2010年12月26日日曜日

2011年『アトリエ清水1月展』のご案内

来年は1月9日(日)より14日(金)まで例年のように「千代田区・いきいきプラザ一番町」1階ホール「区民ギャラリー」にて  11:00~19:00(最終日のみ~ 18:00)開催されます。

今回の出展は「かわいらしいサイズの油絵」をテ-マに4作品、

【モレの通り】(シスレー模写:サイズ F4)、【天孫光臨】(創造画:F4)、【東大・安田講堂】(写真より:F4)、【バラ】(写生:SM)をご覧頂きます。

私は10日・成人の日(月)11:00~15:00、12日(水)15:00~17:30、会場に居ります。開催期間中、お時間がございましたら是非ご来場頂ければ幸甚に存じます。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

2010年12月20日月曜日

NPO法人『江戸連』にてスピーチ

年の瀬も迫る12月18日(土)日本橋の伊場仙ビル会議場にて江戸連・12月講が開かれ、そこで『一人行脚から学んだこと』というテーマで2時間お話をして参りました。講話の依頼を受けた際に「ハイ!」と簡単にお引き受けしたのですが、自分が一人で歩いた旅の話を2時間もするのは、聞かされている方はたまったものでは無く、すぐに飽きられてしまうぞと、さてさて弱った事になったと悩み込んでしまいました。

ここを何とか飽きさせないで2時間もたせるにはと、パワーポイント編集に変化を入れる、 つまり動的画像とBGMの導入、さらには講話の中間に【塩の道・ひとり行く】のDVD(18分物)を放映して何とか2時間のプログラムを作りました。またこれ迄もスピーチの機会が有る度にお話してきた『21世紀はこころの時代』を副題として、次のようなお話の流れとなっております。

==目次==
○ 自己紹介
○ なぜ『一人行脚』なのか?
○ 『塩の道』を空から眺めよう
○ 『一人行脚』から学んだこと
○ 『鯖街道・ひとり行く』のビデオ鑑賞
○ 近代文明からの“しっぺ返し”と『日本文化』
  江戸文化に学べ
○ 『21世紀はこころの時代』
  21世紀は日本が世界をリードする!?
○ シルバーエイジ活躍の到来

当日の参加者は32名と盛況で、講話が終わって皆様から「眠らなかったですよ!」といわれ大満足でした。今回のパワーポイントで作った作品もまあまあ良く出来ていると自負しておりますので、これをネット上で皆さんに公開できる方法は無いものか検討中です。

2010年12月1日水曜日

文京区『いきいきシニアの集い』に油絵出展


平成22年11月30日から3日間文京区シビックセンターにて『いきいきシニアの集い』が開催され、油絵作品『雨の妻籠宿』(サイズ:F8)を出展致しました。当町会からはもう一つ友禅染作品『さくら姫』が出展されたのですが、なんと今回は展示場所が部屋の丁度コーナーになっており、隅っこに追いやられた感じがして残念でした。
しかし私が訪ねた時に、若い女性の方が私の絵の前でシ~~ット見つめておられるようで、 嬉しくもあり、声を掛けたい気もするのですが、何か恥ずかしくて柱の影でジ~~ット見守るだけでした。

2010年11月15日月曜日

町会の老人会旅行と人形との出会い

当地の老人会・旅行で11月13日から1泊2日で長野県・湯田中温泉に行って参りました。
町内から迎えのバスに乗り首都高速―外環―関越―上信越自動車道を走りお昼には長野県・中野市に到着しておりました。昼食の後中野市内にある文学博士「高野辰之」記念館を訪ねました。正直なところ彼の名前を知らなかったのですが、あの「ウサギおいし、かのやま~」に始まる「故郷」や「朧月夜」、「紅葉」の作詞をした人と聞かされ驚いたのです。なぜ名前が知れ渡らなかったかの理由は、当時これらの歌が「文部省唱歌」として紹介され作詞・作曲家の名前が表示されなかったことに起因しているそうです。

