は長い年月を経てもしっかりと形を残していました。やはり母は偉大です。
この絵に動きを与えようと、私は子供の部分だけを生まれだての赤子に表現し、更に足元に絡みつく蛇を、そして左上に土に隠れた「デビル(悪魔)」を描き加えています。
この絵が完成して額を探したのですが、四角のどんな額に入れても絵が引き立たないのです。そこで、「なんで額は四角でなければならないのか?」と考え始め、角材とベニア板を買ってきて”アンバランス”な額を作り、それにこの絵を入れますと、何となんと期待していたイメージが出て来たではありませんか。つまり骸骨の絵がアンバランスな額とバランスを取ったのです。

2018年11月6日火曜日

秋の宮島の潮汐


<午後2時頃の干潮時の大鳥居>

11月3~4日の連休、地元町会の皆さんと「秋の宮島&広島・原爆記念館の旅」の機会を得ました。宮島では海に浮かぶ「大鳥居」の昼、夜、朝の姿が潮汐によって変わる姿をエンジョイしました。干潮時と満潮時での海水の水位差が1.5m程もあるそうですが、地球の引力がそうさせていると考えると、自然の力に感動します。
<午後9時頃の大鳥居>
そして平清盛が造ったと言われる「海上神殿」もその複雑な設計構造から人間の知恵と力に驚かされました。
それにしても小生は「広島カープ」ファンだけに、3日夜のソフトバンクとの敗戦でまたまた日本一になれなかったのには、何故にそんな時に私が広島に居るのかと、厳島神社の神様を恨みました。しかし翌日 快晴の元で広島の原爆記念公園そして縮景園を巡り、昼食はお好み焼「みっちゃん総本店」にて分厚いお好み焼きにかぶりつき、秋の広島を十分に満喫出来ました。
<朝7時頃の満潮時の神殿>

2018年10月30日火曜日

第20回『文京を歩く会』秋空のもと大満足!!


秋の気候はままならず、実施日10月27日(土)の前の日の午後から雨が降りだして実施日の午前中まで雨との天気予報にはヒヤヒヤしていましたが、当日は”快晴”でむしろ暑いくらいでした。14名の参加者で、巣鴨「真性寺」からスタート(写真1)、文京区の境界線となる道の西側半分を歩きました。
<写真1:巣鴨「真性寺」にて>
「文京宮下公園」から江戸橋通りに出てすぐに四つ角を右にまわると「東洋女子高校」の脇に出ます。そこから小道をジグザグに南下して「宮坂」を下って「氷川下」へ。そこの千川通りを突っ切って大塚の丘を上り「大塚公園」に出ました。ここで最初の休憩。つぎに新大塚の交差点のところを左に渡ってすぐの左への急坂を下り、大塚六丁目付近をジグザグに歩き「雑司ヶ谷霊園」(豊島区)と「護国寺」の間の広い道に出て、ここから護国寺の墓地へ左に折れて、本堂の前で二回目の休憩を取った後、「惣門」(写真2)、「仁王門」を通って不忍通りに出ました。
<写真2: 護国寺「惣門」の前にて>

そこを右方向に目白台を目指して歩き出し「清戸坂」を上がり始めるとすぐに右手に「清土鬼子母神」が現れそこに寄り、さらに清戸坂を上り詰めるのですが、その時の西日が非常に強く差して汗をかくほどでした。坂を上り切ると「目白通り」に出ますが、そこを突っ切って対面の「富士見坂」を下り途中に左の入る細い階段坂「日無坂」を下るのですが、私はこの角地が大好きな”坂の光景”の一つです。ここで集合写真(写真3)を撮りました。
<写真3: 右が「富士見坂」、左が「日無坂」>

この後、「豊川稲荷」から「肥後細川公園」と「関口芭蕉庵」の2つの庭園をグルリ周って、神田川沿いを「大洗堰」から「江戸川公園」を通って江戸川橋・交差点に出ました。ここで皆さんで「ここから懇親会会場のある飯田橋に直行しよう」という意見に纏まり、午後4時30分無事宴会会場「鳥どり総本家」に到着、いつものように飲むや食べるや喋るやで、楽しい一日が終わりました。今回もおよそ10km強を歩いたようです。皆さん、ご苦労さまでした。

2018年10月26日金曜日

自然は何と美しい!


