2015年1月31日土曜日

『そば打ち』の精神を学ぶ

<このドアを開けて緊張がスタート>
1月最後の日、空は真っ青に晴れ上がっている。今日は緊張の一日となるそば打ち修行の日。経堂にあるそば打ち道場【愚直庵】に午前10時過ぎに到着。前回ここに通ったのが昨年の7月とすれば、半年に1回の割合なので、決して「修行」などとは言えない。そこで私はこの道場に通うのは、そば打ちの精神を勉強させて頂いているのだと屁理屈を付けて通わせて頂いている。従っていつまでたっても、細くて形の整ったそばは作れるようにはならないであろう。さて、どのようにそばが生まれるか、写真を通してご覧頂こう。

<1。へそ出しの後の三角錐>
まずは500gの特性そば粉と水250gを「木鉢」に入れてこねる。これを<水まわし>と言うが、この作業がそば粉が形を変える最も神秘的なところ。水は最初に8割位いれて、捏ねているとプ〜〜ンとそばの匂いがしてくる。そしてそば粉と会話している気分になってくる。「美味しい蕎麦になってくれよ!」と。
<2。じのし>
暫くして残した水の量の半分を手水でさし、更に指先を使ってこね回す。すると「あら!不思議」そば粉が団子になってくる。そして最後に残った水をたらすと、益々大きな団子状態となる。これを一つに纏めて、つぎはその固まりを練り込む。これを<菊もみ>という。そして固まりの中から空気を抜く為に<へそ出し>を行いながら、最後に形が円錐形になるようにまとめる(写真1)。次はそれを手のひらで直径30cmほどの円盤形にのして(<地延し>:写真2)その後で「のし棒」で外に外にと延して丸形を広げて行く。これを<丸出し>と言う(写真3)。
<3。丸出し>
次は「巻き棒」に巻き付けて押し転がして<四つ出し>、<幅出し>、<本延ばし>の作業で、50cm X 80cm位の長方形サイズまでに広げる。この時厚さがおよそ1.5mmになっている。これを四つにたたんで(<たたみ>:写真4)、いよいよ包丁で切る(<切り>:写真5)。

<4。たたみ>
これからが一番精神統一が求められる<切り>である。ここが【愚直庵】の精神である「急がず、慌てず、欲張らず」なのだが、修行の足りない私は、ここで慌ててしまって、そばの太さがバラバラになる。包丁を構える姿勢、狐指で駒板を軽く押さえる、駒板は平行移動、手前の折り目をつぶさない、なんてあれやこれや注意事項があるのだが、どれかを意識すると他の事が疎かになる。そんな結果が最終の「成果物」にしっかりと現れてしまうのだ。毎回、【蕎麦道の教え】である『偏らず、拘らず、囚われず』に事を進めるのが如何に難しいかをこの道場で学ぶ。
<5。切り>
しかし我が家族は知っている。太さが疎らでも、やはり十割そばがいかに美味いかを。それが私への救いである。明日は孫達がこの成果物を食べに来るのだ。

このそば修行にはもう一つの魅力があるのだ。それは修行が終わったあとに、富士山の勇姿が見える3階の【いろり部屋】で、奥様お手製の美味しいお料理をご馳走になれるのだ。いろりでの焼き魚や鍋料理などなど、そしてそれに美酒付きと来ては、贅沢三昧のたまらないひと時なのである。もしかすると、これが目的で私は【愚直庵】を訪ねて来ているのかも知れない。
【愚直庵】を出る頃は夕方の4時30分。小田急線・経堂駅のホームからは、夕日に光る富士山がくっきりと見えていた。明日はみんなに喜んで貰えるだろうか。
<小田急線・経堂駅ホームからの富士山>

2015年1月26日月曜日

ボランティア・ガイドをして早3年目

年月の流れるのは歳を取れば取るほど速くなると感じます。文京区の「ふるさと歴史館」での常設展示解説のボランティア・ガイドをさせて頂いて早くも2年が過ぎました。最初の頃は、「うまく説明が出来きるか」とドキドキしながらガイドをしていましたが、歳を取ると羞恥心が薄らぐのでしょうか。最近では恥をかいても仕方なしと割り切って図々しく解説が出来るようになりました。
それでは、私のガイドの「コツ」をお話しましょう。まず、お客様との初対面で最初の質問が、「今日はどちらから来られましたか?」と聞き、次に「この歴史館ではどのくらいのお時間がございますか?」そして3つ目の質問で「今回、特にご興味持っているものございますか?」と聞くと、この辺で相手とも親近感が生まれて来て、さてどんな内容でお話しようかとその内容が決まるのです。そして1、2階をご案内して大体20〜30分に纏める様にしています。