その次に、隣の飯山市にある「高橋まゆみ」人形館を訪ねて、またまた驚かされたのです。 針金に粘土を巻いて形を作りそれを布生地で包んで作る人形はどれも表情豊かで、その世界に引きずり込まされてしまうのです。高橋まゆみさんは普通のアスパラ農家のお母さんだそうですが、人形創りの基礎を通信教育で学び、やがて自己流で作り続け、その題材は村々にある普通のお年寄りの生活表情や家族や孫への思いやりがテーマになっているようです。これが丁度私達年齢の者にはたまらなく感動させられてしまうのです。
嫁と喧嘩して、身の回りの物を肩に背負って右手に「位牌」左手に「まくら」を抱え家を飛び出してはみたが、しばらくすると家に戻ってくる「頑固ばあさんの家出」とか、作品「母の手」では、母に抱きついている子供の目にキラリと光る小さな涙。その細かな表現に見ている私も涙腺が緩みます。
(下の写真は 高橋まゆみ人形館で配られる絵葉書より)
更に徹底的に驚かされる事態が起こるのです。高橋まゆみさんの人形の周りには、沢山の小道具が配置されて雰囲気を盛り上げているのですが、何と、何とこの小道具を作っているのが、私達町会の町会長だったのです。この因縁が超驚きなのです。なぜなら、この「湯田中行き」の旅行が決められたのも、そして高橋まゆみ人形館を訪ねる行程が組まれたのも、全く町会長の知らないところで決まっていたのですから。何と言うめぐり合わせでしょう。 私には信じられません。

【高橋まゆみ】創作人形家に就いての詳細は彼女のHPをご覧下さい。
  http://www.1-light.com/dollart.htm

2010年10月27日水曜日

【第7回 文京を歩くかい】 快晴の中で実施


10月23日(土)は、前の日までグズグズしていた天候が信じられないような秋晴れの朝を迎えました。天気予報では翌日の日曜日はもう午後から雨となっているのですから、何とラッキーなことでしょう。そしてこの会は回を重ねるごとに参加人数が増えてなんと今回は18名にもなっております。
今回のテーマは『旧東海道を歩こう!』でして大森海岸がスタート地、そして旧東海道に沿って品川宿を通り三田までおよそ15kmを歩きました。
大森海岸駅から「しながわ区民公園」に入り、木々がこんもりと生い茂った薄暗い林の中を一列になって歩きました。時々木々の間から太陽の光がこぼれ落ちてきて、こんな都心にもかかわらずとてもすばらしい森林浴を楽しむことが出来ました。

次に坂本竜馬が黒船を見たという「浜川砲台」に出て、勝島運河の土手に沿ってコスモスが満開の「しながわ花街道」を海からの潮風に吹かれながら歩きました。
それから坂本竜馬の立像がある立会川駅前に出て、ここからは旧東海道を解説頂くガイド付きで「来福寺」~「山内容堂の墓」~「品川(ほんせん)寺」~「荏原神社」と歩き、そして「品川交流館」にて皆さん特製弁当で昼食。午後からの参加組と新馬場で待ち合わせし、「品川神社」~「権現山公園」~「御殿山庭園」~「東禅寺」~「泉岳寺」~「亀塚公園」を経て午後5時過ぎに三田の打上会場に到着。北京料理飯店を貸切り、9時過ぎまで懇親を深めに深めたのです。今回はデジカメで動画を撮ってみましたので、これを編集して近々【YouTube】にUPしたいと思います。乞うご期待。ここではその一部、「しながわ区民公園」の中、木に覆われた小道を一列になって歩いているシーンをご覧いただきましょう。

2010年10月15日金曜日

日和田山ハイキングと武者小路実篤

10月14日(木)友人H氏と二人で「野辺山歩き」に出掛けました。コースは西武池袋線で高麗(こま)駅下車、ここからまずは途中の彼岸花群生地として有名な「巾着田(きんちゃくだ)」に立ち寄りました。すでに彼岸花は終わっていましたが、しかしビッシリと畑一面に咲いている美しいコスモスが出迎えてくれました。
それから日和田山(305m)を目指しての登りに入りますが、途中保育園の児童達が大声を挙げて「頑張れ!頑張れ!」とお互いに元気付けながら一列になって登ってゆく姿に出っくわし、「こんな小さい時から登山を経験すれば、きっと何かを体得するはずだ」と嬉しく感じました。

日和田山頂上からは、すこし靄に包まれていましたが中々の眺めでした。それから物見山の脇を通って鎌北湖に出て昼食、そこから大谷木川に沿って東武越生線の「武州永瀬駅」に向って下りて参ります。その途中で八高線の踏切を渡った先にある武者小路実篤が理想郷を目指して昭和14年(1939)に作ったと言われる「新しき村」を通過します。