今年の秋は本当に美しい「紅葉」を磐梯高原で満喫することが出来ました。今年の夏の猛暑そして多発した大型台風の為に紅葉は鮮やかでは無かろうと言われていましたが、秋に入って寒さが急に襲ってきたことが美しい紅葉を持たらさせてくれたそうです。それにしてもラッキーなひと時でした。
毘沙門沼にて
中津川渓谷





2018年10月11日木曜日

第20回【文京を歩くかい】実施日決定


いよいよ今年の【文京を歩くかい】の「秋編」が10月27日(土)に実施されます。文京区の境界線を来春の2回に亘ってグルリ一周致します。今回は巣鴨をスタートに時計逆周りで飯田橋まで歩きます。集合はJR巣鴨駅改札を出た所に13:30です。
行程は、巣鴨駅出発巣鴨大鳥居神社宮下公園宮坂氷川下大塚公園ひょうたん公園護国寺清土鬼子母神日無坂豊川稲荷新江戸川公園関口芭蕉庵大洗堰跡江戸川公園子育地蔵石切橋同人舎跡飯田橋 と歩いて16:30頃より飯田橋で恒例の「親睦飲み会」(予算3500円)となります。是非奮ってご参加ください。
連絡先はメール miyaha@kazum.netへどうぞ。

2018年9月25日火曜日

【祭り】終わる


<神酒所前の賑わい>

年に一度の行事だが、毎年この【祭り】が終わると、「ああ、秋が来たな!」と感じるのです。今年も例年通り充実したスケジュールで【祭り】が執り行われましたが、この二日間、我が小さな町に神輿の担ぎ手の人たちがびっくりするほど集まって来きて賑やかにしてくれるのです。
<宵宮渡御で神酒所前の興奮>

9月22日(土)午後1時から「子供神輿と山車」が町内を巡り、その後広場で子供対象の「縁日」が行われますが、近所から大勢の子供達が集まり、この地区の名物イベントとなっています。今年のテーマは「お化け屋敷」でした。午後5時過ぎに大人による「宵宮渡御」が始まりますが、この神輿の前列に「狐舞」が舞い踊り、その周りを子供たちがクッツイて雰囲気を盛り上げます。町内を巡りこの渡御が夜8時半ころ終了するのですが、この時、神酒所の前が大いに賑わい最高潮に達します。
<壱岐坂太鼓>
23日(日)午前11時過ぎに清和公園から大人神輿が「櫻木神社」へ参拝渡御がスタートしますが、その時に「壱岐坂太鼓」の奉納太鼓の音が近所に響き渡ります。午後2時過ぎに櫻木神社の参拝が終わって神酒所前に神輿が戻ってきますが、このときは、いよいよ”今年最後の担ぎ”と言うことで、皆さん興奮の絶頂に達し、私も誘われるままに神輿を担がせてもらいましたが、本当に気分をスッキリさせてもらいました。

