2018年3月21日水曜日

日本の最先端とは?


さてさて日本の最先端はどこでしょうか? それは本州の最もの東の先端である千葉県の「館山」だそうです。NPO法人「安房文化遺産フォーラム」が発刊している小冊子上に載っていた下の地図をご覧ください。
<小冊子「館山まるごと博物館」より>

3月17日あるグループの企画【江戸と安房・房州・海上交通の文化を訪ねる】に参加して参りました。日帰りで房総半島の先端まで行けるのも「東京アクアライン」を使って東京湾を突っ切る事が出来るよになったからです。今回のバス旅行で、さすが最先端だけに歴史的そして文化的にも随分と深いことを学びました。縄文時代からこの地に人が住んでいましたが、四国の阿波・忌部氏(いんべうじ)の代表「天富命(アメノトミノミコト)」がリーダーとなり阿波から船で麻の栽培地を求めて布良(めら)の浜に上陸したという。この地を「総(ふさ)の国」と呼び、そして「安房国」を「あわのくに」と名付けたという。
ここからは海の真正面に「富士山」が眺められ「信仰の聖地」でもあったという。今回確かに「布良崎神社」から海を望むと鳥居の上遥か彼方にくっきりと富士山が見えました。15世紀から170年間この地は戦国大名「里見」氏が治めていたという。19世紀になって曲亭馬琴が里見氏をモデルに「南総里見八犬伝」を書いています。明治時代には布良は「マグロ延縄漁業」が盛んに行われ、この技法が現在では青森県・大間のマグロ捕りに生かされているそうです。そして20世紀になると、この辺一帯は穏やかな気候を利用して「転地療養地」としても有名となり、画家「青木繁」をはじめとして多くの画家たちが館山を訪れ沢山の作品を残しているという。さすが日本の最先端の地と言えましょう。