2019年5月13日月曜日

新しいブログ・ページに移行

今年のGWは10連休。この機会を利用して私のHPを新デザインに作り変えました。

従いまして 新HP(New  Kaz's  Collection)は下記のURLをクリック下さい。  

   kazum.net/wp/

HPからブログに入れますが、直接ブログへの場合は;

   kazum.net/wp/new-kaz-collection/blog/

にて引き続きご覧下さいますようお願い致します。

以上(2019・5・12)


2019年4月25日木曜日

「平成」とは何だった?


後5日で「平成」は終わる。天皇陛下が「平成は戦争がない平和な時代でした」と述べられていたが本当に平和だったか?
明治は日清・日露戦争、大正は第一次世界大戦、そして昭和には太平洋戦争と人間同士が武器を持って殺し合う戦いは確かに「平成」の30年間には無かった。しかし新しい資本力で市場(地面ではなく)を取り合う戦い、所謂「経済戦争」で大敗した。平成に入った頃は企業世界ランキングでトップ20の内14を日本企業で占めていたが、平成が終わる頃にはトップ50に1社(トヨタ)しか無いという哀れさである。また平成に入る前からすでに「気候異常現象」は出ていたが、ボケッとしていて平成10年に遅ればせながら気象庁が「地球の温暖化」を認めた。地震大国「日本」なのに、その地上に原子力発電所を作って野鯖っている電力会社、神様は東日本大震災を起こして日本に気が付かせようとしたが、今も気が付かないふりして(再稼働に躍起となって)「令和」を迎える。天皇は自分から何も言えないので、ただただ各地の被災者にいち早く会いにゆき励ますしか道はない。実は天皇も日本の愚かさを知っているのだろう。「令和」はその我らが続けてきた愚かさから起きる反作用つまり「災い」を一つひとつ乗り切って行く辛いつらい時代であろうか。寺田寅彦よ、「災いは忘れた頃にやって来る」のだよね。(写真はネットから拝借)

2019年4月22日月曜日

根津神社『つつじまつり』


今年が丁度第50回目の根津神社『つつじまつり』をワイフと散歩がてらに行って参りました。今までにも何度と無くこの「まつり」に来た記憶は有るのですが、最高のタイミングに来たのは今日が初めてのように感じました。それほど色鮮やかに斜面が染まっておりました。そもそもはこの地が甲府宰相であった「徳川綱重」の下屋敷で有った時にツツジを植えたのが始まりで350年以上の歴史が有るそうです。約100種3000株が咲き誇っているそうですが、世相がこんなに暗っぽい時に、植物は何事も無いように美しく咲いてくれておりました。今日はいろいろな「赤」をジックリと堪能出来て幸せなひと時でした。


2019年4月16日火曜日

もう忘れたか? 原発の脅威


今日本は選挙カーが走り回る騒音の中にいる。いよいよ「統一地方選」がスタート、今度の日曜21日が投開票の日だ。原発脅威の県、福井県敦賀市の市長選でも「原発」に就いては議論を避けているという。理由は原発関係で働いている人々の票を意識している為という。
今日の新聞を開くと「福島第一3号機の核燃料取り出し作業開始」と記事が出ているが556本有る内で昨日4本を搬出し、完了は何と2年後の2021年3月予定という。まだ1号機には使用済燃料棒が392本、2号機には615本あり、これらの棒を引きずり出すのは2023年ころよりスタートという。この事だけでも私の生きている間には作業が終わりそうもない。それ以外にメルトタウンしたデブリは手付かずだがこれは一体どうするのか?どうなってしまうのか?どうやら私達の次の世代にお任せの結果となってしまったようだ。申し訳ない。
私は長崎生まれでもないのに「長崎楽会」に入会して10年近くになろうとしている。先月会員の方から分厚い本をお借りした。題名は「文明開化は長崎から」広瀬隆著 上/下2巻で読み切る為の借用期間は2年である。広瀬隆氏と言えば「東日本大震災」(2011・3・11)の1年前に「原子炉時限爆弾」という題名で出版した人物で、私は現在この2冊を並行読みしている。
「文明開化は長崎から」(初版2014年11月)の中で次のように書いた部分がある(上/P68)。『ポルトガル人 ルイス・フロイスが書いた「日本史」の中で1586年に起こった天正大地震における若狭湾(福井県)の大津波について、「大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海にのみこまれてしまった」と記述していた。にもかかわらず「この海岸線には津波は来ない」と軽佻浮薄の昼行灯揃いの電力会社のため、大津波到来を待つ若狭湾岸に14基が林立し、一触即発の日本となっているのが現在だ。』
2010年8月第1版の「原子炉時限爆弾」P69に次の記述がある。「実はこの最終原稿を書いている最中の2010年6月17日に、東京電力の福島第一原子力発電所二号機で、電源喪失事故が起こり、あわやメルトダウンに突入かという重大事故が発生したのだ。日本のマスコミは、20年前であれば、すべての新聞とテレビが大々的に報道しただろうが、この時には南アフリカのワールドカップ一色で、報道陣として国民を守る責務を放棄して、この深刻な事故についてほとんど無報道だった。」しかしこの本の7ヶ月後に本当に福島第一原発でその通りメルトダウン事故が起きた。そして現在その後始末すら出来ずに、原発を再稼働しようと粉骨努力している政府/電力会社とは、一体何を考えているのだろうか。つまりはただただ国(最悪は地球)が壊れる日をジット待っているのだろうか。自分の生きている間は起きないことを信じながらーーーー。