ところが私達二人が八高線の踏切を渡った直後にサプライズが起きたのです。H氏の友人K氏と偶然にもバッタリ出会ったのです。K氏はこの「新しき村」の住人で早速敷地内を案内して頂きました。「杉と桧の違いは?」、「真竹と孟宗竹の違いは?」などを教わり、そしてご本人が挑戦している「竹の炭焼き」現場を見せて頂きました。

現在ではこの竹炭は「脱臭剤」として、湿度調節用として、更には土壌の改善剤として利用されているので、人気が高いそうです。他に養鶏、椎茸栽培などが行われていて、早速採り立ての「初玉子」と「椎茸」をお土産に買いました。

午後3時過ぎには「武州永瀬駅」に着いたのですが、二人にてビールで打ち上げしようと酒屋を探しても見つからず、飲み屋も時間が時間だけにどこも開いていません。ほぼ諦めかけていた時に、4日前に開店したばかりという「ネパール料理」のお店が一軒開いておりました。ここで冷たい、冷たい生ビールで乾杯が出来たのです。美味しいネパール料理を食べたのも初めての体験でした。これは今日のもう一つのサプライズでした。

2010年10月11日月曜日

不動明王の開眼法要と木遣りお練


我が家の近くにある「澤蔵司稲荷」にて10月10日『不動明王 お練り』が行われた。これは(社)江戸消防記念会・第四木遣(きやり)親声会が100周年記念に「火伏せ守り本尊」である不動明王を澤蔵司稲荷に寄進するもので、隣の「傳通院」本堂前から木遣り第四区10組の纏を先頭に不動明王がお輿に乗って澤蔵司稲荷まで向かうというイベント。木遣り纏振りの行進、仏像の開眼(魂入れ)作法など多分一生に一度見られるかどうかの催しと思い出掛けてみた。朝方は激しい雨が降っていたが「お練」が始まる午前10時には雨は上がっていた。

江戸の中期、「火事とけんかは江戸の花」と歌われたころ、「町火消し」が町の鳶職中心に組織されて、火事と聞けば、纏を先頭に「それ!」と火事現場にはせ参じたという。町の鳶職が中心だったことから、社寺や家が造られるときに「木遣り歌」が歌われ続け、現在に引き継がれてきているという。澤蔵司稲荷別当のお話では、江戸消防記念会は第11区まであるそうで、この第四区は文京区、豊島区、千代田区の一部をカバーしており、神田明神など神社が多い地域だけに一番威勢がよく統率が取れているという。纏もそれぞれに違ったデザインで、それが振り回されながら、威勢のいい「木遣り歌」が日曜の静かな小石川台地に響き渡って、大変に気持ちがいい。木遣り歌の響きが余りにもスバラシイので持っていったデジカメで動画を撮ってみたのでご覧頂きたい。

2010年10月1日金曜日

秋祭り無事終わる!

今年も無事にそして盛大に地元の秋祭りを終了することが出来ました。
我町会は組織の団結が固いことと、青年部が大変に闊達に行動することでこの近辺でも最も元気のいい町会だと評判です。従ってお祭りも盛大に行われるのです。
特にこの時期(9月23~24日)ではお祭りの最終時期らしく、もうすでに終わっている地区のお神輿担ぎ手が集まって来てくれて元気のいい神輿の宵宮渡御、宮入渡御が繰り広げられるのです。これも我々町会の青年部が各地のお祭りに担ぎ手として手伝いに出ていたからこそ、そうして来てくれるのです。当町会にはハッピが200着ほどありますが、それがほぼ全数出切ってしまうのですから、神輿の回りには200人以上の人が囲っているのでしょう。

我ら老人会は神酒所をお守りする役割で、お祭りの期間中は朝から夜まで神酒所に張り付いています。この期間はこうして地元の人々との交流がとても楽しくもあります。朝からお酒を皆さんと戴いても誰からもお小言を言われない、すばらしい一日なのでございます。私も神輿の前に立つ「おんべ」役を仰せつかり、交通の激しい白山通りのほぼ中央まで神輿を引っ張り出す醍醐味を味わいました。そして縁起を担いで、神輿も担がせて貰いました。

2010年9月17日金曜日

150分講話でしゃべり続けました!