<神酒所前 最後の担ぎ締め>


2018年9月9日日曜日

江戸【五色不動尊】をサイクリング

<目黒不動(滝泉寺)>

<目青不動(教学院)>

江戸には5つの目の色が違う「不動尊」が居るという。目黒、目白は山手線の駅名でもあり、何となく分かるような気がするのだが、目赤、目青、目黄の不動尊が居られるとは驚きだ。よし、それなら我が愛車(自転車)で全部を回ってしまおうと、久々の快晴の日曜日(9/9)にサイクリングを敢行した。
実は6月に実施した「酒街道・ひとりサイクリング」の為に、わざわざ新規に購入した「クロスバイク」をその後で無駄にしていけないと、これからは1~2ヶ月に1回ほど「ひとりサイクリング」を企画しようと決めたのだ。
<目白不動(金乗院)>
そんな訳で6月末にはすでに「江戸五色不動尊・サイクリング行程」を組んでいたのだが、この夏は”気狂い的猛暑”や次から次へと台風発生でこの企画も伸び伸びになっていたのだ。
今朝5:45に自宅(文京区・西片)を出発、まずは「目黒不動尊(滝泉寺)」へ直行。四谷→迎賓館→青山墓地→天現寺橋→白金台→大鳥神社を経て、7:35に到着。次は三軒茶屋にある「目青不動尊(教学院)」に向けて8:00に出発し、林試の森→清水商店街→五本木→蛇崩川緑道→世田谷公園→三宿→太子堂銀座を経て目青不動尊に8:50到着。次は3つ目「目白不動尊(金乗院)」に向けて、茶沢通り→下北沢→笹塚→水道道路→十二社通り→方南通り→小滝橋通り→高田馬場→高戸橋→明治通りを経由して豊島区の目白不動に11:00到着。
<目赤不動(南谷寺)>
次は最も我が自宅に近い文京区の「赤目不動尊(南谷寺)」へ、宿坂通り→目白通り→不忍通り→上富士前→本郷通り→吉祥寺を経由して11:45に到着。さてさていよいよ最後の5番目「目黄不動尊(永久寺)」のある台東区・三ノ輪まで、向丘1丁目→根津神社→言問通り→金杉通り→三島神社→大関横丁の交差点の脇にある目黄不動に着いたのが12:30でした。
<目黄不動(永久寺)>
ここからは言問通りまで引き返し、途中でラーメン屋で昼食をとり、自宅にご帰還は13:25でした。7時間半のサイクリングでしたが、本当に細い作りでスマートな我が愛車・クロスバイクに感謝感謝である。ご苦労さまでした。

2018年8月22日水曜日

ドローンで「鳥」の気持ちになったみたい!

家族で東北にドライブ旅行した時に息子が日立北の近くの「小貝浜海岸」でドローンを飛ばした。小さな入江の誰もいない静かな浜だったが、浜に沿って切りだった崖が迫ってくる地形は大いに興味を引き、この崖の上は?とか、海の沖合からこっちら見たら?とか、鳥だったら見られる景色をドローンが私達に見せてくれたのだ。ドローンのお蔭で今まででは味わい得なかった光景を記録に残せる時代となったのだ。ちなみにドローンで撮った動画のBGM曲は息子の作曲による「Trance Form ~Second~」である。この作品をYouTubeにUPしたので ご覧いただければ幸いである。下のURLをコピーして、検索欄にペーストしてご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=-_CoUP_pSuo&ab_channel=%E5%AE%AE%E5%8E%9F%E4%B8%80%E6%95%8F





2018年8月19日日曜日

絶対に「戦争」に巻き込まれるな!


「原子力爆弾」の恐ろしさを身をもって知っているのは世界中で日本人だけだ。それも昭和20年(1945)に広島、長崎に住んでいた方々が実際に被爆されて、その本当の恐ろしさを知っている。何と米国が「原子力爆弾」の威力を調べるため、広島/長崎を実験場にしたのである。それもご丁寧に広島と長崎に別の種類の「原子力爆弾」を落とし、その能力比較まで行っているたのだ。これら行為は人間としてもっとも恥ずべき行為なのである。
その実際の体験談(手記)が GHQの検閲を逃れて69年ぶりに見つかったと「広島原爆の日」の8月6日、東京新聞朝刊のTOPで報道されていた。
このような戦争が生む悲劇/恐怖から目を背けてはいけない。そして「人間として絶対に戦争はしない」という鉄則を一人ひとりがしっかりと心に染み込ませようではないか。是非この「手記」を読んでほしい。 下記のURLをクリック!
http://ohimikazako.wixsite.com/kotonoha/blank-17

2018年8月2日木曜日

うれしい!【縄文】が注目さている

暑中お見舞い申し上げます。
殺人的な猛暑が襲っていますが、クーラーもためらわずに使え、水をガブバブ飲め、塩分の取り忘れに注意、とか連日の「天気予報・ニュース」で警告が出ており、小生もいささか情報消化不良を来している。しかしそんな不快な環境の中で涼しい本屋さんでのんびりブラブラしていた時、雑誌「東京人」の8月号で特集『縄文散歩』が目に止まり早速購入した。(定価930円税込み)内容が面白くて一挙に読んでしまい、その間すっかり「暑さ」を忘れることが出来たのだ。小生は2011年の3・11の出来事以降、『日本復活私論』を書き「日本人は縄文人でD型のY染色体の持ち主だから、縄文魂で世界を引っ張れ」と主張し続けているのだが、そんな小生に雑誌「東京人」は ”東京は、王子界隈、渋谷・代官山付近、西荻、そして多摩・町田などなど「縄文遺跡」がゴロゴロあると細かく教えてくれて、小生を興奮の坩堝に落とし込み暑さ対策をしてくれたのだ。
上野の「国立博物館」の平成館でも、特別展【縄文=1万年の美の鼓動=】を開催しており(7/3〜9/2)このところあちこちで「縄文」が注目されている。
小生は少し暑さが優しくなったら、渋谷・代官山コース、つまり画家であり民俗学者であった「岡本太郎」の記念館、「国学院大学博物館」そして「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」などを歩き訪ねてみようと思っている。そんな訳で「縄文」に興味のある方には、この雑誌「東京人」8月号がお勧めである。

