2012年12月22日土曜日

インターネット下の凄い集団【ローマの市場にて】


友人に誘われてつい先だって【ローマの市場にて】に入会しました。どんな集団なのか分からないまま毎月第3水曜日に開催されているフォーラムに出席しました。その日(12/19)は6人の人が各自20分程のスピーチをするのですが、それが始まる前から主催者側から、「ドンドン名刺交換をしてくださ~~い!」と大声で催促しているが、皆それに誘われて「しなきゃ損、損」といった具合に名刺交換している姿は凄い熱気です。恥ずかしがりやでは損をしてしまいそうな勢い。いや、恥ずかしがりやが来るような場所ではない。実はこの集団は【イノベーション】を起こす為の団体で、運営側は皆ボランティアで行われています。そしてこの集団から【新しい産業】を興そうというのが主目的だそうです。
この【ローマの市場にて】が発足してまだ数年だそうですが、すでに会員が800名を越えたそうです。これは驚異的な伸びと言えましょう。それだけ皆さんから評価されている集団なのでしょうね。
今回運営者側からのお話では、もうボランティアベースで出来るサイズでは無くなったので、遂に「社団法人」を設立するそうです。すごいスピードですね。日本の政治や経済を見るに、何か気が滅入ってしまうのですが、この集団を見ていると何かが起きそうだという嬉しい気持ちにさせてくれます。6人のスピーチが終ると皆さん懇親会に繰り出すのですが、参加者が50~60人居るのですから、これがまた凄い迫力です。私も初参加なのに、古い会員のような気分で皆さんと和気藹々と楽しみました。その時の写真がフェイスブックで流れていましたのでちょっと失礼してここに掲載させてもらいました。この集団にご興味ある方は【ローマの市場にて】と入力して検索して内容をご覧下さい。そして入会にご興味あれば私が紹介致しましょう。

2012年11月28日水曜日

<速報>【文京を歩くかい】すげ~~ぇ迫力!!

11月25日(日)【第10回:文京を歩くかい】が真っ青に晴れ渡った空の下で、26人の参加者を得て盛大に実施され、何と打上の「懇親会」には24名参加という華々しい中で無事に終了、皆さん大満足のご様子で主催者側もホットしております。今回初参加の大澤兆雄氏が大変に迫力有る写真を撮ってくれておりますが、枚数が有りますので参加者の皆様には別途電送いたしますが、ここに代表的なものを掲載し、取り急ぎその迫力をお届けしたく思います。

2012年11月23日金曜日

千葉大ゼミで【コンプライアンスについて】を講義


11月22日 午後7時から2時間、千葉大学・産学連携・知的財産機構・会議室において【コンプライアンスについて】を講義させて頂きました。受講生は「ベンチャー企業を起こした経営者」や「卒業したら速やかにベンチャー企業を起こそうと考えている学生」達です。コンプライアンスとは法規範、社内規範、そして倫理規範を遵守することですが、つまりは当たり前の事をしっかり守って経営しようという姿勢を指します。
ベンチャー企業のスタートの段階では組織もまだ若いので数人の規模でしょうが、その段階から「コンプライアンス・マインド」を体に叩き込んでおけば、いずれ組織が大きなっても、「不祥事」を避けることが出来るのです。
そこでベンチャー企業における「不祥事」の例を挙げて説明した上で、ベンチャー企業が「企業不祥事」に落ち込まない為の「危機管理の方法」として次の2例を解説しました。
(1)「ハインリッヒの法則」に学べ
  これは「1:29:300の法則」とも言われていますが、「1件の重大事故や死亡事故の背景には、29件の中規模災害があり、300件の微小災害「ヒヤット、ハット」が起きている。この微小災害を潰さないと重大災害は避けられない。従い、日々の経営の中で微小災害のうちに対処せよ!
(2)PDCAサイクルの実施
  営業マン/作業マンの例で説明しました。 朝、その日の作業の優先度を決めて(Plan)、その順番で作業を行い(Do)、上手く行ったところとダメだったところを比較し(Check)、ダメだったところは、明日上手く行くように改善してみる(Action)。
  このサイクルを毎日、毎日繰り返されよ!


この「比護ゼミ」の状況が早速フェイスブックで紹介されていますが、そこに書き込まれたメントの中に「難しいテーマを分かりやすく説明してくれたので、為になりました」とあり、大変に嬉しく思いました。

2012年11月17日土曜日

遂に「衆院選挙」、国民力が試される!