またまた突然ハローワークが実施している「緊急人材育成支援事業」で西新宿で行われている「初心者向けパソコン研修」の中での「講話」の要請を受けました。何と今度は1コマ50分の連続3コマでトータル150分を喋らねばなりません。受講者は26人で年齢は20歳代から60歳代と幅広い。講演内容を準備する時間も無いので、前回横浜・関内で行った講話内容をちょっと膨らませて何とかこなすように仕組みました。全く新しく追加した項目は『インターネット社会とは?』でメディアの進化の歴史からインターネット世界を解析してみました。兎に角受講者に飽きが来ないように聞いて貰うには、私の方から一方的に説明するのを避けて、時々質問なり問いかけをして受講者に答えて貰うように両方向コミュニケーションに努めました。お陰さまで眠っている人は居なかったようで、よかったと思っています。さて、どんな内容を喋っていたのか、当日配ったアジェンダの内容をご覧頂きましょう。
(講話日:9月16日[木] 10:00AM~12:50)

講話テーマ:『やりがいのある仕事を自分で見つけよう』

【1時限目】 10:00 ~ 10:50

◆自己紹介
◆『地球規模で変革が起きている』
 *「地球規模」とは?   
 *「欧米型文明」の行き詰まりとは?
 *「日本」はどうなってしまったのか?
 *「江戸の文化」と「エコ社会」 

【2時限目】 11:00 ~ 11:50

◆文化の違い (商社マン時代の経験から)
 『国が違えば文化も違う』
 *アパートは日当たりの悪い部屋の方が人気が高い(米国/シカゴ)
 *若い時に一戸建ち、年老いてからアパート住まい(米国)
 *シンガポールは大きなデズニーランドだ!
 *アメリカ人は何と合理的ケチなのだろう!
 *子供への教育の違い、佐久間のドロップと金太郎飴
 *結婚披露宴は2時間遅れでスタートとは本当?(シンガポール)
◆インターネット社会とは?
 *メディアの進化の歴史から解析
◆「ヒトデ」は「クモ」よりなぜ強い? 
 *「親分子分型社会」から「寄合い社会」へ

【3時限目】 12:00 ~ 12:50

◆私の趣味 「塩の道」と「鯖街道」 に就いての解説

==ビデオ鑑賞:鯖街道DVD(2/4 & 3/4)==

◆なぜビデオを観て頂いたのか。
◆『やりがいのある仕事を自分で見つけよう』
 *挑戦することによる快感と満足度
 *地球規模の変革の時代での挑戦 へのヒント
 *「生きる」ということ

                            以上

2010年9月13日月曜日

油絵大作『芝原の六地蔵』の完成


昨年の8月末にサイズF30(910X727m/m)のキャンバスに向って、1年掛けてやっとのことで、私にとってサイズF30の油絵2作目が完成しました。1年掛けて毎日少しずつ書いて来たかと言えばそんなことは無く、書き始めた1ヶ月ほどは構図取り、そして凡その色入れなどに注力したのですが、その後は殆どキャンバスの前には立つことは無く、この7月に入ってからエイヤーと描き込んでやっと「この辺で止めにしよう」という状態になったのが9月に入ってでした。
この「芝原の六地蔵」とは信州・小谷村から大網峠を抜けて糸魚川に出る千国街道筋に在ります。大網の宿場町を抜けいよいよ峠に向って山道に入るところに鎮座ましましておりました。それも大きな杉の大木に挟まれた間にチョコンと6つのお地蔵様が現れた時には本当に驚きました。しかしその6体の格好がユーモラスで旅の途中の私をホットさせてくれました。

2010年8月29日日曜日

訪ねて欲しい『布文化と浮世絵の美術館』



今年の夏はどうしたのでしょう。異常な暑さが続き9月の半ば過ぎまでこの極暑が続くそうです。そんな猛烈な暑さの8月22日の日曜日、11時に家を出て歩いて浅草『Amuse Museum』に向ったのです。余りの暑さに頭がおかしくなったとしか考えられません。炎天下の真昼間にわざわざ歩いて出掛けたのですから。しかし外に出て歩いてみて、何とこれが最も暑さを凌ぐ最高の方法と気づきました。歩いていれば気は紛れるし、そして何と言っても日陰に入れば外の風が爽やかに感じてしまうのです。