 この歴史館は1階が歴史テーマで「旧石器時代」から「現代」までの歩みが展示されていますが、実は「中世」がボッコリ抜けていて「弥生時代」から「江戸時代」にピョンと飛んでしまいます。何故なら文京区弥生町から発掘された「弥生土器」でもお分かりのように、文京区には5つの台地(本郷台地、白山台地、小石川台地、小日向台地、関口台地)があり、この辺が原始時代からリアス式海岸の形になっていた為に、石器時代には多くの人類が住んでいたようで、数多くの遺跡が「貝塚」とともに発掘されています。しかしその後は関東地方が歴史上に登場する場面が殆どなく、徳川家康が江戸に進出して来てから再び注目される地域となったのです。
<酒問屋「高崎屋」大屋敷 二世「牛長」は何故この絵を描かせたか?>
近代産業としては、東大・医学部が有ったせいで、湯島、本郷に医療機器の問屋が集中し現在に至っています。また「講談社」や教科書を作る「日本書籍」や「東京書籍」が小石川地区にあったせいで、「共同印刷」や「凸版印刷」を中心に印刷、製本、出版の町に発展して来ました。
さて2階は、「江戸の町家と商家」「江戸の産業と職人」「武家・大名屋敷」「江戸の信仰と娯楽」さらに「文人の町」などテーマ別に展示されています。
<「やっちゃば」のジオラマ>
2階での私の解説の一例として、●「現金安売り」で大成功した酒屋「高崎屋」●江戸時代に歯磨き粉「乳香散」の販売で大人気だった本郷三丁目の「かねやす」。そこで江戸の川柳に「本郷もかねやすまでが江戸の内」と詠わ本郷の代名詞となりました。●駒込にある富士神社では「富士講」(富士山信仰)がはやり、そして現在駒込病院のある高台は江戸将軍の「鷹狩り」の名所で、また駒込で採れた「ナス」を青物市場「やっちゃば」で売っていたのです。おやこれは「一富士二鷹三茄子」ではないか? これは徳川家康の誕生した駿河の国(静岡県)の名物を初夢に見るとその年は縁起がいいと言うことから来ているという説がありますが、私は駒込の名物から生まれたのかも知れませんよ、なんて解説しています。 
次回、私のガイドは 3月21日(土)13:00〜16:00でございます。もしお暇が取れましたら「冷やかし」にご来場ください。お待ちしています。

2015年1月17日土曜日

この歳にして何と驚きの片道660kmのドライブ(後編)

