2016年9月19日月曜日

「敬老の日」と「楢山節考」

「敬老の日」の新聞に、「遂に65歳以上が3500万人、総人口に占める割合が27%で、過去最多を更新』と載っていた。その3500万人の内半分の1500万人が75歳以上だという。このような話になると私はなぜか「申し訳ないな」という感じになってしまう。そう思わせるのは、若い人たちに対して「私たちは邪魔になっているではないか」と感じてしまうからか。この人口問題は、しばらくの間は”最多更新記録”は続いてしまうのだろう。
今、私は「生と死」に関してのエッセイを書き始めたのだが、この最多記録更新を抑える為には、出生率が下がっている現状下、死亡率を上げて行かねばならない。どうすればいいか? 現在年間160万人が亡くなっているそうだが、平成26年度「厚生労働省白書」によれば、アンケートで「どこで最期を迎えたいか」の問いに対して半数以上が「自宅で」と答えている。1950年代には8割以上の人が自宅で亡くなっていたが、現在では自宅で亡くなる方は10%強だそうだ。ここに「どうすればよいか?」の最大のヒントが有りそうだ。人間以外の動物、生き物はいったい自分の死期をどのように処理しているのだろうか? 繁華街にあんなに沢山いるカラス(最近は少し減り気味)だが、都心でカラスの死骸は殆ど見ることが無い。彼らはどうしているのだろう。実は彼らは山奥の木の上に作った巣の中で息をひきとるのだ。そんなことを考えていると、深沢七郎著『楢山節考』のストリーが蘇って来る。よし、今度のエッセイでこの辺の提案、つまり「こうすればいいのでは?」の解決策を提示してみようか?

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