1時間半ほど歩いて浅草寺の二天門のそばにある『Amuse Museum』に入ったのでございます。
この美術館は「布文化と浮世絵の美術館」と言われ、特に青森県・下北出身の民俗学者「田中忠三郎」氏の布類のコレクションの展示に驚かされます。
とにかく皆さん、この猛暑の中で部屋でエアコンをガンガン回して我慢しているより、この美術館を訪ねて古き時代を眺めて「涼しさ」を実感して頂いてはどうでしょう。(入場料大人@千円) これが本当のエコ的週末の過ごし方かもしれません。
(上記写真が「二天門」でその上の黒い看板が立ているビルがAmuse Museumです。)

そしてお勧めは、その美術館の屋上に出てスカイツリーの伸び具合を眺めてください。
(左の写真が8月22日時点での伸び具合です。)
更に最後に美術館の出口で田中忠三郎著『物には心がある』を購入の上(定価:千円)、一読してみてください。きっと今の生き方を見直す何かのヒントを与えてくれそうです。
その本の中でのほんの一部を以下に紹介してみたいと思います。

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民具を求める旅の途中、あるお婆さんからこんな話を聞いた。

「台所で泣くと『女は台所で泣くものではない』と姑から言われ、夜 寝床で泣くと『うるさい』と夫が怒る。我慢しろと言われるばかりで、女には泣く場所すら無かった」。(略)
普段着、労働着、晴れ着・・・と多様な服が、様々な材料で作られてきた。衣服作りは婦女子にとって、日中の激しい労働を終えてから、睡魔と格闘しながら行う夜なべ仕事であった。
激寒の冬、板の間に座って針仕事をする主婦は、家族の者たちがみな寝静まった後、囲炉裏の残り火をかき分け、その明るさと、わずかな暖で作業をした。
素肌の片膝の上で麻の繊維を糸による仕事は言語に絶する苦痛を伴い、感覚の全く失われた冷え切った膝を道具として使ったという。(略)
このような食もおぼつかない状況の中でも、婦女子にとっては衣は欠かせないものであった。一枚の麻布が、多難な作業の末に出来上がる。それを紺に染め、麻布の荒い目を木綿糸で刺し縫いすることは、防寒、保温、補強の用途だけでなく、女として美しくありたいという願いがあり、だから「こぎん」「菱刺し」の模様を作り出してきた。「暗く貧しい青森」と言われた地で、なぜ豪華で緻密なこぎんや、色鮮やかな菱刺しが生まれたのだろう。そこには自然と共に暮らした人々の叡智があり、四季折々の風土の中で素直に生きた証がある。(略)
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今では、電気洗濯機に衣服を投げ入れ洗濯石鹸をいれてON,タイマーをセットして炊飯器をON,いつでもお湯が沸いているポット、クーラーをONにしてTVを掛ければ24時間お目出度い番組で溢れ、これは何かが狂っているのではと思いませんか? そう、丁度ここ連日の激暑と同じように。
この本で昔に触れることで、何かに気づき日々の生活の中で改めることが発見出来ればと~~。

2010年8月16日月曜日

若い女性達の前で講話




8月16日の月曜日、体が解けてしましそうに暑い暑い一日でした。今日は「お盆明け」の日できっと高速道路もUターンラッシュで一日中混むのでしょう。私はそんな日の朝、8時台に横浜・関内に向けて家を出ました。私にとっては大変にめずらしい一日のスタートだったのです。


今日はネイリストを目指して勉強している若き女性達に講話することになていたのです。10時から50分+50分の2コマで中間に10分の休憩が入ります。若い女性22名の前ですから、皆に飽きさせないように聞いてもらうように話の内容には大変に気を配りました。前半の50分は「地球規模の変革とは」を分かりやすく話をして、次の50分では、「自分の発見と遣り甲斐について」をお話しました。勿論皆さんが眠らないように生き抜きに途中途中に私の経験談などを入れましてお話をして参りました。皆さんが眠ることなく私の話を聞いてくれまして、暑い暑い一日でしたが、私にはとても気持ちがいい一日となりました。感謝しております。

