2015年3月29日日曜日

夜桜、朝桜の定点鑑賞

<夜桜の先に半月が>
桜とは人を喜ばすのもあっという間です。天気次第では、満開の桜を見過ごしてしまいます。今年も3月22日の週に入って急に気温が上がって、この週末がベストかと自己判定しまして、早速28日(土)夜に近所の「播磨坂」の桜並木を観に出かけました。
<我が家の前の桜>
この播磨坂は戦災復興事業として都市計画道路環状三号線の一部として幅広な道路が造られたのですが、結果的にはこの部分しか完成しませんでした。播磨坂の名前の謂れは、この地が松平播磨守の上屋敷であったこと、その後この辺が千川(小石川)に沿った湿地帯で「播磨田んぼ」が広がっていたことによるそうです。
そして昭和35年に、この坂道の両サイド、そして道の中央にも桜歩道が造られ3列の桜並木に整備され、全体が緩やかな坂道になっていますのでその眺めは最高なのです。
<夜の桜>
<夜と同じ地点から>
我が家の家の前にも樹齢150年ほどの桜の老木があるのですが、毎年かならず播磨坂の桜を観に行くのが習慣となっていて、天気予報では日曜の午後から下り坂と言っているので、半月が照らす土曜の夜、そして翌日曜の太陽光が燦々と照りつけている早朝にも訪ねて夜朝の定点桜鑑賞を楽しんできました。

それにしても昨夜大勢の人が出て桜の下で宴会をしていましたが、今朝訪ねてみると、桜の下が綺麗に清掃されていて、なんと朝早くから今日の宴会場所取りのシートがすでに敷かれておりました。公衆道徳が守られている姿にほっとし、今日一日は雨が降らずにいてほしいと祈りながら帰宅しました。
<朝の場所取り>

2015年3月18日水曜日

【江戸連】銀座の路地裏歩き

3月14日、江戸連の「弥生講」が催され、テーマは「銀座の見方・楽しみ方」でした。
銀座に関して研究を重ね多くの書籍を出している岡本哲志氏(法政大学工学部建築学科教授)のガイドによる銀座路地裏の探索歩きという非常に贅沢な「お勉強会」でした。

まずは東京駅八重洲そばの会議室に集合し小一時間、銀座の謂れに関して岡本教授よりご講義を頂いてから、いよいよおよそ2時間のウォーキング。行程はまずは八丁堀の「舟入堀」の面影をたどり、ガス燈を残している「レンガ通り」を通過、ショットバー「ルパン」、鳥釜飯の「鳥ぎん」などの路地をジグザクと歩く。

江戸時代の町割りが図のように「会所地」を中心にロの字に家が建った「町屋敷」が一つの単位で、それが碁盤の目のように重なって街が形成されていたので、その家々の間には細い路地があったそうだ。それが今の銀座にも残されていて、今回のウォーキングはいつも通る賑やかな銀座の大通りではなく、ビルとビルの間を突き抜ける道幅が1mもない薄暗い、不気味な細道を抜けながら銀座一丁目から丁目まで歩き、最終ゴールは銀座博品館のところでした。今回の勉強会は大変に面白い多分人生において最初で最後の“銀座路地裏歩き”だったので大いに興奮しました。

2015年3月1日日曜日

日本が褒められていいではないか!

2月18日放送のNHK「首都圏ネットワーク」で『褒められたい日本』なんていうバカな題名を付けてパックンが言ったからどうだこうだ、といった内容を報道していた。外国人が日本や日本人を褒めてくれるのだから、堂々としていればいい。なんでそのような状況を「褒められたい」と言う受身的表現にしてしまうのか? NHKも籾井会長問題を引きずったままだが、その職に不慣れな人材なのだから起こるべきして起こしているのであり、このご時世に本当に無駄なことだ。それにしてもTOPがトップならその組織で流している番組の質が低下してしまうのも自明の理であろう。
終戦後GHQ(連合国総司令部)によって仕組まれた「日本憲法」そして「教育」、その教育を受けてきた私たちは「自虐的発想」を叩き込まれているのです。従って外国人が褒めてくれているのを、自分から「褒めてもらいたい」なんて受身的に捉え、NHKの番組を観ていたら、全体的流れを「謙虚な態度が美徳であり、褒められようとする態度は控えよう」なんていう方向に作り上げていた。思わずTVを観ながら、私の口癖『ふざける菜!』と発してしまった。
数日前にある書店に入ったら「日本・日本人論コーナー」という特設台があって、次のような本が平積みされていた。『神々の国の首都』(小泉八雲著/平川祐弘編)、『英文収録 茶の本』(岡倉天心著/涌谷秀昭訳)、『シュリーマン旅行記』(H.シュリーマン著/石川和子訳)、『はてしなく美しい日本』(ドナルド・キーン著/足立康訳)、『英国人写真家の見た明治日本』(H.G.ポンディング著/長岡祥三訳)『日本その日その日』(エドワード・モース著/石川欣一訳)などなどが見事に並んでいた。
シュリーマンやモースは江戸時代末期〜明治初期に日本を訪ねてきて、如何に日本が素晴らしい国かを褒めているのである。シュリーマンは1822年ドイツ生まれで藍の商売で巨万の富を得て1864年に世界漫遊の旅に出て翌年の1865年の日本に立ち寄る。江戸末期の日本人の生活を見て驚嘆した。その旅行記から一部を書き出してみよう。
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されていると言えるだろう。なぜなら日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。」(例:多色刷り版画における絵師、彫り師、刷り師)
そしてモースは1877年に来日、大森で「貝塚」を発見したことで有名だが、彼の著書『日本その日その日』からほんの一部を書き出してみよう。
「夫人が6人いれば5人までが必ず赤ん坊を背負っていることは誠に著しく目に付く。時としては背負う者が両手を後ろに回して赤ん坊を支え、またある時には赤ん坊が両足を前に突き出して馬に乗るような恰好をしている。赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことは滅多になく、また私は今までのところ、お母さんが赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度もみていない。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほど良い赤ん坊は世界中に無いと確信する。」
江戸時代、日本そして日本人は素晴らしいと外国人が感じ取っていたのです。
外国人から褒められることは嬉しいことではありませんか。自信をもちましょうよ!是非上に紹介した本を読んでみてください。