2019年4月5日金曜日

桜の中で「縄文時代」を楽しむ

<水子貝塚公園・白い丸の所は貝塚の発見位置>

<諏訪神社と桜>

つい4日まえに利根川沿いの水運の町「木下(きおろし)」を訪ね古代の「貝層」を見てきたばかりなのに、今回(4/3)は「貝塚」が大量に発見された富士見市を探索する機会に恵まれたとはビックリでした。

友人が『武蔵七党の【難波田城址】と縄文遺跡【水子貝塚】を訪ねる企画』を組んでくれたのです。
<氷川神社の湧き水>
スタートは東上線の「鶴瀬駅」で我が家からわずか40分ほどで着きます。朝から最高の天気で鶴瀬駅前の桜も5~6分咲きでしたが最高のお出迎えでした。
ウォーキングコースは まず「諏訪神社」からですが、この神社は大変古いそうで創立年が不明だが境内の欅は樹齢500年ですから古い神社でしょう。本殿を屏う大きな桜木も美しかったです。つぎは隣にある「氷川神社」へ。境内の一部が窪地になっていて木々が生い茂っていますが、下には「弁天池」があり湧き水が今も枯れること無く出ている姿をみて実に感動しました。
<難波田城址>

次に国道245号線沿いにある「ららぽーと・富士見」の巨大なショッピングモールの中で早昼食をとりました。食後暫く歩いて「難波田(なんばた)城址」に到着。中世の地元豪族「難波田氏」による平城だが、お堀や庭レイアウトや旧家がしっかりと保存されていてすばらしい。

<新河岸川と桜>
その後はしばらく「新河岸川の土手」を歩きましたが、土手の桜は満開にはチョイトは早かったでしたが誰も居ない静けさの中でのお花見は最高でした。そして次は高台に有る「大應寺」(真言宗)。この寺も創立は不明なるも古いのは確かで、本殿は平成21年に建て替えらたのですが、これがまた巨大でかつ荘厳で「おみごと」の一言。門前の桜参道もすばらしい。最後はすぐ正面にある「水子貝塚公園」に入り「資料館」では縄文時代の生活を学ぶことができました。
<大應寺参道の桜>
4日前に行った利根川沿いの「木下」は【縄文海進】の時には海の底だったが、ここ富士見市は武蔵野台地の北東縁に位置して海岸沿いだったので、この辺に縄文人が集落を作って生活していたわけです。私は、何となく自分の遠き故郷の空気を心の中で感じていたのです。