2010年8月14日土曜日

遂に最新のHP完成


5月に入ってHPの製作に取り組みました。ラッキーにも私の息子のヘルプを得ながら出来る限り最新の技術を取り入れ、およびインターネット上の無料のサービスを活用したシステムの構築に努めました。
思えば私のHPの歴史は2000年にマイクロソフト無料ソフト「Front Page Express」で作り上げ小生の油絵作品を掲載して【油絵仲間を探しています】という題名で掲載したのが始まりです。
そして2001年からエッセイを書き始め、それもHPに掲載を始めました。2005年には初版【伊那谷と私】を発刊、そして「文京を歩くかい」がスタートし、さらには講演の内容などをHP上で紹介するようになり徐々に内容が広がって行きました。

10年も前のHP設計ですから古臭くなった感が有りまして、この度全く新規に設計をし直した訳です。日常の出来事や意見の発信は<ブログ>にて、油絵などは<写真アルバム>として「Picasa」を利用、またマイクロソフト無料ソフト「Windows Photo Story 3」を利用して写真をスライドショーにし、さらにそれに動きを与えBGMを添えて映画風に編集して<私のビデオ>として「YouTube」へUpするなど新しいテクノロジーを取り入れて作り上げました。しかしやはり初代HPも捨てがたく、<懐かし版>として残しました。
是非ご覧頂きまして、忌憚のないご感想をメール頂ければ幸甚に存じます。

2010年8月6日金曜日

『鯖街道』と2つの手紙

◆私は『鯖街道』を歩き、人間による自然破壊に大いに怒りを感じました。そしてそれに関して2つの手紙が行き来しました。最初の手紙は7月20日に私から「総合地球環境学研究所」に出状されたのです。


拝啓 暑中お見舞い申し上げます。
突然の出状をお許しください。
小生はすでに年金生活者ですが、今年の5月連休明けの10日から3泊4日で「鯖街道・根来坂峠越え」を歩いて参りましたが、新緑に包まれた古道は大変にすばらしい景観でした。しかし一方で廃車や粗大ゴミが人気のない山道に激しく捨てられている姿に直面して大変にショックを受けて参りました。

突然に○○殿にお手紙する切っ掛けは、この鯖街道を歩いて4日目の最終日、鞍馬寺から鞍馬街道を京都に向って下りてまいりますと、二軒茶屋の町を過ぎて暫く行きますと、何と「総合地球環境学研究所」のバス停の所に出てまいりました。この時点ではこの研究所がどのような機関であるのか知りませんでした。

7月に入りまして「人間文化研究機構」主催のシンポジューム 7月9日『知の役割・知のおもしろさ』、そして7月16日『食・生物多様性と文化多様性の接点』に参加させて頂き、その時に貴研究所がこの機構のメンバーである事を知りました。小生はこのめぐり合わせに驚きました。そのシンポジュームにて各氏の講演を聞いたのですが、どうも専門分野が違うように感じまして、申し訳ないとは存じますがまずは○○殿の方に連絡を取ってみようと、出状させて頂いた次第です。

私が問題指摘したいのは、日本はこれから「観光立国」として取り組んで行くに際して、このように自然を破壊するような悲しい姿をまず取り去って行かねばと考えています。このような活動はどこの部署でしているのか?文部科学省ではどんな対策を考えているのだろうか?などなど、もし○○殿がお分かりでしたらご教授頂ければ幸甚に存じます。

ご参考に小生の駄文エッセイ『鯖街道・一人歩き』および自分で製作したDVDを同封してありますので、もしお時間が許したらその酷い一面をご覧頂ければと思います。

ご多忙とは存じますが、よろしくお願い申し上げます。
これからまだ暑さ厳しい折、ご自愛ください。
敬具


◆これに対して7月27日付けで次のようなご返事を頂きました。

拝復

先日はお便りを頂きまして、ありがとうございました。また人間文化機構のシンポにもおいでいただきまして、重ねてお礼を申し上げます。

さて、鯖街道でのゴミの不法投棄のお話、ほんとうに胸が痛みます。大型家電具の処分の有料化が始まってから、日本の里山から原生林まで、車道のあるところはゴミ捨て場なってしまいました。もちろん違法なので、警察に努力してもらうぐらいしか、当面の対策はないのだと思います。

「観光立国」として国土交通省から派生して環境庁が発足しましたが、そこまでは手が回らないのではないでしょうか。文部科学省はユネスコ担当なので、世界遺産などは視野に入っていますが、基本的には都道府県が具体的な対策を考えるしかないのが実情です。ただ、そもそも道徳教育がなっていないというなら、文部科学省の初等教育担当の部局も無関係ではありません。