2018年7月12日木曜日

余りにも国民をバカにしてはいないか?

1枚の写真をじっくりとご覧いただきたい。真面目にじっくりと誰が写っているかひとりひとりを確かめてほしい。この宴会は7月5日の夜に行われていた。この宴が始まる前にすでに国民にはニュースで「今までに経験したことのないほどの豪雨が襲いますので西日本地域の皆さんは警戒してください」と緊急警告が報道されていたのだ。尚、この写真はこの宴に参加した人からのツイッターに掲載されていたものである。ギャフン!

2018年6月26日火曜日

【酒街道】輪行、無事に完走!

<川渡温泉 露天風呂>

6月19~23日、4泊5日にて宮城県・気仙沼から日本海側の山形県・酒田市までの275kmの輪行を無事に完走して参りました。1日目は午後から気仙沼~一関までですがこの間に蔵元が4軒、行程後半の「北上川」に沿って「気仙沼街道」からの眺めは最高でした。2日目は一関から築館経由で鳴子峠越えでしたが、朝から雨で最悪のスタートでした。この間に蔵元が6軒。体をビショビショにして「川渡温泉」の宿に入ったのですが、そこでひとりで浴びる露天風呂は最高でした。3日目は「鳴子温泉」を通って分水嶺の「中山峠」を越え「最上街道」を南下し「新庄」までの長丁場でしたが、この間に蔵元は2軒。長い長い上りの峠越えは遂に自転車と一緒に歩き出しました。
4日目は「鶴岡街道」を最上川に沿って西走し鶴岡市までですが、最上川沿いの街道の細いトンネルではダンプトラックに引き込まれないか恐ろしい体験でした。そして、だだっ広い庄内平野に出ると吹きまくる強風は、下り坂でもペダルを踏むほどで、”半端ない”状態でした。この間に蔵元は2軒。そして最後の5日目、鶴岡から酒田までと距離は長くありませんが、大山、黒森、酒田と「お酒の本場」を通過し訪ねた蔵元は6軒。酒田郊外の「ヤマト運輸配送センター」に到着したのが14:30。お陰様で無事に「ひとり輪行」を完走することが出来ました。「ひとり」と言いますが、この挑戦にはワイフや家族、そして周りの人々のお陰が有ってこそ達成できたものと、つくずく感謝しております。ありがとうございました。


2018年6月10日日曜日

ひとり輪行【酒街道】に挑戦


私は「ひとり行脚」が大好きだ。これまでに静岡県・相良町から新潟県・糸魚川市まで全長350kmの『塩の道』、そして福井県・小浜市から京都・出町柳までの75kmの『鯖街道』をひとり歩いて来ました。これまでは誰も歩いていない「古道」を選んで歩いて来たのですが、ある日 友人から「次はどこを歩きますか」と聞かれて、ついうっかり「“塩”からスタート。そして次が“鯖”。となれば次に欲しいものは何ですか。“酒”でしょう。つぎは『酒街道』を歩きたいです」なんて口走ってしまったのです。その時は、酒作りに“杜氏”が歩いた街道を繋げて歩けばいい、なんて勝手に思い込んでいたのですが、しかしそんな都合のいい街道などは存在しません。しかしインタネットで検索していると何と気仙沼から一関の間を【黄金酒街道】と称して、その沿線にある酒蔵が連携してその名の日本酒を販売しているとの記事に触れたのです。それなら自分は一関から更に西に伸ばして日本海までと地図を見ますと、何と西端に“酒の田んぼ”と書く町「酒田市」があるでは有りませんか。そして一関から西への道は芭蕉が「奥の細道」で歩いた行程でもあるのです。「よしこれだ!」と企画作りを始めた矢先にあの2011年3月11日「東日本大震災」が襲ったのです。そんな訳で、酒街道プロジェクトは一旦お蔵入りとなりましたが、あれから7年、そろそろ気仙沼も落ち着き始めただろうとお蔵出しをしました。
気仙沼〜酒田には20の「酒蔵」があります。20の酒蔵とは、男山、角星(気仙沼)、岩手酒造(千厩)、世嬉の一(一関)、萩野酒造(有壁)、磐の井(花泉)、金の井、金龍、千田酒造(一迫)、高橋酒店(川渡温泉)、倉加屋(中山平温泉)、佐藤酒造店(瀬見)、小屋酒造(本合海)、亀の井(大鳥居)、竹の露(猪俣新田)、出羽の雪、加藤喜八郎酒造、富士酒造(友江町)、オードヴェ庄内(浜中)、菊勇(黒森)です。これらを訪ねながらの4泊5日の「輪行」です。出発のタイミングはお天気次第です。どうなりますことやら??