2019年4月1日月曜日

激寒の中での「木下・川めぐり」


<「木下(きおろし)交流の杜広場」から利根川上流を眺める

3月30日(土)NPO法人【江戸連】3月講として、利根川沿い印西市の「木下(きおろし)」へ河岸探訪に行って参りました。春のポカポカ陽気の中での「川めぐり」と利根川土手歩きを期待していたのですが、なんとなんと、手賀川と弁天川をぐるり回る船旅は体をブルブル震わせておりました。
<土手をブルブル震えながら>
この付近は江戸時代には利根川水系を利用して年貢米を江戸に届ける目的で水運が利用され、次第に沢山の河岸が作られ江戸へ海産物(生魚)、野菜、塩、材木などの輸送が盛んになり、明治に入ると沢山の蒸気船が航行していたそうです。「木下」には蒸気船の持ち主となった「吉岡家」が居りこの辺一帯の実力者として勢力を広げていたそうですが、しかし水運事業は、その後の鉄道や道路の発達により一瞬にして衰退してしまい、吉岡家も同様に煽りを受けて運輸業から撤退してしまったそうです。
<貝層貝化石灯籠>
数万年前はそもそもこの辺一帯は海の底であったそうですが、その証拠として「貝層」を見ることができました。「貝層」とは海底の貝が粘土層に挟まれてそのまま貝の層として残ったもので、「貝塚」は古代人が食した後捨てた貝殻の集まりが層をなしたものを言うので違うものだそうです。貝層の見える崖を探索し、その貝層で作った灯籠も見ることが出来ました。
大変に興味ある地域ですが今日は余りにも寒すぎたので、また陽気が良い時にでももう一度ゆっくりと訪ねてみたいと思いました。
<舟めぐり・手賀川のコブハクチョウの群れ>


2019年3月28日木曜日

バブル崩壊からの敗戦を迎えた


1997年3月「日経新聞」が『2020年からの警鐘』の小冊子を発刊していました。これは1997年1月1日から始めた記事「日本が消える」のシリーズ物を纏めたものです。この記事のタイトルが余りにショッキングだったとして当時各界で注目されたとこの小冊子の「はじめに」の所で書いていますが、2020年を来年に控えて今この小冊子の中を読み直してみると、なにもショッキングではなく、その通りの結果になってしまい、日本が誇りにしていたものを全て失ってしまいました。一言で言えば「日本はこれからどこに行こうとしているのかを、誰も言えないし分からない」という哀れな姿です。
日本文化の素晴らしさを日本人より外国人が理解し、日本の「匠」の技術力を大事にせず結果として失ってしまい、自然との共生が日本人の魂だったのに自然をぶち壊す人間に成り下がっています。国会とは国民を代表して国を導く機関なのに手前勝手でウソもまかり通る組織体にしてしまい、日本人の日本憲法に作り変える必要性を変な理屈付けで「憲法改正」理論をぶちまけ、日本は精神面から見ると完全に姿を失って消えてしまったのです。『2020年からの警鐘』の「改革こわれ破局へ」の項で次のように書いています。「思い切った改革が出来ず、歴史が繰り返すとすれば、バブル崩壊から25年後の2020年ころ日本は”次の敗戦”を迎える。」これが1997年の段階での”警鐘”だったのですが、全くそのとおり敗戦を迎えてしまいました。
しかし希望が全く無い訳ではなく、”歴史は繰り返す”のだとすれば、また「生きがえり」が始まるのです。きっと市民の一人ひとりの考えが少しずつ変わりながら、それも小さい集団が細胞のようにビッシリと集まった「寄り合い型」の社会が生まれ始めて行くのでしょう それが「新元号」の始まりなのかも知れませんね。

2019年3月24日日曜日

【木津かおり】さんのシークレットライブ


3月22日渋谷の公園通り「クラシックス」で開催された『木津かおりとTHE民謡』に行って参りました。久々に渋谷スクランブル交差点を通った私め「ジイサン」はその熱気と雑踏に押し殺されそうに感じました。
木津かおりさんのライブは東京山手教会の地下「クラシックス」で行われましたが、かおりさんのベレー帽はとっても似合っていて可愛かったです。パーカッションの岡部洋一さんとバイオリンの大田恵資さんとのコラボは、それぞれ音のプロ3人なので「THE民謡」はいつもいつも”音色の最高作品”として聞き惚れてしまうのです。お母様の四十九日という日に、かおりさん本当にご苦労さま、そしてありがとう!