◆後編の前に【中編】がありますので、下の【中編】からお読みください。

<まだここは写真撮る余裕あり。難所はこの先>
私は知っている。雪道で車を一旦停めると、再スタートの時に【技】がいることを。薄らと地面を覆っている雪と相性の合った最適のスピードでここを乗り切るのだ。「あ!」前の車の後輪が空回りして先に進まないようで、段々と私の車に近くなって来る。「やばい!」あの車を避ける為に私は今の轍から外れたくない。しかし、なんとラッキーなことか! 前の車が左によけたのだ。何故かその理由は分からないが、私は同じ轍をそのまま走る事が出来た。今にも停まりそうな低速で雪との相性に注意しながら走り続ける。後ろに続く車も私を抜こうとせずくっついて来る。「一本松」付近が上りのピークであろうか。道は下り斜面に変わり雪も極端に少なくなった。ワイフと顔を見合わせ「ホッ」とため息をついた。 
<岡崎城:ご対面出来ず残念!>
四日市JCT手前の「御在所」通過が10:55なので、そんなに大きな遅れは無いようだ。しかしその後「伊勢湾岸道路」に入って最初の渋滞に直面。暫くしてカーナビを見ると、「豊明IC」から外に出て国道1号線にと案内している。「エイ、ヤーァ!」と判断して外に出る(11:20)。ラッキーにも国道1号線はスムースに走っている。「岡崎市」に入りワイフとのこんな会話があった。「思ったより道はスムースだね。その先を左に折れて徳川家康の生まれた地【岡崎城】にでも寄ってみますか?」するとワイフが「何を言ってんですか、渋滞はこれから先ではありませんか。そんな寄り道していたら今日中に家に着きませんよ」とのご裁断。岡崎城を諦めてこのまま1号線を進むとカーナビが今度は「音羽蒲郡IC」から東名高速に入れとの指示。
<運転手の唯一の写真>
東名に入って驚いたことに大渋滞なのだ。これでカーナビが指示する理由が分かった。きっとその間がず〜っと渋滞たったのだ。そう考えれば国道1号線に出てスムースに来られたので、その分時間を倹約できたのであろうか。一方国道1号線は「蒲郡」からは東名から離れ、「豊橋市」を通って「浜名湖」の南側を走るので距離的には相当遠回りになるので、このカーナビの指示が正しいのかも。いよいよこれから気の遠くなるような渋滞と戦わねばならない。まずは「トイレ休憩」を取ろうと「東名赤塚PA」に立寄る(13:20)。しかし強烈な渋滞は、ゆっくり昼食を取る気になどはさせない。その理由は、休めばそれだけ他の車から置いて行きぼりを喰う感じがするからだろう。そこで「菓子パン」数個と「飲み物」それに運転疲労回避(?)用のスタミナドリンク2ケを購入してすぐに車に乗り込み、発進した。
<富士山と一瞬渋滞が解けた瞬間>
「日本坂PA」あたりから進行方向正面に「富士山」の勇姿が現れる。車はノロノロと動いているので、「歌川広重」の真似じゃぁないが、今年は多いに往路を含めて富士山をじっくりとアチラからコチラからと眺める事が出来た。それもノロノロ運転なので時間の変化とともに富士山も色を変えてくれて、夕日が掛かる頃には富士山の雪が金色に輝きを発していた。富士山の変装が渋滞で腐っている気持ちをどれだけ和ませてくれたことか。しかしちょっと疲労感も感じられ始めたので休憩とガソリン補給の為に「足柄SA」に車を入れた(16:20)。この後も渋滞が続くとすれば、今この時に腹ごしらえをしておこうと判断し、ワイフと半サイズ「チャーシュウ麺」を注文。
しかし何か体がおかしい。地震の時ように体が揺れている感じがするのだ。きっと運転し続けていたので、あの車の振動が体に残ってしましっているのか?歳を取ったせいか、三半規管の異常で復帰回復力の低下なのだろうか? しかし昼食を菓子パンで済ませたせいか、チャーシュウ麺の何と美味しかった事か。
ガソリンを入れてから、またまた渋滞の坩堝の中に入り込む。ビッシリと3車線に真っ赤なテールランプを光らせた近代文明の怪物が行儀正しく並んでいた。この渋滞の中で人より優位に立つ方法(一車でも先に出る方法)を私は知っている。基本的にはいつも進行方向に向かって一番左側の車線を注視せよ。つまり標識にPA,IC, JCTの案内が出て来たら速やかに最も左車線に移動せよ。そして長距離ハイウエーバスや長距離トラックが脇を抜いていったらすぐに追従せよ。そのようにして車線を切替えながら先に進めば最も効率よく先に出られるのだ。一番効率が悪いのは追抜き車線の一番右側をズ〜ット維持している場合だ。しかし運転に自信の無い方はそんな臨機応変の車線切替え運転は危険なので決してしないようにして欲しい。
<私たちを無事に運んでくれた愛車チェイサー、 ありがとう!>
長い長い渋滞は「首都高速道路」に入って解消された。あとはスイスイと運転が出来て「西神田」出口から一般道路に出たが、やはり正月3が日の最後の日なのでJR水道橋駅前の繁華街もネオンだけが激しく点滅しているだけで、その下に人は疎らで寂しい光景だった。自宅着20:00チョイト前。今回の旅の走行距離 1311km、ガソリン代はおよそ14,000円、高速道路代(往復)で24,500円、考えてみれば,レンタル・タイヤ、新規スタッドレスタイヤ購入、レンタカーそして新幹線/タクシー利用のどの方法よりも最も倹約した旅となり私は大いに満足だった。しかし結構神経はすり減らしましたがね。
これにて【正月ハプニング】の報告を終わります。長いお付き合いありがとうございました。<完>