2018年6月6日水曜日

満喫できた花菖蒲と紫陽花


6月に入って三浦半島の突端を訪ねる機会を得ました。今年は例年より花の成長が10日ほど早く6月早々で菖蒲が満開を迎え、そして紫陽花の咲き誇る時期と重なりラッキーなタイミングでした。
私が横須賀、久里浜、三浦海岸方面を旅したのは学生時代以来でしょうから、50年ぶり位でしょうか。今では「横浜横須賀道路」が出来て「首都高」と繋がっているので、簡単に日帰りで行けるようになっています。今回の旅はそもそも「横須賀ベルニー公園のバラ」を観るのが目的でしたが、すでにバラの時期は終わってしまったので急遽、「横須賀しょうぶ園」に切り替えたのですが、それが大正解でした。全国でも屈指の規模14万株を誇る庭園でそれが丁度満開だったのです。今回訪ねて知ったのですが、花菖蒲には主に3系統が有って、濃紫に特徴を持つ「江戸系」、
<朝戸開>
女性的で繊細な作りが「伊勢系」、大きな輪を作って堂々としているのが「肥後系」とそれぞれに特徴があるそうですが、私にはよく判別が出来ませんでした。それでも気に入ってカメラに収めたのは「朝戸開(あさどびらき)」(江戸系)でしたが、もしかするとその”名前”が気に入ったのかも? 小道の脇には「紫陽花」もしっかりと花をつけて脇役を果たしていました。初夏の花々に囲まれて大いに幸せを感じた1日でした。


2018年5月26日土曜日

第19回「文京を歩くかい」無事に終了


5月19日(土)、「旧石神井川に沿って坂道を歩こう」をテーマに19回目の「文京を歩くかい」が開催されました。参加総数は18名(男子:14、女子:4)で快晴の中、JR駒込駅より出発、「江戸連」の”坂博士”の松本崇男氏にガイドをお願いし坂名の謂れや名所旧跡のお話を聞きながらのウォーキングでした。ところで本郷台になぜ石神井川が流れているのかに就いては下の図をご覧ください。

江戸幕府が開城するころ石神井川は王子のところから本郷台地と上野台地の間を南下し、一旦不忍池に流れ込み、そしてそこから神田付近を通過して東京湾に流れ出ていたのです。江戸時代にはこの川の王子から不忍池の間を谷田川、藍染川と呼んでいたそうで、今は暗渠になっています。
<団子坂にて>
今回はその本郷台地側の坂道を登っては降りを繰り返して巡って来たわけです。神明坂→稲荷坂→動坂→むじな坂→きつね坂→たぬき坂→大給(おぎゅう)坂→団子坂→根津裏門坂→権現坂→幽霊坂→異人坂→弥生坂→くらやみ坂→切通坂→天神女坂→芥坂→妻恋坂→清水坂→昌平坂 と沢山の坂を登っては降りてのハードなコースにもか関わらず皆さん元気に歩いておられました。
<幽霊坂(根津おばけ階段)>
また道中には富士神社、須藤公園、根津神社、湯島天神、そして神田明神と由緒ある名所を周り大変に充実した行程で皆さん喜んでおられました。3時間半の歩きでしたが皆さん疲れた様子も見せずに、そのまますんなりと好例の第2幕「打ち上げ懇親会」に突入し、いつものように大いに盛り上がり「飲み放題3時間コース」を完璧にこなしました。皆様、本当に御苦労さまでした。

2018年5月16日水曜日

技術国の日本はこれで良いのか?