2019年3月20日水曜日

【江戸六地蔵めぐり】サイクリング


<荒川区役所前の広場でのどかな昼休みの風景>
<品川寺>

この所毎日最高の天気が続きます。そこで今日(3/19)は、じっとしておられず愛車(我が自転車ロールスロイス)を倉庫から引っ張り出して外に飛び出し【江戸六地蔵】を巡って参りました。この六地蔵は宝永5年(1708)江戸深川の地蔵坊「正元」が江戸庶民から寄進を募り10年掛けて造立した地蔵菩薩で江戸の六街道の出入り口に安置されています。
自宅出発が朝6時、まずは国道1号線~15号線で南下して品川に向かいます。7:15に旧東海道沿にある「品川寺(ほんせんじ)」に到着。(京浜急行「青物横丁駅」の裏)
<太宗寺>
次は戻るように北上して高輪2丁目を左に折れて八芳園の角に出て左に折れ、外苑西通りを右折してひたすら北上し、青山斎場の左側を抜け、2020東京オリンピックの建設中建物の脇を通り新宿御苑を目指します。2番目の甲州街道沿の「太宗寺」に10:10到着。(地下鉄「新宿御苑前」駅から近い)
三番目は「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨お地蔵さんの側にある「眞性寺」で中山道の出入り口に当たります。太宗寺からは、明治通りに出て北進し目白通りを右折し、不忍通りを左折して護国寺を通過して白山通り(国道17号線)に出て巣鴨へ。眞性寺へは11:30着。
<眞性寺>
四番目は浅草・吉原の側にある「東禅寺」。旧奥州街道はここを通っていたらしい。巣鴨から17号線を北に向かい西巣鴨で交差する明治通りを右折して飛鳥山から王子駅前を通過、その先の溝田橋交差点を右折、明治通りを南下して吉原大門の信号を左折、その先に東禅寺はあり13:05に到着。お彼岸のせいで沢山の献花がされておりました。
<東禅寺>
五番目は、江東区・深川の清澄公園の側の「霊厳寺」で水戸街道沿いに鎮座しています。東禅寺から千束通りを下り浅草に出たら国際通りから浅草通りを左折して「駒形橋」を渡ります。渡ってすぐの清澄通りを南下、清洲橋通りを突っ切ったらすぐの「深川江戸資料館」に向かって左折するとすぐ左側に霊厳寺が現れます。(地下鉄「清川白河」駅から近い)
最後六番目は「永代寺」が千葉街道沿いに有ったのですが、明治維新の廃仏毀釈で廃寺となり、地蔵尊も川口の鋳物工場に払い下げされたそうです。
<霊厳寺>
地名の門前仲町は永代寺の門前だった事に由来するそうです。その跡地の側の「深川不動尊」に寄り、本日の【江戸六地蔵尊のサイクリング】を無事に完走出来たことを不動明王に手を合わせ感謝を込めて報告致しました。14:45全て終了、後は無事に我が家に戻るだけでしたが、途中「小名木川」に架かる「たかはし」のところで休憩を取った後、今度は隅田川を「清洲橋」で渡りながら、そびえ立つ「スカイツリー」を仰ぎ見て、そしてすぐそこの小名木川の河口にある芭蕉像がクッキリと見えました。自宅着は 15:45でした。
<深川不動尊>

2019年3月11日月曜日

今日の午後2時46分あなたは何をしていましたか?

<2011・5・16 早稲田大学・異業種研究会での発表>
そう、今日(3月11日)の午後2時46分、あなたは何をされておりましたか? 私の場合は、今日偶然にも8年前(2011年)の今日と全く同じ行動を取っていたのです。3・11の出来事に関してその年の5月に早稲田大学・異業種研究会での講演で「21世紀はこころの時代到来」をテーマに講演しましたが、その時の話のほんの一部分ですが;

