2013年12月31日火曜日

日本がおかしい、日本人を取り戻そう

遂に2013年最後の日を迎えた。昨日「年賀状を出してはみたがーー」という題でブログをUPしたが、これは安倍総理の突然の靖国参拝という出来事から私の出した賀状上の一言『日本復活』が間違って解釈されてはいけないと慌てて弁明をしたのだが、その弁明を後押ししてくれるような新聞記事を今朝見つけた。『大晦日に考える=日本人らしさよ=』と言う題の東京新聞・社説である。
頭だしの言葉が『“日本を取り戻そう”と安倍首相は言いますが、それよりも“日本人らしさを取り戻そう”と言いたい。そんなことを思った1年でもありました。』そして本文の骨子を要約すると、『今年印象深かった光景のひとつに、俳優高倉健さんの文化勲章を受けたときの会見で、「日本人に生まれて本当によかったーーー」。それを聞いて実に新鮮な感じを受けました。最近聞いた覚えが無かったからです。(略)そして健さんはこうも言いました。「一生懸命やっていると、ちゃんと見てもらっているんだなぁ」。日本人の倫理観を見事なほどに簡潔に述べています。勤勉を尊び、仕事は公正に評価される。うなずきつつ聞いた人もいたでしょう。(略)

日本人論といえば、作家の司馬遼太郎さんは、1991年文化功労者に選ばれたときの会見で、「どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう。昔はちがったろう。ここからぼくの小説を書くことは始まった」と。(略)司馬さんは、明治を書くとことで、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と諭そうとしたのでした。古い日本人をふりかざそうとは思いません。しかしそれは私たちの先人の知恵であり、振り返る価値のあるものです。(略)私たちは経済的に豊かな日本を取り戻すのか、それとも精神的に豊かな日本人らしさを取り戻すか、そこが見るべき岐路です。日本はいま自信喪失状態のようです。しかし政治にせよ、経済にせよ、日本人らしさを忘れているだけなのではないでしょうか。』といった内容でした。
そうです。来年からは私たち「個人」一人ひとりが「日本人らしく」行動して参りましょうよ。3・11のような大災害の時だけ「日本人らしさ」を発揮するのではなく、日常生活に於いても欧米の真似をして「経済の豊かさを求める」のでは無く、「人様のために生きること」で、それが自分の幸せに繋がると信じて行動して参りましょうよ。

 もう一つ寝るとお正月
  お正月には神酒飲んで、テレビを見ながらウトウトしましょう
    早く来い来いお正月

それでは、よいお正月をお迎えください!(写真はインターネット上から拝借しました。深謝)

2013年12月29日日曜日

年賀状を出してはみたがーーー

「ヤバイ!」私が年賀をポストに入れたのが12月23日(天皇誕生日)の夜たった。その時は、来年2月に「日本復活私論=その2=」というテーマで講演をお願いしたいというお話がある勉強会グループから舞い込んでいたので、私としても2014年は本当の「日本復活の元年」にしたいと希望して、殆どの賀状に左のようにメッセージを付けて出状していたのである。
ところが事件は26日に起きたのだ。安倍総理がその日に突然靖国神社を参拝したのである。私は直感的に「マズイ!」と思った。今年年初「アベノミクス」という言葉が世界中を駆け巡り、総理は自分の名前がついてしまった為に平常心を失ってしまったか、自分の目標(最終着地点)の『憲法改正』に向けて、「日本版NSC」、「特別秘密保護法」、「集団自衛権の行使容認」と着々と国会で議案を通して足元を固めて来ていたが、何を思ったか、年末が差し迫って靖国神社を参拝したのである。米国/オバマ、中国/習近平、韓国/朴たちが内政でぐらついているのを機に、丁度総理大臣になって丸1年を記して強気に出たのかも知れぬが、ちょっとばかり読みが浅かったのでは無いのか。年末にそんな行動を取ってくれた事が私にとっても「やばかった!」のだ。
こんな雰囲気の下で、私が賀状に「2014年を日本復活の元年に」と言ってしまっては、あたかも「日本国民のナショナリズムを高揚させ、あの第2次世界大戦突入の時のように持って行く為に憲法を変え、そして戦争ができる国に持って行く」安倍構想が日本復活の第一歩だ、なんて私も同調しているのではと皆さんに取られはしまいかと不安になったのである。
私の言う「日本復活」とは全く政治や経済には関係していない。昨年私が発表した「日本復活」の原点は『Y染色体ハプログループによる研究で日本人は古い特異な人種(D系統)で、人類の根源に近く風土への順応性が高く、自然と共生してゆく種族』だという考えにあり、これからの地球上では日本人の考え方が世界中の人々から理解され、そして真似されて行くと信ずるのだ。私は来年こそ世界中がそんな日本人に気か付く「元年」になって欲しいと願っているのだ。