5月のある日の新聞に2つの記事が並んでいた。一つは「三菱航空機 資本増強へ」、そしてもう一つが「新型アイボも”ワン”ダフル」と言うもの。この2つの記事を読んで日本人として大いに不安と不満を抱いたのです。
三菱航空機の親会社「三菱重工」が資本増資で三菱航空機を支援する話だが、このプロジェクトは【日の丸ジェット】として2003年に立ち上げ経産省が巨額の補助金/融資で支援してきたが、やっと2008年(今から10年前に)実用機の開発に入ることができたが、しかし2013年の初号機の納入が出来ず、その後度重なる設計変更で5度も納期変更し、現時点では2年後の2020年に初納入の計画だ。(これもどうなるか全く見えない)当初予定の開発費2000億円に対して今では5000億円に膨らんでいる。競合のエンブラエル(ブラジル)やボンバルディア(カナダ)よりは早く市場に出せる優位点が今では消え欠けている。これまで447機の受注も納期遅れでキャンセルが続出で、こんな会社に更に増資して日本のためになるのか大いに疑問。三菱重工は、防衛・航空・宇宙・原子力の事業体で成り立っている「国策産業」だが、子供達に夢を与える企業として生き残れるのだろうか?
次に犬型ロボット「アイボ」に就いてだが、なんとソニーが1999年から生産開始し、旧製品が2006年までで15万台売れ、予期せぬ台数が売れたので新型アイボも多くの人から購入希望があると判断し、年初に本体を213,840円、新型はAIを使って独自の成長を楽しむソフトが3年分で97,200円で売り出したところ、4月中旬で11,111台の販売実績。
人間さまがロボットの成長を楽しむような時代にしていいのだろうか? 「生きている」という実感を大事にすることが人として大切な事だと思うのだが、ソニーよ! 売れれば、そしてルールを守っていれば何を生産しても良いという判断でいいのか! もっと21世紀のメーカーとして倫理的に考慮した製品作りに注力して欲しいと思うのだが。

2018年5月2日水曜日

浅草・流鏑馬(やぶさめ)を楽しむ


4月21日(土)浅草の隅田川土手(隅田公園)にて開催された「第36回 浅草流鏑馬」を観る機会を得ました。「流鏑馬」の語源は、馬を馳せられながら矢を放つという意味から「やばせむま」と言われていたものが「やぶさめ」となった由。そもそも平安時代の「馬的射」(むまゆみいさせ)が始まりと言われ、鎌倉時代に鶴岡八幡宮にて「武家の流鏑馬」として盛んに行われるようになりましたが、鎌倉幕府の凋落とともに衰退し、江戸時代 8代将軍吉宗が世嗣ぎの疱瘡平癒祈願として「流鏑馬」の奉納を始めて約400年ぶりに流鏑馬が復活した由。その後江戸時代後期に「浅草神社」の正月の行事として行われていた由だが、その後は途絶えていたが昭和30年頃に上野不忍池畔で小笠原流流鏑馬が執行されたことより、その後台東区がそれを引き継ぎ「浅草流鏑馬」として現在に至っているとの事。
当日は夏日のように暑く、第2の的の近場の特等席で日陰になる所を選び、そこから迫力ある的射ちを眺めることが出来、あっという間の出来事ですが、その瞬間を動画で御覧ください。


2018年4月18日水曜日

腹立たしく不快な日


私がブログを連チャン(二日続けで掲載したという意味)したのは初めてである。昨日「幸せな春のひと時」なんていうブログを書いてしまった為、今日「そんな甘っちょろいことに浸っているな!」という反省の気持ちにさせてブログに走った。現在丁度日本のTOPがアメリカのお友達に会いに行っているが、”本当の仕事”をして来るのだろうか。そこでこの月曜(4/16)に東京新聞に掲載されていた一枚の写真をここに転写する。

