2016年9月25日日曜日

お祭りと秋の到来

<大人による「壱岐坂太鼓」はさすがに迫力満点>
<秋晴れの下、神輿の前で子供たちによる「壱岐坂太鼓」>
我が地域は9月の最後の週末が「お祭り」なのだが、今年は久々に9月24日(土曜日)の午後は突然の大雨に見舞われた。
<田町のハッピ姿衆>
土曜の午後は子供達の神輿が出るのだがこの大雨で中止となり本当にかわいそうな結果となってしまった。夜には雨も上がり「宵宮」で大人神輿は例年通り他地域からの担ぎ手が大勢集まり、一昨年から始まった浅草・吉原からの10人による「狐舞い」が神輿の前を飾り、盛大に町内を巡ることが出来た。

翌、日曜は久々の秋晴れ、午前11時半、恒例の「壱岐坂太鼓」の威勢のいい音で「宮入渡御」が始まった。100人以上の「本郷田町」のはっぴ姿が神輿を囲む風景は何とも迫力があって気持ちがスカットする。こんなに小さな町に、こんなに多くの祭り好きが集まってくれるのが本当にうれしい。
<みんながこの笑顔>

2016年9月19日月曜日

「敬老の日」と「楢山節考」

「敬老の日」の新聞に、「遂に65歳以上が3500万人、総人口に占める割合が27%で、過去最多を更新』と載っていた。その3500万人の内半分の1500万人が75歳以上だという。このような話になると私はなぜか「申し訳ないな」という感じになってしまう。そう思わせるのは、若い人たちに対して「私たちは邪魔になっているではないか」と感じてしまうからか。この人口問題は、しばらくの間は”最多更新記録”は続いてしまうのだろう。
今、私は「生と死」に関してのエッセイを書き始めたのだが、この最多記録更新を抑える為には、出生率が下がっている現状下、死亡率を上げて行かねばならない。どうすればいいか? 現在年間160万人が亡くなっているそうだが、平成26年度「厚生労働省白書」によれば、アンケートで「どこで最期を迎えたいか」の問いに対して半数以上が「自宅で」と答えている。1950年代には8割以上の人が自宅で亡くなっていたが、現在では自宅で亡くなる方は10%強だそうだ。ここに「どうすればよいか?」の最大のヒントが有りそうだ。人間以外の動物、生き物はいったい自分の死期をどのように処理しているのだろうか? 繁華街にあんなに沢山いるカラス(最近は少し減り気味)だが、都心でカラスの死骸は殆ど見ることが無い。彼らはどうしているのだろう。実は彼らは山奥の木の上に作った巣の中で息をひきとるのだ。そんなことを考えていると、深沢七郎著『楢山節考』のストリーが蘇って来る。よし、今度のエッセイでこの辺の提案、つまり「こうすればいいのでは?」の解決策を提示してみようか?

2016年9月14日水曜日

第16回『文京を歩くかい』のご案内

すでに7月26日のブログで日時が決定した旨ご案内いたしましたが、次のように詳細が決まりましたので、秋の紅葉を楽しみながら小石川台地を歩こうではありませんか。

日時: 2016年10月29日(土) =雨天中止=
集合場所/時間: 池袋東口出た所の「東口交番」横 12:50
参加費用: 200〜300円(当日集金)
      「文京まち案内」のガイド費用+協賛金です。
<新江戸川公園>
コース: 「池袋交番前」出発(13:00)→「雑司ヶ谷霊園」→「豊島岡墓地」→【護国寺】(14:00)→【新江戸川公園】→【永青文庫】→【水神社】→【関口芭蕉庵】→【東京カテドラル聖マリア大聖堂】(16:00)→小石川七福神→後楽園→水道橋西口(17:00)
●上記の【 】マークの所に「文京まち案内」のガイドが付く予定。 

打ち上げ・懇親会: 水道橋 「鳥貴族」 
          17:00~19:00 @¥3,000 

特記事項:
●今回は「文京区と熊本との繋がり」をテーマに歩きますが関係している先、人物とは;
 夏目漱石、小泉八雲、嘉納治五郎、
 肥後熊本・細川家・下屋敷『新江戸川公園』、『永青文庫』
 尚「占春園」も予定しておりましたが、夏の蚊の大量発生により「閉園」されており、残念ですが外しました。その代わりとして
【小石川七福神(深光寺・徳雲寺・極楽水・宗慶寺・真珠院・源覚寺・東京ドーム)】を回って水道橋に下りて参ります。
●「雑司ヶ谷霊園」では次の有名人のお墓を巡ります。
 小泉八雲・夏目漱石・ジョン万次郎・永井荷風・泉鏡花・
 竹久夢二・大川橋蔵・東郷青児・川口一族【川口松太郎・浩・
 三益愛子・野添ひとみ】尾上菊五郎
 
参加申込:メールにてお申込みください。その際に携帯電話番号もお知らせください。
     宮原・メールアドレス: miyaha@kazum.net

多くの方々の参加をお待ちしております。

2016年9月1日木曜日

我が家の周りが面白い!


実は先日面白い地図を見つけた。それは「本郷菊坂・真砂町 人物往来絵図」(企画製作/品川海風塾)というものだが、その絵図の1/4に当たる部分、我が家の付近をコピーしたものが下の絵図だ。
<左の白い建物がイタリアン・レストラン>
図中の☆印した「石坂の家」が我が家の位置だ。備後福山藩の中屋敷だった西片の台地からS字型で降りて来る坂が「石坂」でそれが田町の通りに出た所の現在の姿が左の写真。向かって左角に上の絵図から何と「谷崎潤一郎」が住んでいたことになる。今は洒落たイタリアン・レストランになっているが、我が夫婦でちょくちょくここで世界のビールやワインを楽しむ。上の絵図の右上に「樋口一葉」の住居位置(菊坂下道)が示されているが、そこから点線が引かれていて「石坂」を通って西片の山の方に伸びているが、実は一葉の恋人「半井桃水」は一時期この西片の山の上に引っ越してきた時期がある。そして一葉が2~3度そこを訪ねたと言われている。それならこの道を通っただろうか(?)と推理したのがこの点線である。一葉のわずか24年の生涯で最も生活苦に追われていた「本郷菊坂時代」だけに、彼女が我が家付近を通過するその瞬間は一途に愛する人を思いながら夢中に歩く幸せな時間帯で有ったのだろう。