いよいよやって来ました、国民が『ダメ政治』に意見を反映させることが出来るチャンスが。それも衆院選挙と東京都知事選の両方が12月16日(日)に行われる。さてその国民への最大のチャンスに私達はどのように臨めばいいのか。国会も政治屋だらけで、自分の首と面子のことしか考えず、国民を蚊帳の外に置いていたのだから、私達国民も、もうこれ以上過去に拘る人物や、あるいは私欲に走る人物はまず政治家としての器から外してしまおう。なぜなら、こんな時に彼ら議員さんも自分の延命の為か?自分勝手に党を作り、何やら新党が茲に来て5~6ケも生まれた様で、全部で15党ほどがバラバラと存在し、「数」を纏める為にどこと手を結ぶかで各党が躍起となっている姿は、ド三流の芝居を演じている役者に見える。
そんな状況下、私達有権者が一人ひとりが『立候補者に対する自分の成績表』を作りその高得点者を今度の選挙で投票するようにしませんか。その自分の成績表の中味だが、その候補者の政策が自分の考えに近いかどうかを判断出来るような項目で作り上げる。その【判断基準】の基となる課題項目としては、一般的に言われている、原発対策/TPP/増税(消費税)/金融/憲法改正/選挙制度/外交/教育などが挙げられようが、それに自分の判定の為に重要課題が別にあればそれを加えておく。その揃ったすべてのファクターを自分の重要度の高い順番に並び替えておくといい。更には政策だけでは無く、その人の持つ「人間性」や「倫理性」、そして「経歴」(育てってきた道程)なども一応チェックして採点に加えておくべきであろう。そして最も大事なことはその立候補者の推薦政党名を全く無視することであり、そしてその党首も無視することである。その総合判定の為には、当然の事として、まずは自分の選挙地区から出る立候補者の「趣旨書」にはジックリと目を通す必要がある。
一方現在の選挙方式では「小選挙区選挙」に加え「比例代表選挙」も在るので「党」を投票せねばならぬので、過去のサイズなど気にせず、これも旧党か新党かなどは無視して「党の主張」が自分の考えに近い党に投票する事にしてはどうだろう。
こうした結果として「多数党」が無くなり、どの党も「ドングリの背比べ」になってしまっても、それはそれでいい。そんな事は今我々が心配する事で無い。そんな状態が生まれれば、そこから次の道が生まれて来るのだから。私の考えを言えば、「もう、政治屋を選ぶな! 倫理観のある人物を選べ!」、という事は「国民の目線で仕事をする人を選べ。それが本当の政治家なり!」ということになろうか。
以上は「衆院選挙」での私の臨み方であるが、「都知事選」も全く同じ手法で人物を選びたいものである。そして国民一人ひとりが、そんな『立候補者の自分の成績表』を作ると言った面倒な作業する努力を惜しまない事が、国民が政治を変えてゆく第一歩ではと思っている。

2012年11月4日日曜日

『日本スリーデーマーチ』秋の武蔵野を歩く

秋の武蔵野の田園を歩く








今年も11月2日から始まった『日本スリーデーマーチ』の2日目「吉見百穴・森林公園」ルート20kmコースに参加しました。例年の事ですが朝7時半ころの東武東上線「東松山」駅のホームは参加者で溢れかえります。そして駅から「ぼたん通り」の商店街を通りスタート場となっている市立松山第一小学校の校庭までは人で連なっています。参加者は例年3日間で8万人を越えるそうですが、今年は35回目と節目の開催で海外からの参加者も多く、12万人の参加が予想されいるそうです。
朝の東松山駅のホームは人の群れ
我々の前にオランダからの男女
今年も快晴の下、武蔵野の面影を残している田園でのウォーキングを楽しみました。今回は確かに海外からの参加者が一段と多く、大変に目だったと感じました。“歩きのメッカ”といわれるオランダからやスイスのお巡りさんグループ、そして中国、台湾、韓国などアジア諸国からの参加で、さすが“国際的イベント”と感心しました。
我々の前の左右にスイス人が
私たちグループ5人は8時半から歩きを開始して途中【吉見百穴】が最初の休憩地、そして次に【東松山ボタン園】のチェックポイントを通過し、11時半ころには森林公園に到着、そこで昼食を摂りました。そこからは残すこと凡そ7km、まずは森林公園駅に向って歩き、後は東上線に沿って東松山までひたすら歩き、午後2時半にはスタート地点の小学校に到着、最後に皆で無事に完歩できた事を祝い、東松山名物の「焼トン」を肴にビールで乾杯、この瞬間が何とも楽しいひと時なのです。
3時半ころ腰を上げましたが、ここから東松山駅までの路上では【よさこい陣屋祭り】が行われていて、よさこい音頭と和太鼓の音が町中に響き渡り、それはそれは大変に賑やかで気分最高潮で東松山を後にしました。
ぼたん通りでの「よさこい踊り」