何とあの「オスプレイ」が東京の郊外、福生市の保育園の上空を勝手に飛んでいる写真だ。我々は沖縄・普天間基地移設の問題をどんだけ長い間議論して来たのであろうか。その理由は普天間基地の側に住む住人の安全確保の為で有ったのではないのか。オスプレイはあちこちで事故を引き起こし安全性に欠けるのではと議論されている最中にだ。アメリカ政府が「オスプレイは安全」と言い切るなら、まずは”世界最強の米陸軍”で採用すべきだし、”政府専用機”としても採用すべきなのに、危険と判断しているのだろうか?採用していない。米国政府から武器を購入する際のFMS(対外有償軍事援助)という”不公平条件”で固まった方式を日本政府はいとも簡単にアクセプトし2015年5機、16年度4機をすでに発注済みで、そして全17機の購入計画がある(当時で約3600億円)。日本になぜそんなに急いで安全性に不安な軍機が必要なのであろうか。イスラエルがオスプレイ購入を断念したというので、現時点で米国以外で本格導入するのは「日本」だけと言う。
またまた過去の苦い経験、米国のいう通りに従って採用した「原子力発電」の”二の舞”のプロセスを踏むのだろうか。AチャンもT君の所に行ったらニヤニヤ話をするのではなく真剣な眼差しで、「オスプレイを大統領の専用機として採用してくれ。さも無いとこれまでの日本からのオスプレイ購入契約も一旦破棄したい」とぐらい言って欲しいところだ。
もうアングロサクソン系のグループから出てくる話には”誤魔化せられないように”十分に注意して対応をして欲しい。

2018年4月17日火曜日

幸せな春のひと時


このところ地球上の気候が非常に不安定らしく、3月末ころ異常な暑さが続きあっという間に桜を満開にさせてしまった。桜が散ってしまうと、今度は冬の到来かと思わせるような寒さが続いた。米国の方では北極寒気団が垂れ下がっているらしく、カンサスシティーの方でも零下1度で球場のベンチにはツララが出来ていて大谷投手の試合も中止となっている。寒波で野球が中止になるとは、私に取ってはこれまでで人生初めての出来事のように思うのだが。
そんな天候不安定な4月のある日、ゴルフには最適な長閑で暖かな最高のコンディションで富士山に近いゴルフ・コースでエンジョイすることができた。しかし、ゴルフのスコアは思い通りにはならなかったがーーー。

2018年4月9日月曜日

やはり音楽は ”CHILL OUT ”ね!



ほっとして休息を取っている時、どんな音楽を聴いていますか?
私はほとんどChill Out(チルアウト)の曲をiTunesやYoutubeから聴いています。Chill out とは若者が使うスラングの一つだそうで、「冷静に!」とか「頭を冷やせ!」と言った意味になるそうです。例えば、You want to chill out tonight? とは「今夜、ゆっくりお話でもしない?」また  I’m just chilling out. は「ぼーっとしているだけ」と言った意味合いだそうです。さてこの種の音楽のジャンルはどこで生まれたかと言うと、地中海にある小島「イビザ(Ibiza)島」の中のサンアントニオ町の中にある喫茶店「サンセット・カフェ」がメッカだそうです。一晩中クラブで踊って疲れた人達がリラックス・クールダウンする為にカフェで聴いている音楽で、カテゴリーは所謂「環境音楽」(Ambient Music, Enviornmental Music)に属し風や雨や雷、滝、など自然の音を音楽で表現する創作曲の部類です。私が4年ほど前に凝っていたのが Cafe Del Mar で、最も好きな曲が“Genesis”でした。
Cafe der Mar の去年版を聴いてみてください。


現在では ”Cafe Ibiza” の Dj Maretimo による Islands of Chill を聴いております。

https://www.youtube.com/watch?v=_ZNjzbvr3do&ab_channel=DJMaretimo-LoungeMusicMixes

眠くなっちゃいましたか? もしそうであれば、これこそ本当の癒しの音楽でしょうか。

2018年3月21日水曜日

日本の最先端とは?