2015年1月12日月曜日

この歳にして何と驚きの片道660kmのドライブ(中編)

大晦日の朝5時、外は真っ暗。これから愛車で長距離ドライブかと思うとワクワク気分で出発の準備。車で行けるとなると、あれもこれもと意外に荷物は多くなる。ところで南紀白浜までの全行程をその日の午後4時半までに目的地「白浜リゾートホテル」に着くにはどのように時間配分すれば良いのか、実は数日前に地図を見ながら次のようなタイム・スケジュールを作っておいたのです。
6:00(自宅発)—7:00(海老名SA:朝食)—9:00(遠州森町PA:休憩)—9:40(豊田JCT)—10:30(亀山スマートIC)—12:00(法隆寺IC:町へ出て昼食)—13:30(法隆寺ICへ)—14:00(松原JCT)—15:00(紀ノ川SA:休憩)—16:00(南紀田辺)—43号線—33号線—16:30(ホテル着)。
<東名高速・大井松田IC付近からの富士山>
<法隆寺にて>
スケジュール通りに朝6:00に出発、殆どが有料高速道路でスムースに流れており、奈良「法隆寺」に到着も12:20と予定より20分遅れ。早速あの有名な五重塔がある「西院伽藍」と、よく教科書で見た玉虫厨子が安置されている「大宝蔵院」を見学した後、「南大門」を出た脇のレストランで昼食。法隆寺ではガードマンが写真撮りサービスをしてくれていたので五重塔の前で二人旅の証拠写真を撮ってもらう。予定通りに法隆寺で1時間半を過ごし、また西名阪から有料道路を「南紀田辺」まで。外もすでに日が落ちて暗い中、ホテルに到着、腕時計は4時30分を指していた。温泉で今日の疲れを流してから大晦日の夕食を楽しむ。これが今回の旅の目的の一つだから。和洋会席料理で次から次ぎえと料理が出て来るので何もせずに済むワイフには最高の喜びであろう。するとワイフが、「お父さん、今日のドライブ、事前に作ったスケジュール通りピッタリとホテルに着きましたね。さすがでしたね」とのお言葉を頂き、ワイフの口から我が“ドライブ技”を褒められたので大満足。

さあ、元旦、今年初めてのゴルフ。風は強く、雲の動きが激しかったが、薄日がさす中で9:06のスタート。1番ホールを終えて2番に移る時に、驚くなかれ「牡丹雪」が突然ボタボタと降り始めたのです。風と雪では「これはダメ」と一旦諦めてクラブハウスに戻って待機。しかし30分もしない内に空は晴れ上がり、風は相変わらず強いが、プレーを再開、なんとか18ホールを回ることが出来ました。
2日目も風は強いながら空は真っ青に晴れ渡り、18ホールをアット言う間に周り、二人仲良く104という同スコアで回れて、これ又年の始めからハッピーでした。しかし夕方からまた雪が降り始めたようで、明日の帰路が心配です。
3日は大渋滞が予想されるので、朝6時にホテルで朝食を取り6:30、いよいよ長時間ドライブを覚悟しての出発。来た道を折り返すのだから運転は快調。しかし恐れていたように、天理を通過して上り坂に差し掛かると道の両サイドには雪が。 「やばい!!」徐々に上って行くと、左に車を停めてチェーンを着けている車がポツポツと並んでいるでは有りませんか。ワイフが「やっぱり、ダメかね〜〜ぇ」なんて心細いことを言い出す。道はなだらかな上りが続いている。「五ケ谷」付近に来ると私の前の車が諦めたのか、左に寄って停車した。私は「絶対に車を停めるな! ゆっくり進め!」と自分に言い聞かせながらアクセルペタルの上に足を踏んばったまま。ワイフが「お父さん、無理しないで!」と叫び声をあげた。