2012年10月30日火曜日

こちとら江戸っ子よ!と『柳生の庄』

『柳生の庄』正面玄関



















10月末にわが町会の旅行が行われました。昨今都心の住民も高齢化が激しく、元気の無い町会が多くなっているのですが、わが町会は商店会、青年部、老人会などがしっかりと組織化されていて、本郷界隈では元気のある町会として評判が高く、この秋のお祭りでも神輿担ぎの人々が近郊から200人ほど集まりました。
郷愁を誘うお庭
ところで、今年の町会旅行は何と伊豆修善寺温泉・『柳生の庄』だったのです。この宿は知る人ぞ知る超高級な、鬱蒼と茂った竹林に覆われた館で、二人でスッポリお忍びする宿と言われています。つまりは町会の旅行には全く不適切な場所なのかもしれません。男衆の軍団が居ては他のお忍びに来ているお客様に迷惑を掛けるのではと考えてしまうからです。
私は定年退職後に町会のお仕事をお手伝いするようになったのですが、サラリーマン時代には経験のしなかった、「おいおい、こちとら江戸っ子よ! 食いねぇ食いねぇ、寿司食いねぇ!」のあの世界、やること為すこと兎に角“超一流”でないと気がすまない人々、つまり“見栄っ張りの世界”なのです。
いかに『柳生の庄』が町会旅行向け宿とはかけ離れているものか簡単にご説明しましょう。
3階建てのこの館には、13の部屋(2部屋構成)と2つの離れが有りますが、どれもこれも違ったレイアウトで同じデザインの部屋はありません。そしてすべての部屋に檜のお風呂が付いているのです。一人当たりの宿泊料は1泊2食付で、\42、150~\126,150となっています。
お部屋に付いている檜風呂
わが町会の役員がこの宿の経営者と親戚関係にあるからこそ出来たアンマッチングな旅だったのですが、大変に貴重な経験をする事が出来ました。
お二人で思い出の夜を作ろうとお考えの方には、お薦めのお宿と申せましょう。

2012年10月23日火曜日

第10回『文京を歩くかい』実施が決定


森鴎外生誕150年記念で文京区が催すイベントの例
                 今年は文京区では【森鴎外生誕150周年】と銘打って各種のイベントが組まれており、11月1日から新築『森鴎外記念館』がオープンします。それを機会に、そこを訪ねる事にして、また我「文京を歩くかい」も丁度10回目になるので、それを記念して「1回目」の時のコースをもう一度歩いてみようと言う事になり、11月25日(日)10:00AM~実施と決まり、次のような行程としました。
出発の地『巣鴨のお地蔵さま』
根津神社
11月25日 (日曜日)
①午前10時:JR「巣鴨」駅  「正面口」出た所で集合。→真性寺→巣鴨地蔵→六義園→富士神社(10分休憩)→吉祥寺(二宮金次郎墓)→駒込やっちゃ場→高林寺(緒方洪庵墓)→蓮光寺(最上徳内墓)→光源寺・大観音→
新築『森鴎外記念館』
見学30分)→滝のある『須藤公園』にて昼食(40分)

東大・安田講堂
②【昼から参加組】午後12時40分:地下鉄・千代田線「千駄木」駅「道灌山方面」出口を地上に出た所で集合。→須藤公園を出発(12:50)→藪下通り→根津権現→サトーハチロー住居跡→『弥生式土器 最初の発掘地』→東大・安田講堂(10分休憩)→三四郎池→赤門→法真寺(樋口一葉ゆかりの「桜木の宿」)→本郷薬師→桜木神社

③【文京ふるさと参加組】午後2時20分:地下鉄・丸の内線「本郷三丁目」駅 改札口を出た所で集合。→桜木神社をスタート(14:30)→『文京ふるさと歴史館』(宮原解説員によるご案内30分)→樋口一葉住居地→伊勢屋質店→源覚寺(こんにゃく閻魔)→伝通院(新設「山門」休憩10分)→牛天神(北野神社)→後楽園・ラクーア(16:40)
④『打ち上げ懇親会』(後楽園/水道橋付近)(17:00~2時間ほど)

新築の「森鴎外記念館」
第1回目は全行程17kmも歩いたのですが、今回はそれを12~13kmに抑えてあります。また今回は、上述のように①全行程組、②お昼から参加組、③午後後半から参加組と、各自が自分の体力に合わせて3種の行程が選べるようになっています。
それぞれの行程の中での注目点を紹介します。
午前中: やはり新規にオープンする『森鴎外記念館』が注目でしょう。
午後前半:「弥生式土器」の最初の発見場所にはいくつかの説があるのですが、今回は真実の場所へのご案内です。
午後後半:「文京ふるさと歴史館」で宮原が現在修行中の「ボランティア解説員」をさせて頂くのですが、多分シドロモドロでしょう。