このような日本の持つ力を「ソフトパワー」と言うそうだ。これに対してアメリカが持つ「軍事力」や「経済力」は他国に政策を変える様に促す為に使える「ハードパワー」だそうである。ハードパワーのように無理やりに従わせるのではなく、味方にする力、それがソフトパワーだとジョセフ・S・ナイは自著『アメリカへの警告』(日本経済新聞社)の中で言っている。つまり私は「D系統の日本人のソフトパワーをそろそろ世界中が気が付き始める」そんな年になって欲しいなぁ、と願っているのだが。

2013年12月19日木曜日

まだ残っていた『針供養』


<特大の豆腐に針>
この12月8日 私の勤めている専門学校で『針供養』が行われました。ファッション校、きもの校の学生さんが日々お世話になった針に対して感謝の意を込めて折れた針や使い切った針をお豆腐に刺して神様の前で供養すると言う儀式です。
産業の近代化にともない、縫製も自動化されてゆくに従って針を使っての手作業が激減して、この針供養も廃って行ってしまいました。今ではこのようにして針を使って縫うことを学ぶ専門学校に於いてひそやかに守られている儀式だそうです。
<皆さんでパレード開始>
この針供養は関西方面では12月8日、そして関東以北は2月8日に行われるそうですが、両日やる地域も有りそのようにはっきりと分かれているわけではなさそうです。しかしそもそもは12月8日が「事納め」の日で「農耕具を納めて休む日」2月8日は「事始め」で「農耕を開始する前の休息日」としてこの「事納めの日」「事始めの日」を「事八日」と呼び針仕事も休む日と考えられていました。そしていつも硬い布を相手に縫っていた針に「ご苦労様でした」という気持で、今日だけはと柔らかな「お豆腐」に針を刺してあげて供養をしていたのです。


この日は学校の近くの神社から神主さんを呼んで厳かに神様の前で裁縫を学んだ大勢の学生達がそれはそれは大きなお豆腐に感謝を込めて針を刺して供養を致しました。その後学生達がその巨大なお豆腐をかごに乗せて担ぎ、学校の周りの商店街をグルリとパレードさせて頂きました。周りの方々が珍しそうに眺めておりましたが、このような習慣を一般の方々に知っておいて欲しいし、今後も末永くこのような習慣が残り続けて欲しいものです。
<商店街をお豆腐を担いでパレード>


2013年12月11日水曜日

「京都の紅葉」を楽しみました

<東福寺:正面が「通天橋」>
<東福寺の見事な紅葉>
不思議なご縁で繫がっているグループが在ります。このグループが誕生したのが11年前の2002年で、現在のメンバーは7人ですが、会社の仲間、取引先同士などで構成されているのですが、その繫がりが単純ではなのです。例えばAさんがBさんを紹介すると、そのBさんは偶然にもCさんとも知り合いだったといったようにそれぞれが不思議な縁で複雑に絡み合っている集まりなのです。またメンバーのお住まいも東京、大阪、京都と各地に広がっています。このグループは【ここや会】とメンバーの一人が命名しましたが、この名の語源は、「メンバー全員が“滅私奉公”を終え“活私奉妻”の立場になったが、どうしらいいか分からない。そうだ、それは“仲間同士”で集まって考え出す場所、それが“ここや!”。そしていずれこの会も“好々爺会”に変貌して行くのだ」と言うことで、会員のそれぞれの繋がりも甚だ面白く、そして会えばそれはそれは楽しい集いとなってしまうのです。ちなみに今年2月のブログでこの会の例年湯河原での「新年会」の様子を「朝寝、朝酒、朝湯が大好きでね!」という題名で紹介しましたが、今回は31回目の集いとなるのですが、京都在の方が12月1()~2日()、1泊2日の旅「京都の紅葉を訪ねて」という企画を組んでくれたのです。
<智積院にて皆さん>
<保津川下り>
紅葉の綺麗な庭を持つお寺を集中的に廻るという事で、1日目は東福寺から始まり、智積院、養源院、方広寺と廻り、2日目は嵐山の紅葉を船から眺めるという企画で「保津川下り」を体験し、午後には源光庵、光悦寺の美しい庭園を巡るという京都のモミジ紅葉を存分に堪能することが出来た二日間でした。感謝!
<源光庵・悟りの丸窓、迷いの四角窓>

