私は古道「一人行脚」に大変興味があるのです。今は姿を消しつつある古道を、たった一人で歩くのが好きなのです。これまでに静岡県・相良町から新潟県・糸魚川市までの【塩の道】350km、そして福井県・小浜市から京都・出町柳までの【鯖街道】75kmを一人行脚して参りました。
【鯖街道】の紀行文の最後に私はこんなことを書いています。
〔友人から「最初に【塩の道】で次に【鯖街道】を歩いて来て、今度はどこですか?」と質問を受けたので、即座に「塩、そして鯖と来れば、あと足りないものは何ですか?」と返答して、続けて「そうです。足りないのは酒です!ですから次は【酒街道】を探します」と答えていました。その時私の頭には「きっと昔 杜氏が通っていた道が在るかもしれない。どうしても見つからなければ自分でそんな街道を作ってしまえばいい」と勝手な事を考えていたのです。〕
これが2010年5月の出来事でした。
インターネットで「酒街道」を検索しても、それらしき街道は見つかりません。しかしある日「気仙沼商工会議所」が出していた観光資源活用トータルプラン『時を紡ぐ空間づくり』の企画書(2006年)の中に【黄金酒街道】の活字を見つけたのです。この資料によると黄金酒街道は一関市から気仙沼市までの国道284号線(気仙沼街道)上に4つの古い酒蔵があり、この4酒蔵の日本酒に共通用語ラベル貼ることから、そのように名づけたとありました。そこで私は「よし、それなら黄金酒街道を日本海まで延長して、その線上に存在する酒蔵を横串に刺して、そこを【酒街道】と名づけよう」と思い地図を見ながらのルート作りと酒蔵をチェック、遂に私の【酒街道】が完成したのです。 ルートは【黄金酒街道】の一関市から芭蕉の【奥の細道】に沿って鳴子温泉峡~尾花沢~新庄と繋げ、そして最上川に沿って日本海の「酒田市」が最終地となる、本州をほぼ北緯39度線に沿って横に突っ切ったのが「私の酒街道」なのです。ゴール地の名前は何と「酒」の田んぼですよ。この街道沿いに12の酒蔵があります。(下の地図の番号①~⑫は酒蔵の場所です。)これらの酒蔵を訪ねながらの「一人行脚」も楽しかろう、と心ときめいておりました。
しかし2011年3月11日、大地震と共に大津波が気仙沼市を襲い、きっと「昭和レトロ」の港町も大打撃を受けてしまった事でしょう。被災された皆様が一日でも早く平常の生活に戻れる事を切願し、私の【酒街道】行脚も無期延期としました。