さあさあ、『運動の秋』足腰を鍛える為に奮ってご参加ください。
参加申込みはHPのTOP画面の下段「ご意見ご感想」のメールにて送信ください。

2012年10月14日日曜日

秩父山系 丸山・日向山ハイキング

【丸山頂上からの眺望・左隅の尖がりが武甲山】
【急に視界が開けた!】
【武甲山を正面に下り】
10月12日(金)快晴の中、友人がアレンジしてくれた秩父『丸山と日向山』の山歩きをして参りました。西武池袋線、池袋7時25分発の「快速」に乗り、終点飯能で8時24分発の西武秩父鉄道に乗り換えます。友人は「東飯能」から乗ってきて合流し、まずは二人で今日の素晴らしい天気を喜び合い、その時車窓からは秩父の山々の稜線がクッキリと見え気持ちをワクワクとさせます。車内を見渡せば我々と同年代の山歩きグループでボックスシートは一杯に埋まっていました。40分ほどで「芦ヶ久保」駅に到着。この駅で降りたハイカーは5~6人いたましたが、どうやら「丸山」を目指すのは我々二人だけのようです。まずは標高850mほどの「大野峠」に向って駅前から歩き始めたのが9時10分過ぎでした。暫くは国道299号線を横瀬川に沿って戻るように30分ほど歩くと登山道入口「姥神」に到着、これからいよいよ登りです。早々と急斜面の、それも石ころがごろごろと転がっている歩き辛い登りが襲ってきました。しかし木々の葉の間からこぼれてくる陽が気分を和めてくれます。途中大野峠を過ぎたチョイト先で急に視界が開けます。そこはハンググライダーの飛び降りる場所でなかなかすばらしい眺めです。もうそこから丸山山頂は近く、11時30分には海抜960mの丸山山頂に到着、歩き始めて2時間20分が経っていました。山頂には立派な見晴らし台のある建物が建っていて、そこからは360度の展望が開けていました。芦ヶ久保の駅がおよそ海抜320mですから一挙に640mも登って来たのです。ここで昼食を摂り、後は下りです。「あしがくぼ山の花道」の側を通り「日向山」(627m)経由「ト雲寺」(秩父札所6番)に出ました。目の前には人工破壊の山「武甲山」がデ~~ンと不気味な姿で迫っていました。
【ト雲寺より武甲山】

それから「武甲温泉」(炭酸泉)に寄り汗と疲れを流して、冷たいビールで乾杯、本当に充実した最高の一日を二人で祝いました。

帰路は「横瀬」駅から16:29発の「特急レッドアロー号」に乗れて、あっという間に池袋に戻り、自宅のドアを開けたのは午後6時10分だったのです。2時間前には秩父の「武甲温泉」に居た事が信じられません。本当に楽しい一日でした。

2012年10月1日月曜日

『日本復活私論』講演、今度は川崎で


うれしい話なのです。今年6月、世田谷の「ボランティアセンター」から始まった小生の論文(?)『日本復活私論』の講演は、9月に早稲田大学の異業種勉強会で話させて頂きましたが、自分で言うのも何ですがこれも大好評でございました。ありがとうございます。
この度は川崎の勉強会『かわさき塾』から「是非『日本復活私論』のお話しをして欲しい」とお声が掛かり喜んでお受けしました。早速作って頂いた「チラシ」(表と裏)を下記に載せますのでご覧下さい。

2012年9月28日金曜日

千葉大のゼミで『コンプライアンスについて』講義予定
















今年の7月、「千葉から日本を元気にする1000人の社長創出プロジェクト」を命題として『比護ゼミ』が誕生しました。このゼミはIPOを志向される“高度専門技術人材”でベンチャー企業を設立した方、あるいは起業予定の方々を対象に毎月1回様々な分野の専門家を講師に招き千葉大学産学連携・知的財産機構の会議室でセミナー&ディスカションなどを行ってゆく企画だそうです。『比護ゼミ』に関してはブログ【ウエルネス・メッセイジ】をご覧下さい。
http://wellness-news.jugem.jp/
すでに7月26日「自分のイノベーションからはじめよう」(講師:比護隆一氏)、9月27日「社会に変革をもたらすイノベーティブな起業とは」(講師:鈴木大介氏)が行われ、11月22日の第4回目では、私が「コンプライアンスについて」というテーマで講義が予定されています。
その内容骨子は次のようなものです。
1)コンプアライアンスとは?
2)なぜコンプライアンスなのか?
3)なぜ企業不祥事は多発するのか?
4)CSRと「内部統制システムの構築」
5)21世紀は「権限分散型社会」重視に移行
6)NPO的企業におけるコンプライアンス

私も昭和45年千葉大学を卒業しているのですが、これも何かの縁なのでしょうか。

2012年9月15日土曜日

次の選挙は「原発ゼロ」の候補から選ぼう!