2013年11月25日月曜日

横浜西洋館を訪ね歩く

<アメリカ山公園にてI氏による行程の説明>
11月24日 快晴の日曜日、【歴史と文化を語る会】に参加して、横浜の「山手地区」を歩いて参りました。目的は横浜開国の歴史に触れ、山手の洋館を訪ねるという志向。集合場所はみなとみらい線「元町・横浜中華街駅」に午後2時。しかし初っ端から驚かされました。 この駅を出てエレベータに乗りますと、一挙に「山手外人墓地」のある山の山頂「アメリカ山公園」に出てしまうのです。下から上ってくると大変な場所が今では一挙に天辺に着いてしまうのです。そのアメリカ山公園の芝生にて今日のコースに関する解説が行われました。参加者は全部で12名。今日のコースは「横浜市イギリス館」→「山手111番館」→「山手10番館」→「山手234番館」→「エリスマン邸」→「ベーリック・ホール」と巡り、それから中華街に出て「懇親会」といった行程です。

<横浜イギリス館>
<山手111番館>











<スペイン瓦>
今日のガイドをして頂いているI氏は一級建築士であり伝統技法研究者でもある方で、最初の訪問先「横浜市イギリス館」に関して、「この建物は屋根が“スペイン瓦”で覆われています」の説明に関心を持ちました。そして次の「山手111番館」に来ると「この建屋の屋根には“フランス瓦”が敷かれています」の解説にまた驚き! その違いは左の写真で示して置きましょう。スペイン瓦は円筒の管を半分に割りそれを交互に重ねて行くデザイン、そしてフランス瓦は日本瓦に似ていて重ね葺きに繋げてゆくデザインだそうです。


<フランス瓦>
そして今日最後の「ベーリング・ホール」の建屋も“スペイン瓦”が使われているそうです。
これら洋館は関東大震災ですべて破壊されそうで、横浜を逃げ去った外国人に戻ってもらおうと、日本の建築家(例えば浅香吉蔵)によってヨーロッパ建築を再建したそうです。日本人の匠技は本当に大したものですね!

<壁泉の例>
今日の洋館めぐりでは、もう一つ興味をもった設計があります。それは庭の塀や建屋の壁に張り付いた動物の顔したお面の口から水が出る噴水、これを【壁泉(へきせん)】と言うそうですが、これにも大変に興味を持ちました。

そして打上の懇親会は「横浜中華街」に出て、「横浜婆祖廟」に寄って今日の無事を感謝してお参りをした後、予約先の広東料理のお店で美味しい料理を皆さんで楽しみました。


<山手234番館・設計者は浅香吉蔵>




2013年11月15日金曜日

今年も『日本スリーデーマーチ』を歩く

さぁ!スタートだ
今年も、11月2~4日の3日間、東松山市で開催の『日本スリーデーマーチ』の初日20kmを歩いて参りました。初日20kmは『和紙の里、武蔵嵐山』コースで私に取ってはここ数年2日目に参加していたので、このコースは久しぶりでした。
昨年は35回の節目と言うことで大変に派手に催していたと記憶していますが、それに比べ今回は昨年よりはチョット静かさを感じました。それでも催しの冠に「日本」と付くだけあって、さすが日本一のウオーキング・イベントで、朝の東武東上線「東松山」駅は平日の通勤ラッシュのごとく人でごった返しておりました。スタート点になっている「松山第一小学校」の校庭には、この3日間だけは世界の国々から、そして日本の各地からウォーキングが好きな人々で溢れかえっているのです。