<薄らと残った雪の上でゴルフ再開>
ブログは一回に長くは書けない。今日はここまでとさせてください。従い本編を【後編】でなく【中編】とさせて頂きました。長く付き合わせて恐縮ながら、数日後に【後編】を書き上げますので、よろしくお付き合いの程お願い致します。
それではひとまずおやすみなさい。

2015年1月8日木曜日

【賀正】この歳にして何と驚きの片道660kmのドライブ(前編)

新年明けましておめでとうございます。今年は南紀白浜で新年を迎えました。
実はこんな660kmのドライブが起きてしまった背景には、笑い話のようで本当の話があるのです。
去年の10月、ワイフと「来年の正月は外で迎えようか」と私の提案が事の始まり。正月とは言えホテルでゴロゴロするのももったいないのでゴルフも出来る場所探し。暖かそうな房総半島突端の「白浜」あたりなら、とインターネットで検索。しかしそんな都合のいいセットは簡単には見つからない。ネット上で探しまくっていると、あった!あった! 大晦日から正月に掛けてゴルフがセットになり温泉も付いている夢のようなホテルが有ったのです。早速Web上から申込む。これで、シメシメ! 暫くしてパンフレットが送られて来て、そのホテルの豪華さと、そしてゴルフ場の脇に建っている好条件は二人を大いに満足させたのです。
暫くして、私の職場にワイフからの電話。「お父さん、今朝よくパンフレットを見ていたら、これ和歌山県の白浜ですよ!」驚いた私、「あ! そう、遠く離れ過ぎていて、いいジャン!」なんて口走っておりました。

<白浜リゾートホテル>

そして12月に入り、今度は天気予報がおかしな事を言い始めます。「今度のお正月は日本海側、東北・北海道を中心に幅広く大雪になるでしょう。」そこで心配になって来たのが、我車にはスノー・タイヤが無い。次に調べたのが、南紀・白浜までの行程上に「峠越え」は有るか? それが「亀山」から「天理」に抜ける「名阪国道」に2カ所ほど有りそうです。次にスノー・タイヤ(スタッドレス)を用意する方法は? 有りました! 有りました! 「レンタル」があるのです。しかしレンタル会社は殆どが東京の外で神奈川県、千葉県、埼玉県に集中。レンタル料金は正月5泊6日で6〜7万円。しかし残念ながら正月期間の申込は12月初旬で閉め切られており手遅れ。それじゃ買ってしまおうか、なんて思う。中古品は気持ち悪いから買うなら新品。そこで調べると私の車に付くもので純正だと1本が3万円位。何と4本で12万円だが、これからはもう使わないかも知れない物への投資にしては額が大きすぎると諦めた。すると息子が「お父さん、そんなときはレンタカーでしょ!」とアドバイス。
「そうか!そんな妙案が有ったか」と早速レンタカー屋に突っ走る。
<ホテルの内部>
私の車とほぼ同等クラスの車種で正月の4泊5日の見積をして貰うと、2種類の保険料込みでほぼ15万円。これじゃ、もう一人旅に行けちゃうよ、と貧乏くさい理由で「レンタカー案」もポシャル。12月も半ば過ぎ、「え〜〜い! このままで行ってしまおう」との結論に至ったのです。
12月25日には気象庁が『年末から年明けにかけては強い冬型の気圧配置となり非常に強い寒気が流れ込み、日本海側を中心に大雪になる恐れが有る』と「異常天候早期警戒情報」なんぞを発表。おいおいこれは大変な事になったぞ。
それなら最後の苦肉の策として新幹線か飛行機で大阪に出てそこからタクシーでという手段も有るぞ。その方法なら交通費10万円位で済みそうだが、ワイフが「そんなことするとゴルフクラブは送らなければならず、いくつもある荷物を手で運ばねばなりませんよ。それから帰りの1月3日の旅券など今から無理ですよ」と指摘されてこの案もポシャン。

遂に31日の大晦日、朝6:00に我家を出発。往路のハプニングもありましたが、お正月を襲った大雪は京都で22cmと61年ぶりの記録のニュースは我々を大いに不安にさせた。復路では案の定「雪道」に遭遇、普通のタイヤでの運転は大丈夫だったのか。そして東名高速で50kmも続く長蛇の渋滞をどう乗り切ったのか、それらの報告は「後編」で。
<朝日ゴルフクラブ 白浜コース>