まったく開いた口が塞がらない。9月14日、自民総裁選の5候補の演説を聞いたが、やはり期待はずれであった。まあ、この5人は普通人間(ありふれた人)で現在のような日本の局面を打開出来る様なスケールのでかい人物ではなかった。特に5人揃って原発ゼロには反対とは、お目出度い人たちと言えよう。
さらに輪をかけてお目出度い人がいる。何とか国民の意を受けて野田首相が180度考えを転換して、「2030年には原発ゼロに持って行こう」と方針を述べると、慌てて首相に「了承しかねる」と電話したという米倉経団連会長がそれだ。
しかし政府がやっと出してきた「原子力政策」にしても、原発ゼロ方針のもう一方で、敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」炉を研究が終るまで使用しその後廃炉とすると曖昧なことを言っている。
政財界の連中は「原発」というテクノロジーが如何に未熟で生命にどれだけ危険であるかを弁えず、ただただ人間の欲望を最優先にして「原発ゼロ反対」の発言を繰り返している。「原発ゼロ反対」の意見を主張している人の顔を見ると、やっぱり欲で突っ張った顔をされている。
地球は薄い大気層で覆われているからこそ、宇宙から飛び込んでくる放射線を遮断し、生物が生きられる青く澄んだ美しい星なのだ。なぜそんな美しい地球上で人間だけがシコシコと核分裂を利用した「原発」を続けることが許されるのか。地震の少ない国が開発した「原発テクノロジー」を地震多発国の日本がそのまま取り入れたのだから、バチが当たるのは当然である。
「原発」の本質を知るために【図解・原発のウソ】(左上写真参照)をインターネット古本で購入し一読されんことをお薦めしたい。そして近く来るかも知れない「総選挙」では「原発ゼロ」を主張する候補を選ぶようにしようではないか。その人が政治にどんなに素人でも「倫理」を踏まえた人物であれば、現在のような「政治屋」よりは益しであろう。
私も講演の機会が有る毎に「原発ゼロが正論」という付録テーマを設けて話させて頂いている。その内容は; 人間が開発した技術に100%安全なものは存在しない。従いいつかは事故を起こす。その前提で「原発」は次の3点から【倫理に反している】ので,「原発ゼロ」の判断が正しい。
(1)   事故を起こせば他のすべてのエネルギーより一番コストが高い。
(2)   事故を起こせば1国に留まらず他国に被害を及ぼす。
(3)   事故を起こせば1世代で済まされず子供、孫の代まで害を及ぼす。
もう日本は事故を起こしたのである。

2012年8月24日金曜日

メンター研修会でのスピーチ

<PP1>
ITECメンター・クラブでは毎年1回【メンター研修会】を催していますが、今年の研修会は8月29日(水)に王子駅前の「北とぴあ」会議室にて開催されます。私はそこで【メンター活躍の時代へ】というテーマでスピーチすることになっております。
「どうしてメンターが活躍する時代がくるのか」に就いて、ここでその要点だけを当日使用するパワーポイント資料(以下PPと略す)の一部分を使って解説致しましょう。<PP1>の『【親分子分型】と【寄り合い型】の比較』については、私がスピーチの際によく使っている画面なのですが、つまり21世紀は「中央集権型社会」中心から「権限分散型社会」重視に変って行くということです。分かり易い具体的例として、米国の書物ですが【ヒトデはクモよりなぜ強い】の中で述べられている比較表を掲載してあります。簡単に言えば「クモ」の頭脳は体の中心にあり、もしそこが死ねばすべて死ぬという中央集権型で、「ヒトデ」は体の一部を切り取っても、またそこからヒトデが再生してくるという能力分散型なのです。
<PP2>
つぎの<PP2>もよく講演で使うのですが、左図が「東電」の姿で右図が近い将来の各家庭が電力マネジメントしている理想的姿の【スマート・グリッド】です。また昨今の例として次の<PP3>は「コンビニ・ローソン」の奮闘の姿を説明しています。新浪剛史氏はローソンの親会社がダイエーから三菱商事に替わる中、三菱商事からローソン建て直し指令を受け片道キップでローソンに移籍、10年の歳月を掛けてダイバーシティー(多様性)戦略を導入し、「負けない組織」を作り上げたのです。それがPP3の右の図です。一方、最大手のセブンイレブンは中央からの指示に基づき全支店・加盟店はその通りに商品を並べ、一挙に大量・安価販売に全力集中したので、従って全国どの店も同じカラーに染まり、それがPP3の左図です。