市野川べりに出て
このコースの特徴は、全体的にフラットなコースですが、スタートしての小一時間は住宅街を通り抜ける単調な道で今一つなのですが、市野川の土手沿いに出ると、田園風景に変わり視界がパット開けて気持ちがいいのです。途中「鎌倉街道」に入ると「鬼鎮(きじん)神社」を通過。この神社は鬼を祀っているので節分の時には「福は内、鬼は内、悪魔外」と変わった連叫で有名だそうで、節分祭には近隣から多くの人を集めるそうです。およそ10km歩いた中間点が「菅谷館跡」となり、その公園の芝生にて10時半には早い昼食を取りました。
「菅谷館(すがや・やかた)」とは、平安時代末期から鎌倉時代を生きた「畠山重忠」の住居と伝えられ、その広大な土地には空掘りなどがあるところを見ると「お城」のような設計になっていたようです。畠山氏はそもそも「秩父平家」の系譜を引いていて、その後源頼朝に仕える「御家人」となり、鎌倉入りの際には先陣を努め多くの手柄を立て、頼朝からも厚く信頼されていました。しかし幕府内の勢力争いに巻き込まれ北条氏の陰謀により42歳の若さで二俣川(現在の横浜市旭区)にて討死した、平家と源氏の両サイドを渡り歩いた悲劇の主人公のようです。

昼食後は都幾川の河岸段丘に沿って歩き、「原爆の図」で有名な「丸木美術館」を通過、「唐子中央公園」を抜けて関越自動車道を跨いでスタート地の中央会場に到着したのが午後1時半。早速東松山の名物「焼きトン」と生ビールで乾杯! 毎年の事ながら、すこぶる健康的な一日でした。
丸木美術館・ 『原爆の図』

2013年10月20日日曜日

【神田川上流部】ひとり歩き

<井の頭池【お茶の水】 いまも水が湧き出ている>
ある日【神田川再発見 歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる】という題名の本(神田川ネットワーク編 東京新聞出版局)を友人から紹介されました。(左写真)題名の中に、「歩く」、「江戸」そして「歴史」といった私にとっては、たまらない単語が羅列されています。早速Webで中古本が見つかればと検索すると、なんと618円でゲットすることが出来たのです。この本は実に内容が濃いのに驚かされ、そして本の価格が1500円(税込)というその安さにも驚かされたのです。
この本の内容の濃さの例として、神田川に沿っての行程を1km位に区切って細かに分かりやすく手書き地図(上図)を掲載してくれているので、すぐに歩きたい気持ちにさせられます。(赤線は私が歩いた行程)更に凄いのがこの図の説明文ですが、これまたその地域の特徴から、各々の橋の名前の謂れや、神田川に沿った神社仏閣、公園などの歴史的説明と、兎に角至り尽くせりの内容なのです。最初の「井の頭池」の説明はこんな言い回で始まっています。
<井の頭池・弁天橋から>
「江戸名所図会に、『池の中に清泉湧き出するところ7所ありて、旱魃にも涸れることなし。故に“七井の池”ともいう。慶長11(1606)年家康公この池に至らせ、池水清冷にして味わい甘美なるを賞揚し給い、御茶の水に汲ませらる。また寛永6(1629)年、家光公ここに渡御なしたまい、深くこの池水を愛され、御手みずから辛夷(こぶし)の木に“井の頭”と彫り付けたまう。これより後この池の名とす』とある。」ってな具合です。
<「正用下橋」で孫と>


10月14日 「体育の日」の祭日、清々しい秋晴れの朝、居てもたってもいられず、この本を小脇に抱え、朝7時に家を出て吉祥寺に向いました。神田川に沿って歩く途中「高井戸」に息子家族が住んでいるので、孫を呼び出して会うことも出来てラッキーでした。この日は「環七通り」まで歩き、そこで打ち止めとし、方南町から地下鉄丸の内線で帰宅しました。家に戻ったのが午後2時20分でした。次は近いうちに残された部分、環七の「方南橋」からスタートして神田川が隅田川に出るところまでの【神田川都心部】を歩きたいと思っています。

2013年10月13日日曜日

友達っていいな~~~ぁ!!



<りんご園から浅間山>
大学の同期で「ちば三九会」と名づけた集まりがある。“三九”とは“昭和39年入学”から来ているのだが、これは入学するのは皆一緒だが、卒業はマチマチという事から入学年次を会の名前に付けた。卒業してから45年の歳月が経ち、仲間の数人はすでに“古希”を済ませ、大勢は来年迎えるのだが。今回は、定年後清里で農業を営んでいるT氏、そして佐久平の立科でリンゴ園をやっているN氏と久々に会おうという企画が組まれ10月10~11日で実施された。丁度紅葉の時季でもあり、大学生時代にスキーに、そしてアルバイトにと思い出のある浅間山の脇にある標高2000mの「高峰温泉」が宿に組み込まれた。
 
<紅葉と仲間達>
何年振りかで会った仲間達だが、一瞬にして打ち解けてしまう。
雲上の野天風呂、たまらない仕合せ感。
いつまでもこうしていたい。
もし熊が近づいて来たらどうしよう。
この温泉の湯でも飲ましてやろうか。
<りんご園にてN氏を囲んで楽しいひと時>
本当に楽しい2日間でした。友達っていいな~~~~ぁ!

