2013年12月31日火曜日

日本がおかしい、日本人を取り戻そう

遂に2013年最後の日を迎えた。昨日「年賀状を出してはみたがーー」という題でブログをUPしたが、これは安倍総理の突然の靖国参拝という出来事から私の出した賀状上の一言『日本復活』が間違って解釈されてはいけないと慌てて弁明をしたのだが、その弁明を後押ししてくれるような新聞記事を今朝見つけた。『大晦日に考える=日本人らしさよ=』と言う題の東京新聞・社説である。
頭だしの言葉が『“日本を取り戻そう”と安倍首相は言いますが、それよりも“日本人らしさを取り戻そう”と言いたい。そんなことを思った1年でもありました。』そして本文の骨子を要約すると、『今年印象深かった光景のひとつに、俳優高倉健さんの文化勲章を受けたときの会見で、「日本人に生まれて本当によかったーーー」。それを聞いて実に新鮮な感じを受けました。最近聞いた覚えが無かったからです。(略)そして健さんはこうも言いました。「一生懸命やっていると、ちゃんと見てもらっているんだなぁ」。日本人の倫理観を見事なほどに簡潔に述べています。勤勉を尊び、仕事は公正に評価される。うなずきつつ聞いた人もいたでしょう。(略)

日本人論といえば、作家の司馬遼太郎さんは、1991年文化功労者に選ばれたときの会見で、「どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう。昔はちがったろう。ここからぼくの小説を書くことは始まった」と。(略)司馬さんは、明治を書くとことで、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と諭そうとしたのでした。古い日本人をふりかざそうとは思いません。しかしそれは私たちの先人の知恵であり、振り返る価値のあるものです。(略)私たちは経済的に豊かな日本を取り戻すのか、それとも精神的に豊かな日本人らしさを取り戻すか、そこが見るべき岐路です。日本はいま自信喪失状態のようです。しかし政治にせよ、経済にせよ、日本人らしさを忘れているだけなのではないでしょうか。』といった内容でした。
そうです。来年からは私たち「個人」一人ひとりが「日本人らしく」行動して参りましょうよ。3・11のような大災害の時だけ「日本人らしさ」を発揮するのではなく、日常生活に於いても欧米の真似をして「経済の豊かさを求める」のでは無く、「人様のために生きること」で、それが自分の幸せに繋がると信じて行動して参りましょうよ。

 もう一つ寝るとお正月
  お正月には神酒飲んで、テレビを見ながらウトウトしましょう
    早く来い来いお正月

それでは、よいお正月をお迎えください!(写真はインターネット上から拝借しました。深謝)

2013年12月29日日曜日

年賀状を出してはみたがーーー

「ヤバイ!」私が年賀をポストに入れたのが12月23日(天皇誕生日)の夜たった。その時は、来年2月に「日本復活私論=その2=」というテーマで講演をお願いしたいというお話がある勉強会グループから舞い込んでいたので、私としても2014年は本当の「日本復活の元年」にしたいと希望して、殆どの賀状に左のようにメッセージを付けて出状していたのである。
ところが事件は26日に起きたのだ。安倍総理がその日に突然靖国神社を参拝したのである。私は直感的に「マズイ!」と思った。今年年初「アベノミクス」という言葉が世界中を駆け巡り、総理は自分の名前がついてしまった為に平常心を失ってしまったか、自分の目標(最終着地点)の『憲法改正』に向けて、「日本版NSC」、「特別秘密保護法」、「集団自衛権の行使容認」と着々と国会で議案を通して足元を固めて来ていたが、何を思ったか、年末が差し迫って靖国神社を参拝したのである。米国/オバマ、中国/習近平、韓国/朴たちが内政でぐらついているのを機に、丁度総理大臣になって丸1年を記して強気に出たのかも知れぬが、ちょっとばかり読みが浅かったのでは無いのか。年末にそんな行動を取ってくれた事が私にとっても「やばかった!」のだ。
こんな雰囲気の下で、私が賀状に「2014年を日本復活の元年に」と言ってしまっては、あたかも「日本国民のナショナリズムを高揚させ、あの第2次世界大戦突入の時のように持って行く為に憲法を変え、そして戦争ができる国に持って行く」安倍構想が日本復活の第一歩だ、なんて私も同調しているのではと皆さんに取られはしまいかと不安になったのである。
私の言う「日本復活」とは全く政治や経済には関係していない。昨年私が発表した「日本復活」の原点は『Y染色体ハプログループによる研究で日本人は古い特異な人種(D系統)で、人類の根源に近く風土への順応性が高く、自然と共生してゆく種族』だという考えにあり、これからの地球上では日本人の考え方が世界中の人々から理解され、そして真似されて行くと信ずるのだ。私は来年こそ世界中がそんな日本人に気か付く「元年」になって欲しいと願っているのだ。