<PP3>
しかしローソンは地域密着型を指向し経営に関する権限と責任を地域に移譲し(分権)、過去の「指示待ち体質」から「考える現場」へと変え強い体質を完成したのです。これも従前の「親分子分」の関係を絶ち地域密着の「寄り合い精神」を重視したと言えましょう。そんな時代の変化は、今後【メンター制度】が如何に大事になって来るかを予見させます。
<PP4>
<PP4>をご覧下さい。中央集権体制をとる大型企業は自社内に関係会社・子会社・孫会社の管理・統制・コンサル的部門を持っていますが(PP4の左図)、一方「寄り合い型社会」を構成する中小の企業、ベンチャー企業やNPOでは独自でそれぞれがコンサルタントなどを雇う資力はありません。そこで力を発揮するのが「メンター連中」ということになります。その雰囲気を表した図がPP4の右図です。
8月29日は、こんな内容を中心にメンターの皆様にお話することになっております。


2012年8月19日日曜日

早稲田大学・異業種勉強会にて【日本復活私論】講演決定!


私の論文とでも言いましょうか、【日本復活私論】を6月23日、三軒茶屋の『世田谷ボランティア・センター』にてスピーチさせて頂いたところ、傾聴頂いた皆様から「もっとお話しを聞きたい」と感想を頂き、大いに感激しておりましたところ、このたび早稲田大学キャンバス内にて開催されている異業種勉強会でもお話しの要請を受け、下記の内容で実現の運びとなりました。

日時: 2012年9月11日(火)18:00~19:30
場所: 早稲田大学国際会議場 4階 共同研究第7号

昨今、世界の国々からも日本をバカにされたような出来事ばかりが起きており、そして茹だるような暑さに襲われる毎日、うんざりする話ばかりですが、そこで私が、「日本人よ! 我らはチット違った民族なのだから、欧米諸国の真似事はもう止めて、我らの本質『森の民』に戻って、世の中を変えて行こうではないか!」という内容のお話しをするのであります。是非ご期待ください。

2012年7月26日木曜日

油絵 『チンチン電車』


この絵は今から11年前に描いたもので、私の油絵作品の13作品目にあたりますが、現在は「文京区役所」の4階廊下に展示されています。先日、久々に区役所に立ち寄った際に4階に上がって自分の絵を観て来ました。廊下は照明が無く、薄くらい中に展示されていましたが、これが私を何とも言えない郷愁に誘ったのです。

この絵は「小野誠一郎・彩画集<ザ・ふるさと東京>」の画集の中で一番コミカルに描かれていた絵の模写なのです。“何ともいえない郷愁”に引きずり込まされたのは、私の「ふるさと」も東京なので、ついついこの彩画集を思い出していたのでしょうか。

この画集の最終ページに「四本のエントツ」という作品が載っていますが、これも私には懐かしい想い出があります。東京電力千住火力発電所を尾竹橋から見た絵だそうですが、私が子供の頃、観光バスに乗って遠足に行く時、バスガイドが「今、エントツは何本見えますか?」と質問してくると、「4本!」と答えます。しかし見る角度が違って来ると、バスガイトが、「え! 4本ですか?違うでしょう。何本に見えますか?」ともう一度言ってくるので、見直してみると何と3本になっているではありませんか。この4本のエントツが3本に、そして次に2本に最後は1本になってしまう不思議なエントツとして子供の頃の思い出として焼きついています。
そして、この「四本のエントツ」の絵の下にある詩が私には“たまらない”のです。