2013年10月6日日曜日

面白かった2冊の本

秋は「読書の秋」とよく言われるが何故だろう。「スポーツの秋」はくそ暑い夏を終え秋に入ると小中学校で運動会が催され、国体も開催されることから理解できるし、「食欲の秋」も美味しいものが沢山出てくる秋だから理解できる。しかし秋になれば日も短くなり読書には向かないし、美味しい物で腹が一杯になれば眠気が差して本も先に進まない。

とは言いながら、この秋に面白い本(2冊)に行き逢った。その1冊が【強欲資本主義 ウオール街の自爆】(神谷英樹著 文春新書)である。この内容骨子は「これまでの強欲化した資本主義は一部の人たちが巨大な富を形成し、一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。その巣があの“ウオール街”にあるが、その仕組みが今崩壊しつつある」という。「その強欲資本主義から脱するためには当面世界経済を縮小せざるを得ず、誰もが苦しい困難な時代を迎えよう」と指摘する。私も我慢を恐れず早くそうなるよう求めたいのだが、強欲な金融市場が自制するとは思えないので、行く着くところまで爆走し致命的な第2の「リーマンショック」を待つしかなかろう。覚悟しています!

さて2冊目だが、【“ご縁”という日本の最強のビジネス法則】(釣島平三郎著 講談社)を友人から頂いたが、頂く理由が「あんたがいつも主張していることと全く同じような事が書かれているので、読ませてやろうと思った」ということだった。内容骨子は「古来の日本人の“自然との繫がり”を大事にする思想と“仏教の縁起の法”の影響があり、現代の日本人のDNAにも確実に引き継がれており、欧米の“近代西洋合理主義”とは違うのだ。“縁起の法”とは、例えば「花が咲く」というのは、種子が直接の「因」であり、それに土を耕し、水をやり、肥料を撒くという「縁」が働いて、初めてその結果として「花が咲く」ということを日本人はDNA的に理解しているのだ。アメリカ人にはその「因」-「縁」-「果」の過程を「因」-「果」的に理解しているのだ。なるほど私の「日本復活私論」もあながち奇論では無さそうだ。

そんな訳でもう「アメリカ追従」はそろそろ控えめにして、私達の孫やひ孫の世の中を思い、アジアの中の日本という立場で「日本独自(大人になった日本)路線」を構築して行くべきではないのか。その為には日本人一人ひとりの理解と行動に掛っているのだ。

もしご興味あればこの2冊をお読み頂くとうれしいです!

2013年9月23日月曜日

やっぱり【祭り】は楽しい!!

この9月2122日の週末、我町会(本郷田町)のお祭りだった。何時もは顔を合わせないが、この日だけ会える沢山の人が集まってくる。そして普段はなかなか経験できない事だが、子供達を集めて一緒にゲームを楽しみそしてお土産を配るときのあの楽しさ。大人も「エイッサ~~、エイッサ~~」と掛け声高く神輿を担ぐ。この開放的な【叫び】は健康に好いだろうし、気分をすっきりさせて翌日からの新しい活力を生むとすれば精神的にも大いに効果が有るのだ。私も肩が痛くならない程度に神輿を担がせて頂いた。
<壱岐坂太鼓 子供達による演技>


<神輿の鉢合せ 間に挟まれた車はどうする?>
年々だが、子供達が多くなり、女性の参加が増え、そして外国人の参列が増えているように思う。本当に嬉しい限りである。今年は隣の「白山神社」と我「桜木神社」のお祭り日が重なってしまい、神輿の担ぎ手も各地に分散してしまって迫力に欠けるのではと心配していたが、良くしたもので皆さん掛け持ちしてくれて、それはそれは盛り上がったお祭りだったのです。むしろ我神輿と白山神社側の神輿が初音町の交差点で鉢合わせし、交通整理のお巡りさんが目の色変えて笛を吹いて車を誘導している姿は興奮を誘いました。そもそもは2神社の開催日は違うので、今後こんな出来事は二度とないのかも知れないので我ら地元民にとっては貴重な体験だったのです。
<白山通り・初音町交差点のど真ん中で鉢合せ>