<8年前の私>
『もうあの瞬間から2ヶ月以上も経った現在、私たち一人ひとりの“こころ”も実は少しづつ変って来ています。あの時は皆が「大変なことが起きた。どうしよう! どうしてあげよう!とにかく“がんばろう 日本!”」と“こころ”で叫ぶしか無かったのです。そして世界各国から「ガンバレ ニッポン!」のメッセージが届いたのです。このとき私は、世界中の人々と“こころ”が一つになった一瞬だと感じました。』
そしてその年の12月にエッセイ「日本復活私論」を書いておりました。このエッセイの中であの瞬間の私の行動を書きましたが、期せずして今日の私の行動は全くその日とほぼ同じ時間に同じジムで同じ内容のエクササイズを行っていたのです。巨大地震の瞬間の部分だけを書き出してみます。
『実はあの瞬間、私は週に1回ほど通っている東十条にある「スポーツジム」に居た。いつもお決まりの1時間半ほどの一連のエクササイズを終えて、最後にもう一汗とサウナに入って座り掛けた瞬間に、あの「グラ、グラ!」が来た。その時サウナの中には数人の人が居たが、皆さん【石原都知事の再出馬宣言】のニュースに見入っていた。
私は瞬間、「これがあの来るべきものの到来だ」と判断、汗が出る前に着替えした方がいいと思い慌ててサウナを出た。その時、サウナ内の人が、「何で入ってきてすぐに慌てて出るのか?」と言った不思議な顔で私を注視している姿が記憶に残っている。
サウナを出て風呂の脇を通る時、風呂の水がチャポン、チャポンと波打っているのが見えた。私は一目散にロッカールームに向かう。その時巨大な揺れが襲ってきた。沢山あるロッカーのそれぞれの中にある衣文掛けがロッカー扉をガチャン、ガチャンと叩きものすごい音を発している。サウナの中で汗を流してしまっていた人たち、そして石鹸を使って体を洗っていた人たちは、それを洗い落す行動が必要で、即座に外にでる訳には行かない。その点私はタイミング的にもラッキーであった。あまりの揺れとロッカーからの騒音で下着がスムースに着られない。
その時スピーカーから場内放送が流れる。「ただ今、大きな地震によりエレベーターが止まっています。皆さん慌てず非常階段を使って1階に非難してください。慌てないで行動してください」と叫んでいる。私が衣服を着てロッカールームを出ようとする頃、風呂内にいた人たちが慌てて飛び出してきてロッカールーム内が騒然となった。
この頃には揺れは治まっていた。1階に下りるとプールで泳いでいた連中が体にバスタオルを巻いて裸足で路上に飛び出してきていた。女性もバスタオルを体に巻いてその恐ろしさに路上でブルブルと震えている。何人かが携帯電話を繋ごうとしているようだが、「ダメだ、繋がらない」といって心配そうな顔をしている。
そこでピンと来た。「そうだ!自動車だ。カーラジオがある!」と急いで2階の駐車場に行って車のラジオを入れた瞬間にまた大きな揺れが来て、路上に居る皆が「キャーーー!」と悲鳴を上げている。そして電信柱の電線が大きく波打っていた。ラジオでの臨時ニュースでは「地震の震源地は宮城県・仙台の海上沖合いと推測されます。まだ大きな揺れが有るかも知れないので安全な場所に退避してください」と言った内容を繰り返していた。そこで周りにいる人々に「震源地は仙台の沖合いのようです」と伝えると、不思議なもので、皆さんも震源地を知り、そしてそれが離れた地である事を確認できた為か、チョットばかり安心した様子をしていた。
少し気持ちに余裕が生まれると、「我家は大丈夫か? 妻はどうしている?」と気になり始めた。すると直感的に「早くこの駐車場を出て家に向かった方がいい。暫くすると主要道路が緊急避難路として交通止めになるかも知れない」という考えが頭をよぎり、直ちに車のエンジンを掛けた。』

今日(2019年3月11日)、私は上述と全く同じ行動を取っていたのですが、ジムからの帰りの車の中で観るTVでは、どのチャンネルもあの日の追悼番組を報道しておりました。

2019年2月25日月曜日

右京山を歩いて「うなぎ」を食った

<緩い上り坂、頑張れ!>

2月23日(土)、我が町会の高齢者クラブ【みのり会】が「歩いてから鰻を食べる」イベントを開催したが、「うなぎ企画」を組むと常に参加者が多く今回も26名の参加であった。コースとなる「右京山」とは江戸時代・上州高崎藩主(7万2千石)松平右京亮の中屋敷だった所だが、今は「清和公園」として桜木が植えられ、この3月31日(日)には我が町会の「お花見」が企画されているが、この清和公園をぐるりと回るおよそ500mを1~3周して側の集会場で「鰻」を頂くのである。今回は【銀座・鳴門】から取り寄せた「蒲焼」である。食事が終わった後、女性群のお話は3時ころまで続くのだ。「歩いて」、「食って」そして「喋って」だから、皆さん「健康」には保証付きなのである。よし、また鰻で釣って皆を歩かせよう!
<皆さん、本当に元気! 後ろには河津桜が八分咲>


2019年2月15日金曜日

「お金」より「信用」か?