2012年7月16日月曜日

林秀彦著『日本を捨てて、日本を知った』に巡り会えて


6月の今にも雨が降りそうな蒸し暑い日だった。読む古本が無くなりそうなので、神保町に買出しに出た。そして3冊で500円の古本屋で購入した内の1冊がこの本である。筆者は売れっ子シナリオ・ライターで、テレビの脚本家として「ただ今11人」「7人の刑事」や「鳴子の海」などで活躍されたが、日本に絶望し、1988年にオーストラリアの山中に逃げ込んで10年目、外から観た日本に就いて書いたエッセイという。第1章「日本人はアングロ・サクソンを知らない」から強烈な日本人批判が始まるのだが、第2章「日本人は愛国心を知らない」の途中あたりから雲行きが変るのである。
彼が強烈な表現で日本人感を述べている前半の部分を纏めると;
『アングロ・サクソンとは、強盗団である。血も涙も無い、好戦的な野蛮人である。押しなべて「白人を見たら泥棒と思え」の認識は正しいのだが、中でもとりわけアングロ・サクソンを見たら人殺しと思ってよい。(略)それは彼らの生存する自然環境が、日本人が想像を絶するほどに苛酷だったからである。(略)南海の孤島の住民ならいざ知らず、ある程度の文化文明を創造しえた民族で、「窮地」を知らずに歴史を歩んだ民族は、日本人以外にない。そんな民族が「ポーカー民族(アメリカ人)」に勝てるわけも無く、世界戦略としての外交的剽悍(ひょうかん)と狡猾(こうかつ)に勝てるわけもない。畢竟(ひっきょう)、経済にも勝てないのである。』
しかし、筆者は映画監督・小津安二郎の映画作品『東京物語』を何度も観るうちに、役者のセリフから【一を聞いて十を知る】、日本語会話の深さに気づかされ、日本人は他の民族と比べ、たぶん二万年くらいよけいに進化した人類で、ガイジンたちはそのことに全く気づいていない、と日本人を褒めちぎっている。
そして文中『本当は、人間はみなかくあらねばならない。世界中の全民族が、日本人を見習わなくてはならない。しかし現実は、まだ違う。ガイジンらは常に血塗られた剣と、ポケットいっぱいのミサイルを誇示している。あと百年ほど先に、日本文明が世界の主流になる日まで、われわれはアチラ様の価値観に合わせなければならないのである』(108ページ)と書かれているのを読んで、小生の書いたエッセイ【日本復活私論】とダブってしまい、もし林氏がハプログループの研究結果「日本民族は特異なD系統」を知っていたらどんな書き方になっていたかと興味津々になって来る。
早速この驚きをオーストラリアの林氏に伝えようとメールを打電したが、住所不明でメールは届かない。インターネット検索で調べると、彼は2005年に帰国され2010年11月福岡県久留米市にて満76歳でお亡くなりになっておりました。 合掌

2012年6月25日月曜日

芋ほりと野菜採り



日本の食自給率が40%という低率である。我々日本人は、日本の外で作られたものを食べさせて頂いていると言うことは、「食の安全」という観点から見れば「非常に危険な状態」と言えまいか。
先日親戚T氏から「今度の週末、芋ほりに来ませんか」と誘われた。早速「はい! 参ります!よろしくお願いします」と即断即決で参加を表明した。この日曜日、津久井湖の近くに在る畑をワイフと一緒に訪れた。軍手をはいて盛り上がった土と戯れ、ジャガイモを穿り出す。生き物と直接触れ合う興奮。ず~っとしゃがみ込む姿勢はすぐに腰当たりに違和感を感ずるのだが、それはコンクリート・ジャングルに派生する【都会性時代病症候群】の現われだと思うと恥ずかしくなって来る。
T氏ご夫妻は沢山の成果物を採り、自宅に帰ってから近所の人々に分けてあげるという。これからどんな危機が襲って来ようとも、この食自給率の高いT氏家族は安全なのであろう。都会に住む私はこのT氏がとても大事な人であると再確認した一日であった。
ちなみにこの日家に持ち帰った成果物は、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、大根、ふき、キャベツ、白菜、カブ、ソラマメ、エンドウ豆、バジル、キュウリ、春菊、しその葉、サンセス、レタスの16種に及んだのである。ただ今我家の板の間では、ビニールが敷かれ其の上に新聞紙を広げ、表面の湿気を取ってやる為にジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、カブたちが、一面に広がっている。

2012年5月25日金曜日

『日本復活私論』と神田昌典著『2022-これから10年、活躍できる人の条件』


3・11「東日本大震災」の直後から書いたエッセイが『日本復活私論』です。バブル崩壊の後、日本はデフレスパイラルから脱し切れずに、やれ政治が悪い、教育が悪い、外交が出来る者がいない、マスメディアが腐敗している、などなど人に悪いのを託けて欲望のなすがままに突っ走ってきた我ら日本人が3・11で巨大なるお灸をすえられたのです。しかしその断末魔の中、被災地の方々の行動を観て何かを感じたのです。そして其のころ偶然にもインターネット上で見つけた「日本人は全く独自のルーツを持つ民族」という記事に触れてピンと来たのです。それは今や資本主義先導の地球が崩壊寸前の危機に有るのを救うのは我ら『日本人』であると瞬間にひらめき、それが『日本復活私論』になったのです。(この内容はHP上の<エッセイ>欄に掲載してあります)

ところが、3・11から暫く経って、日本のマーケッターとして活躍中の神田昌典氏がダイヤモンド社のビジネス情報サイト『オンライン』でインタビューを受けた記事に遭遇しました。掲載日は2011年4月4日ですから東日本大震災からわずか3週間後です。その時に彼は「3・11により価値観が一変しました。従い日本人が正しい振る舞いを見せた時、我々のあり方が世界中の経済活動の模範とされていくに違いない。奇蹟の復興の10年となる」と主張していました。小生の『日本復活私論』と同一の“超予測”を言っているではありませんか。それも「東日本大震災」の後のほぼ同じ時期に。