このような日本の持つ力を「ソフトパワー」と言うそうだ。これに対してアメリカが持つ「軍事力」や「経済力」は他国に政策を変える様に促す為に使える「ハードパワー」だそうである。ハードパワーのように無理やりに従わせるのではなく、味方にする力、それがソフトパワーだとジョセフ・S・ナイは自著『アメリカへの警告』(日本経済新聞社)の中で言っている。つまり私は「D系統の日本人のソフトパワーをそろそろ世界中が気が付き始める」そんな年になって欲しいなぁ、と願っているのだが。

2013年12月19日木曜日

まだ残っていた『針供養』


<特大の豆腐に針>
この12月8日 私の勤めている専門学校で『針供養』が行われました。ファッション校、きもの校の学生さんが日々お世話になった針に対して感謝の意を込めて折れた針や使い切った針をお豆腐に刺して神様の前で供養すると言う儀式です。
産業の近代化にともない、縫製も自動化されてゆくに従って針を使っての手作業が激減して、この針供養も廃って行ってしまいました。今ではこのようにして針を使って縫うことを学ぶ専門学校に於いてひそやかに守られている儀式だそうです。
<皆さんでパレード開始>
この針供養は関西方面では12月8日、そして関東以北は2月8日に行われるそうですが、両日やる地域も有りそのようにはっきりと分かれているわけではなさそうです。しかしそもそもは12月8日が「事納め」の日で「農耕具を納めて休む日」2月8日は「事始め」で「農耕を開始する前の休息日」としてこの「事納めの日」「事始めの日」を「事八日」と呼び針仕事も休む日と考えられていました。そしていつも硬い布を相手に縫っていた針に「ご苦労様でした」という気持で、今日だけはと柔らかな「お豆腐」に針を刺してあげて供養をしていたのです。


この日は学校の近くの神社から神主さんを呼んで厳かに神様の前で裁縫を学んだ大勢の学生達がそれはそれは大きなお豆腐に感謝を込めて針を刺して供養を致しました。その後学生達がその巨大なお豆腐をかごに乗せて担ぎ、学校の周りの商店街をグルリとパレードさせて頂きました。周りの方々が珍しそうに眺めておりましたが、このような習慣を一般の方々に知っておいて欲しいし、今後も末永くこのような習慣が残り続けて欲しいものです。
<商店街をお豆腐を担いでパレード>


2013年12月11日水曜日

「京都の紅葉」を楽しみました

<東福寺:正面が「通天橋」>
<東福寺の見事な紅葉>
不思議なご縁で繫がっているグループが在ります。このグループが誕生したのが11年前の2002年で、現在のメンバーは7人ですが、会社の仲間、取引先同士などで構成されているのですが、その繫がりが単純ではなのです。例えばAさんがBさんを紹介すると、そのBさんは偶然にもCさんとも知り合いだったといったようにそれぞれが不思議な縁で複雑に絡み合っている集まりなのです。またメンバーのお住まいも東京、大阪、京都と各地に広がっています。このグループは【ここや会】とメンバーの一人が命名しましたが、この名の語源は、「メンバー全員が“滅私奉公”を終え“活私奉妻”の立場になったが、どうしらいいか分からない。そうだ、それは“仲間同士”で集まって考え出す場所、それが“ここや!”。そしていずれこの会も“好々爺会”に変貌して行くのだ」と言うことで、会員のそれぞれの繋がりも甚だ面白く、そして会えばそれはそれは楽しい集いとなってしまうのです。ちなみに今年2月のブログでこの会の例年湯河原での「新年会」の様子を「朝寝、朝酒、朝湯が大好きでね!」という題名で紹介しましたが、今回は31回目の集いとなるのですが、京都在の方が12月1()~2日()、1泊2日の旅「京都の紅葉を訪ねて」という企画を組んでくれたのです。
<智積院にて皆さん>
<保津川下り>
紅葉の綺麗な庭を持つお寺を集中的に廻るという事で、1日目は東福寺から始まり、智積院、養源院、方広寺と廻り、2日目は嵐山の紅葉を船から眺めるという企画で「保津川下り」を体験し、午後には源光庵、光悦寺の美しい庭園を巡るという京都のモミジ紅葉を存分に堪能することが出来た二日間でした。感謝!
<源光庵・悟りの丸窓、迷いの四角窓>