先日のNHK番組「クローズアップ現代+」で巨大企業がビッグデータをベースに人を格付けする社会が到来しつつある、という恐ろしき現象を特集していた。特にこの特集の中で驚かされたのは、中国で流行っている「ゴマ信用」という格付けシステムである。これは中国のEコマース企業でAmazonに並ぶ大企業「アリババ」がネット上で提供している「信用度」の格付けサービスである。
<2004年講演時のパワーポイント>
実は私は2004年頃から講演を受けるたびに【21世紀は”こころ”の時代】をテーマに話をし、その中で「これからは中央集権型社会から権限分散型社会に変わって行くので、”人・もの・金”重視の時代から”信用・信頼”重視の社会が到来すると主張して来た。2010年頃には文科省からの「緊急人材育成支援事業」としてハローワークでも無料の「人材育成プログラム」が施行され、そのプロジェクトの中での講演の際にも、「まずは自分の得意なもの探し出し、それを仕事に結びつけ、その上で人との信用度UPに努力せよ」と話をしていた事が思い出される。
<2010年ハローワーク・パソコン講座にて>
「信用の格付け」に就いては、すでに日本でも、例えば、みずほ/ソフトバンクが50/50で出資している(株)J.Scoreなどの格付けサービスが有るが、このサービスが中国で流行し始めた事が恐ろしい。中国は一党独裁の国だけに、一般市民が「金持ち」になる道は是迄はほとんど閉ざされているのだが、この「芝麻(ゴマ)信用」サービスを一般市民が利用して、信用度を上げる事によってお金持ちになれるし、愛も手に入れる道が開けることになれば、一体これから中国はどんな国になってしまうのだろうか。中国政府の舵取りが注目だ。

2019年2月2日土曜日

イギリス人女性の日本僻地一人旅


2月にある集まりで小生が「一人旅の魅力」をテーマに講演する機会を頂いた。現在その準備でパワーポイント制作に取り組んでいるが、「一人旅」ですごい人を見つけた。それも時代は明治時代初期(明治11年)、それも女性で、日本の奥地を一人旅したのだ。横浜を5月20日にスタートして、春日部~日光~新潟~楯岡(山形県)~新庄~秋田~大館~青森、そこから船で北海道に渡って、函館~森から船で室蘭へ、そこから海岸沿いに白老~苫小牧~平取まで行って”アイヌ人の生活”を観察し、復路は室蘭まで戻り今度は陸地に沿って、伊達~長万部~森〜函館まで戻って、そこから船で一挙に横浜まで戻って来るのだが、横浜到着が9月17日と言うからおよそ4ヶ月で僻地行脚を成し遂げた強靭な女性で、その名を「イザベラ・ルーシー・バード(47歳)」という。この旅に一人だけ通訳・案内人としてずば抜けた英語力のある「イトウ」が同行している。彼女は旅の道中、妹に手紙を44信送っているが、この内容を纏めて2年後に『日本奥地紀行』としてイギリスで発刊している。
彼女は体が弱かったので「転地療養」が一番と海外旅行を始めるが「種の起源」のダーウィンに「日本行き」を進められ、彼女は”最も安全で美しい国”が「日本」と信じて旅立ったという。しかし6月からの日本は梅雨の時期で、それはそれは田舎道で泥と塗れ、滑っては転び、そして蚤としらみとの悪戦苦闘の旅であったが、彼女の文化比較の目は鋭くノンフィクション作家として抜群でビックリ仰天である。民族学者の宮本常一も彼女の本を読んで講義を行っており、それが「イザベラ・バードの旅」として講談社から発刊されているが、これまた彼らしく日本文化との比較で読んで大変に面白い。是非「ひとり旅」にご興味有る方にはお薦め本として次の3冊を紹介します。
①『日本奥地紀行』イザベラ・バード著、高梨健吉訳 平凡社ライブラリー
②『イザベラ・バード「日本奥地紀行」を歩く』金沢正脩著 JTBパブリッシング
③『イザベラ・バードの旅』 宮本常一著 講談社学術文庫

2019年1月26日土曜日

大相撲1月場所 ”座布団を浴びた!”