さてさて日本の最先端はどこでしょうか? それは本州の最もの東の先端である千葉県の「館山」だそうです。NPO法人「安房文化遺産フォーラム」が発刊している小冊子上に載っていた下の地図をご覧ください。
<小冊子「館山まるごと博物館」より>

3月17日あるグループの企画【江戸と安房・房州・海上交通の文化を訪ねる】に参加して参りました。日帰りで房総半島の先端まで行けるのも「東京アクアライン」を使って東京湾を突っ切る事が出来るよになったからです。今回のバス旅行で、さすが最先端だけに歴史的そして文化的にも随分と深いことを学びました。縄文時代からこの地に人が住んでいましたが、四国の阿波・忌部氏(いんべうじ)の代表「天富命(アメノトミノミコト)」がリーダーとなり阿波から船で麻の栽培地を求めて布良(めら)の浜に上陸したという。この地を「総(ふさ)の国」と呼び、そして「安房国」を「あわのくに」と名付けたという。
ここからは海の真正面に「富士山」が眺められ「信仰の聖地」でもあったという。今回確かに「布良崎神社」から海を望むと鳥居の上遥か彼方にくっきりと富士山が見えました。15世紀から170年間この地は戦国大名「里見」氏が治めていたという。19世紀になって曲亭馬琴が里見氏をモデルに「南総里見八犬伝」を書いています。明治時代には布良は「マグロ延縄漁業」が盛んに行われ、この技法が現在では青森県・大間のマグロ捕りに生かされているそうです。そして20世紀になると、この辺一帯は穏やかな気候を利用して「転地療養地」としても有名となり、画家「青木繁」をはじめとして多くの画家たちが館山を訪れ沢山の作品を残しているという。さすが日本の最先端の地と言えましょう。

2018年2月25日日曜日

十二単と日本”色”文化


きもの学校で「十二単(じゅうにひとえ)の着付け授業」を見させて頂く機会に恵まれた。私の興味は「そんなに重ね着して動けるのか? 一体どの位の重さなのか?」という所にあった。実際の着付け作業を見学して、確かに大変な作業で最低でも二人の着付け係が必要なのだと知ると共に、相撲力士の世界を連想してしまった。
正面と後側に張り付き、二本の紐を操って1枚1枚と重ね着してゆく。1枚目を紐で結わき、2枚目を重ね着してからもう一本の紐で結わき、その後で1枚目を結わいた紐を抜き取る。そしてその紐を3枚目を結わくのに使う。これを前後に付いた二人で繰り返して行くのだ。
この様な装束が流行ったのは貴族文化の平安時代からと言うが、この装束によって社会的地位を平民の前に誇示していたらしい。天皇、皇后、皇太子そして官人の地位によってそれぞれ使える色が決められていたと言う。例えば天皇は「黄櫨(こうろ)色」で21世紀の現在でもこの色は天皇だけが着用しているという。平安時代の色彩には「染色」「織色」「重色」があり600種程の色彩が有ったという。8~9世紀ころに例え貴族社会に限った事とは言え、そんなに多種の色を楽しんでいたかと思うと、日本の文化の繊細さを誇らしく感じてしまう。そう言えば、カメラのカラー・フィルムを使っていた時代、米国コダック社のあのどぎついカラーと富士フィルムの自然色に近いカラーの違いを思い出していた。
ところで「十二単」も平安時代にはなんと16枚から20枚も着重ねして、四季の移ろいを衣服に表現し自分のセンスの良さを競っていたという。それにしても身分を誇示する為の努力は凄いものだ。当時の絹生地も重かったらしく全体で15~20KGはあったらしい。この時代の男子の服装スタイルを「束帯(そくたい)」というらしいが、何か聖徳太子を思い浮かべてしまう。(十二単および束帯の写真はインターネット上のものを使わせて頂きました。)

2018年2月21日水曜日

民謡ライブと広島料理


例年神田小川町「歓粋亭」で企画されている「木津かおりさん」の“民謡ライブ”に今年も行ってきました。今回は特別ゲストが横笛の「ミカド香奈子さん」で美女二人の共演による格調高い民謡を目の前で楽しむ事が出来ました。
私がこの歓粋亭ライブが気に入っているのは、このお店が広島の「中国醸造」が自前の銘酒「弥山(みせん)」を東京で飲んで貰うための直営店なので、たっぷりと弥山を飲みながら広島料理(みずな、子持ちこんにゃく、アナゴ、牡蠣 などなどの食材を生かした料理)に舌鼓を打つことが出来るからなのです。そしてもう一つお気に入りは後楽園ドーム球場の側に住む私は実は「隠れ広島カープファン」なので、この店の壁々にはカープグッズで埋められており、何とも気分爽快にしてくれるのです。