彼はその後構想を纏め上げ、今年2月にPHP社から『2022-これから10年、活躍できる人の条件』という新書を発刊しました。これがただ今各書店で平積みのベストセラーだそうです。ご興味あれば是非一読をお薦めします。
さて小生は、この『日本復活私論』に関して、この度NPO法人『生まれ育ちとこころを学ぶサンの会』から6月23日()にスピーチする機会を頂きました。詳細は次のURLをクリックしてご覧下さい。

2012年4月29日日曜日

春のチューリップ散歩


4月21日、【オランダ友好協会】が主催したイベントに参加し立川の『国営昭和記念公園』のチューリップ鑑賞に出かけました。それはそれはスケールのバカでかいオランダ風庭園にビッシリと色とりどりのチューリップが咲き誇っておりました。チューリップにはこんなにも種類が多いのかと驚かされました。
この公園の企画に携わった方による丁寧な庭園の案内があり、このチューリップ畑の制作には毎年オランダからそのプロを呼び花壇設計をしてもらっているそうで、毎年花壇のレイアウトが違うそうです。
私はその目の覚めるような彩に驚嘆し、フォトストーリーを制作してみました。下の【ユーチューブ】をご覧下さい。


2012年4月6日金曜日

今日が満開だ!飛び出せ!

4月6日の金曜日。我家の前に大きな桜の木があるが、今朝一瞬にして八部咲き状態。明日から週末になり人の出が激しかろうとワイフと家を飛び出した。目的地は上野の不忍池と上野のお山。途中東京大学の敷地内を横切るのだが、東大病院前の桜の木々の下にはすでに今夕の為の予約席が青ビニールで占められていた。ここは桜見物客が少ない穴場なのだ。(左写真)
不忍池の周りには、金曜日の昼間なのにビックリする人の群。外国人が多いのにも驚かされる。よしよし観光立国「日本」が浸透してきていると言うことか。昨年は3・11で今ひとつお目出度い気持ちになれなかったが、今年は2年分の花見のためか、上野のお山の席予約のシートが例年よりビッシリ埋め尽くしているのは気の せいか。
今夜は花冷えらしい。そして満月らしいが曇り空で月は顔を出しそうに無い。数日前の「春の嵐」からは信じられないような、一瞬にして満開を迎えた桜をいの一番に満喫することが出来た。きっと明日からの週末、足の踏み場も無いような人出となるのだろう。

2012年4月2日月曜日

第9回「文京を歩くかい」実施される

3月24日(土)「文京を歩くかい」の番外編として【春の高尾山と高幡不動尊】と銘打って山登りが企画されたのです。目的は今年は辰年であり辰は神様からのお使いだそうで、縁起のいい年にしようと、春が来たら少しでも神様に近づいてみようと企画した訳です。
しかし実施日の2日前から雨が降り続き24日の天気予報も昼まで雨が残るという最悪の状況だったのです。「中止」にしようと覚悟はしていたのですが、何と金曜日の夕方になると天気予報が少し好転し「昼にはお日様のマーク」が出ていたので「実行」と決定したのです。
こんな天候にも関わらず、参加者は8名(1名は途中参加)。朝10時の「高尾山登山口」駅前では肌寒く春が程遠く感じられました。それでも皆さん元気に出発。登山ルートはいくつかあるルートの内で最も楽なコース【稲荷山コース】でしたが、渓流に沿った登山道は変化に富んでいて飽きの来ない楽しいコースでした。(一番上の写真)
高尾山頂上で楽しい昼食。ビールと日本酒を体に入れると少し体がポカポカして来ました。(二番目の写真)

下山は1号路を「薬王寺」経由で予定通り14:30に京王線「高尾登山口」駅に着いて、高幡不動駅まで行こうと乗車したのですが、ここでハプニングが起こります。電車が発車時間を過ぎても動かないのです。すると「先ほど京王片倉駅付近で人身事故が起こり電車は1時間後に発車予定です」とのアナウンス。高幡不動には途中から参加の友人が待っていますので慌てます。そこで「高尾山登山口」駅から隣の「高尾」駅まで出ればJRが走っていると判断し、その区間を歩いて行くことにしたのです。(上の写真)
その頃は天気予報通りに空は青空が顔を出し太陽光線がギラギラ照り付けて、今度は汗ビッショリです。何ともとんでもない付録でした。
高幡不動尊には予定より30分遅れで到着、途中参加の友人と合流して記念写真をパチリ。(下の写真)
さてお次は、この会の最大の楽しみである【懇親会】を高幡不動駅前にて明るい内から「乾杯!」でスタート。散会は案の定20:00でございました。皆さんほろ酔い気分でのご帰宅でした。ご苦労様でした。(歩行総合距離:14km)