2013年9月6日金曜日

【文京ふるさと歴史館】にてガイド役

<文京ふるさと歴史館の入口>
私は今年に入って【文京ふるさと歴史館】の『常設展示解説ボランティアガイド』になりました。文京区の歴史を再確認しながら、歴史館を訪ねて来られた方々に内容を楽しく伝えて行くことが出来たらと思っています。文京区といえば「台地」と「坂」と「水」の織り成す歴史の世界なのです。文京区付近は旧石器時代にはリアス式海岸のように台地が突き出し、台地間には深く谷が食い込んでいたようです。従って海岸に近い部分では多くの貝塚や遺跡が見つかっています。
<弥生土器>
文京区の“弥生町”から「縄文土器」とは違う土器が発掘されたことから「弥生土器」と命名され、その時代を「弥生時代」(紀元前5~4世紀から紀元3世紀)と呼んでいます。
私は来場者への解説で特に力を入れて紹介しているのが次のようなポイントです。(1)「縄文土器」と「弥生土器」とはどこが違うのか? (2)千駄木貝塚から縄文時代の人骨が発見されたが、なぜ数千年を経てもそのまま残っていたのか? (3)「弥生土器」の発見された場所は今も謎です。しかし本命の場所は? (4)酒問屋「高崎屋」のお屋敷図は当歴史館の重要収蔵品なのですが、さてこの絵はどっち向き(方角)の絵か? 
<高崎屋のお屋敷図 さてどの方角か?>
(5)樋口一葉と五千円札について などなど沢山興味のあるお話を用意しています。

今度は11月23日(勤労感謝の日)11:00~14:00、文京ふるさと歴史館にて解説ボランティアガイド役でお待ちしておりますので、文京区の歴史にご興味のある方は是非お越し下さい。私のアテンド日時がまだ随分と先の話しですので、その日時が変更になる場合がありますので、お越しの方は事前にメールにてお知らせ下されば有り難いです。

2013年8月31日土曜日

メタボリックシンドロームからの脱出

2年前の平成23年7月つまり私の誕生日の月に文京区から届く年一度の「定期健康健診」を受診しましたが、その診断結果は「メタボ警戒です。文京区が企画している【健康プログラム】に参加しましょう」とのコメントが付いていました。どうやら診断結果を見ますと、赤字で表示されていた項目、LDLコレステロール(161)、空腹時血糖(197)と高く、最もショックを受けたのが腹囲の91cmでした。その結果として「メタボリック予備軍」と診断されたのです。
そもそもは欧米の生活体系、食文化が日本に蔓延した結果、高血糖や高血圧が重積して相乗的に動脈硬化性疾患の発生頻度が高まり始め、日本政府が早く手を打とうとメタボリックシンドローム概念を取り入れ糖尿病対策を行う方針が打たれ、平成20年4月から【特定健診制度】が実施されたわけですが、このお蔭で私はラッキーにも不名誉な「メタボ予備軍」と判定されたわけです。(動脈硬化の危険因子につては右上の表参照)
早速昨年の1月から半年の【健康プログラム】を受けました。この【健康プログラム】の内容は、2カ月ごとに区役所の健康センターに出かけて身体検査と簡単なストレッチ体操をするのですが、初回に【私の健康スタイル宣言】をさせられ、その目標を達成するための3つの約束を書かされます。私は次のように書きました。
『私は自分の「健康スタイル」として、体重:66.0kgを目標とし理想の自分を手に入れます。これを達成するために①週に1回休肝日を設ける、②週に最低1回スポーツジムに通う、③椅子運動を毎日5分実行、を宣言します。』

そしてそのプログラムの2回目からは、健康アドバイザーから“3つの約束”が守られているかの問診を受けます。そして昨年の誕生月の7月になり「定期健康健診」を受けましたが、体重が66.6kg、腹囲が87cmと診断され残念ながらまだ目標は達成されなかったのです。悔しさの余りに、もう一度【健康プログラム】を受けることにすることで自分を落とし込めば道も開けようと判断したのです。その2度目の【健康プログラム】の最終検診日がこの8月14日だったのです。なんと体重65.8kg、そして「腹囲」は85cmとなっており、遂に「メタボリックシンドローム」からの脱出に成功し【修了証】を受領できたのでした。(現在では上の写真のように腹囲84.5cmになっています。)
 