昨日(1/25)大相撲13日目を両国国技館で観戦する機会を得た。11日、12日目で横綱・白鵬が連敗しただけに、この日の相撲は一段と盛り上がりを高めていた。私が「大相撲」に関してブログに書いたのは2016年1月12日で「日本人力士が何とか優勝して欲しい。それにはまずは横綱・白鵬を倒さねばならない」と指摘したが、何とその1月場所で大関「琴奨菊」が優勝してしまうのだ。”日本人の優勝”は2006年の大関「栃東」以来の10年ぶりだ。
そして2017年1月23日のブログでは「大関・稀勢の里が白鵬を倒して優勝し横綱に」の件を書き、この場所で琴奨菊が大関を陥落してしまう皮肉を書いた。”日本人の横綱”は1998年の「若乃花」以来の18年目の実現だった。しかしその稀勢の里がこの1月場所中に「引退」を宣言して土俵から去ってしまう。そして大関陣がボロボロと負けて不運なスタートとなる一方で好調にスタートした小結・御嶽海も膝を痛めて7日目から休場となってしまう。しかし御嶽海が11日目に再出場して来て白鵬を倒す殊勲勝で今場所を大変に面白い状況にさせた13日目に国技館に行けた事に感謝したい。
この日の「結びの一番」は、昨年九州場所で優勝した貴景勝と白鵬戦で何と貴景勝が勝ってしまう。その時沢山の座布団が私の頭を叩く。
<貴景勝が白鵬を「突き落とし」て勝つ>
今このブログを書いているときにNHKニュースで「白鵬、本日より休場」と伝えていた。「平成としての最後の1月場所」は本当に何が起こってもおかしく無いほど面白い。一度休場した力士「御嶽海」が相撲三賞(殊勲賞、技能賞、敢闘賞)のどれかを取るかも知れないが、取れば相撲歴史上初めただそうだ。そしてもしかすると関脇・貴景勝が連続優勝してしまうのだろうか? 面白い!面白い!
<白鵬敗れる 頭に手を添え座布団を避けている>

2019年1月14日月曜日

「酒街道」講演と「きき酒」


1月12日、セールス・フォース・マネジメント研究会の新年会が「東京夢の島マリーナ」にて開催され、私の「酒街道」ひとりサイクリングに関する講演の機会を頂いた。講演の後、酒街道を回ってこれぞと思う日本酒5種の「きき酒」と研究会の会員で寿司職人による江戸前鮨を楽しむという、真に贅沢な企画であった。
寿司が次から次へと最高のネタを使って目の前で握ってもらってお口一杯に頬張るのだが、皆さん「うまい!うまい!」の連続だ。そしてそれと同時に5種の日本酒をグイグイとやると言う、たまらない雰囲気でのテイスティング。それぞれ好みが有って、皆さんの酒談義が面白い。皆さんから「きき酒アンケート」を書いて頂いたが、香りを感じたトップは「角星酒造・水鳥記【特別純米】」(気仙沼)、
好きな香りだったトップは「竹の露酒造・白露垂珠【純米吟醸】」(鶴岡市猪俣)、最も甘かったのは「水鳥記」、最も辛いのは「金の井酒造・綿屋【特別純米】」(栗原市一迫)、一番美味しいと感じたお酒のトップは「白露垂珠」、そして最も平均的な評価だったのが「男山酒造・男山【特別純米】」(気仙沼)という結果でした。やっぱり人気が高いのはフルーティな「吟醸酒」なのだろうか?
ところが最後に残った量で比べると、何と一番飲まれたお酒は「出羽の雪酒造・ひやおろし【大吟醸】」(鶴岡市大山)だったのでした(5本の写真の一番奥)。「ひやおろし」はじっくりと醸成された秋酒で、日本酒が大好きな御じんには飲めば飲むほど味わいを感じるのか? とにかく今回の5本中、消費量はずば抜けて一番でした。
宴会が終わって外に出ると、細かい雪がパラパラと舞っていました。

2019年1月1日火曜日

おめでとうございます

2019年 元旦。 
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
私は近所の沢蔵司稲荷にて『越年・新年大護摩祈寿』に参加して108つの太鼓音を聞きながら,年間の邪念を振り払い、新しい気持ちで新年を迎えました。そしてちょっと寒い夜道を我が家に向かいながら、静かな元旦を迎えられたことが大いなる喜びです。今年も平穏であたりまえの一年でありますように。