厚生労働省では凡そ2000万人が「メタボ予備軍」と推定しており、平成27年度までに25%減を目標にしているそうで、私はその500万人の内の一人になれたのです。その日も猛烈に暑い夏日でしたが、区役所から外に出た時はなんとも軽やかな足取りだったのです。

2013年8月1日木曜日

夏の「教職員宿泊セミナー」に参加して

(社)東京都専修学校各種学校協会の主催による『夏季教職員宿泊セミナー』が7月30日(火)~31日(水)の1泊2日で逗子にある「湘南国際村センター」にて開催されたが、教育分野に飛び込んでまだ半年の私は、「よし、先生の世界を勉強しよう」と参加してみました。参加者総数は22名で年齢的には2030歳台が殆どで多分私が最も長老だったのでしょうか。このセミナーは次のようなプログラムで2日間がビッシリと埋まっていました。
<湘南国際村センター>
<1日目>
10:00 「開会式」
10:30~18:30(途中昼食に1時間)
       講演と実習「カウンセリングを学ぶ」
19:00~20:30 夕食&懇親会
<2日目>
9:00~10:30 講義「レクリエーション指導法」
          ~お互いがすぐに打ちとけ合う方法~
10:40~14:00(途中昼食に1時間)
       グループ・ディスカッション
           テーマ「担任の役割」
14:15~16:00
       講義「学生指導に大切なココロの講座」
16:00~「閉会式」 (終了証授与)


と言った内容でした。このセミナーで私自身が頭の整理が出来たのは「カウンセリングの手法」に関してでした。つまり「カウンセリング・マインド」とは「自分の目の前にいる人と信頼関係に満ちた暖かい人間関係を作ろうとするこころ」という事だそうで、つまりは「話を聞き、それに対して答える」のでは無く、「話を聴き、そして相手の立場になって応え、そしてその相手が自分自身で気づかせてゆく」それが「カウンセリング」と言う事だと学びました。つまりカウンセリングは相手に「解」を与えるのではなく、相手が自分で「解」を見つけるガイド役なのですね。なるほど!

2013年7月15日月曜日

7月21日【参議院選】どうする?

またまた冴えの無い選挙がやってくる。1000年振り?の猛暑でグッタリしている所に「チャント先が見えているのか」甚だ疑問視させるような立候補者が街頭で大声を挙げて暑さを倍加させている。それも先月の都議会議員選挙での自民党の圧勝に引き続き、国会の捩れを無くそうと主張する自民党の完勝となれば、日本のお先は真っ暗と言えよう。
そして「アベノミクス」のいずれ行き着くところは「アベノミクス・バブルの崩壊」という結末だろう。
そもそも各党が掲げる「選挙公約」の中で、何と「原発廃炉」とか「エネルギー政策」をいの一番に挙げている政党は殆ど無い。神様が我々に与えた警告「3・11東日本大震災」は一体何であったのだろうか。まだあれから2年半しか経っていないのに、全く無関心でいられる国民性が思いやられる。日本人はいつからこんなに倫理観に薄い民族に変ってしまったのだろうか。酷いのは自民党の「安全が確認されたら、原発再稼動」とまで平気な顔で言っている非常識さである。
しかし今回の選挙の「インターネットを使った選挙運動解禁」というところが注目されるところである。読売新聞の調査だが、「投票先を決めるときに最も重視する政策」を聞いた時の9の選択肢に関する200の単語を設定しツイートした結果、何と最も多かったのは【原発、再稼動】の単語を含む「エネルギー政策」がトップ(95.6万件)で「景気や雇用」(87.7万件)がそれに続いたと言う。しかし全国世論調査では「景気や雇用」がトップで次が「社会保障」、「消費税など税制改革」が続き、何と「エネルギー政策」は7位である。そして世論調査では、「インターネット選挙運動の結果を重視するか」に対して、「重視しない」が60%以上と言うから、きっと今回の選挙も「大きな変革に躊躇する世代」の投票によって自民党が勝ってしまうのだろうか。何という不幸なことであろうか。
しかしこのインターネット選挙運動の結果が、今の日本の危うさと、将来はきっと変わって行くだろうという期待を示しているように思う。
つまり目先の事で人を選んでしまう年齢層がメジャーを占める現代から、倫理観をベースとして10年、50年先を見据えた上で適切な政治家を選ぶ時代になるのは、今回のインターネット選挙運動を注視するような年齢層がメジャーとなる時代が来るまでしばし我慢が必要なのかも知れない。