わたしどもの総合地球環境学研究所では、地域に根ざした観光という問題には取り組んでおります。この秋に刊行予定の「地球環境学辞典」にも「持続可能なツーリズム」という項目を設けて、わたしが執筆しております。また沖縄などの南西諸島で、「地元の宝」を探す活動もやっておりますので、その成果本などをお送りいたします。

今後とも、よろしくご指導いただければ幸いに存じます。

敬具

2010年7月21日水曜日

連歌・俳諧・俳句について


7月17日【連歌の可能性について(連の楽しみ)】という高城修三氏による市民公開講座を聞きに行って来て、連歌、俳諧、俳句の歴史に触れて、何かスッキリした気分になれたのです。私は俳諧と俳句の違いをシッカリ理解していなかったのですが、高城氏の連歌に関する講義を受けてクリアにする事が出来たのですから、今俳句に挑戦している私に取っては「驚きと発見」だったのです。

それでは私の「驚きと発見」をかいつまんで下記に述べたいと思います。

●俳句は歴史の浅い「近代文学」である。
●芭蕉も俳諧をやってたのだ。
●連歌・俳諧はみんなで作る句集だから「開かれた文学」である。
●正岡子規が西洋近代文学の視点から「連歌形式は文学にあらず」と否定。 連歌の付句を廃止し発句を「俳句」と改め 「作者の個性で閉ざした文学」とした。
 そして700年の歴史を持つ連歌・俳諧は忘れ去られる。
●子規の弟子「高浜虚子」が師に背けず、俳諧をそのまま擁護できず、「連句論」 として展開、現在に至る。

さて「連歌」の面白さは発句(5・7・5)から次の人が「脇」(7・7)を詠い、そして次の人が「第三」(5・7・5)を詠み次に四句(7・7)、五句(5・7・5)~と順々に続け「挙句」まで行くのですが、これらが繋がって一つの物語となるのです。(つまりこれが「連」の楽しみです。)
この連句が重なって行くに従って前の句の意味が全く変わって行くのです。そこが大変に面白そうですね。
連句・俳諧はこのように大勢の人で繋げてゆく面白みがあった訳ですが、発句のみにしてしまった俳句は季語と「切れ字」で面白み(驚き)を表現することになったようです。
つまり俳句(発句)の作り方のヒントは、(5)+(7・5) あるいは (5・7)+(5)と切れ字で分かれ、その二つを結びつけるワザだと言う事になりませんか。 つまり上手に二つを繋いでとんでもない味をだすワザなのです。つまりは「料理」や「服装」と同じ感覚だそうです。

あの有名な俳句でもそんな経緯を辿ってきているのだそうです。
「蛙飛び込む水の音」(7・5)の驚きは「蛙鳴く」ではなく「飛び込む」としたところだそうだが、その上が「やまぶきや」もあったそうな。
「岩にしみ入るセミの声」もそうだそうで、上に「山寺や」もあったそうな。それらの上が「古池や」そして「閑かさや」に収斂し世の中に残る名作となったと言われています。
だから俳句の作り方の要領として、まずは普通の現象・出来事をまず書き出しておいて、もう一つの方を驚きなる言葉を探し出し、その二つを組み合わせて驚かすように(自己満足だが)作ったらいいのではなかろうか。こう考えると何かすんなり創れるような気がして参りました。

私も4月からインターネットの投句会に参加して、これまでに10句ほど投句致しました。毎月1000句ほどが集まって来て皆さんでそれぞれ選句するのですが、この選句作業も大変です。1000句の内から気に入ったもの5句を選ぶのですが、1句に30秒を掛けたとして全部詠み切るには8時間強掛かります。私の投句でどなたかに選ばれ加点頂いた句が2つあります。それにしてもこれまでに2回投句したのですが、それぞれに1000句ほどの作品があり、その中で私の俳句を選んで頂いた訳ですから、本当に感謝、感謝です。
それではどなたかに感じて頂いた2句とは;

  路地裏に子規偲ばれる福寿草
  夏の朝屋根がゆらゆら露天風呂 

2010年7月6日火曜日

第6回:【文京を歩くかい】無事に終了




7月3日(土)に開催されました【文京を歩くかい】は最終16名の参加を得まして、梅雨の時期にも拘らず雨にも降られず全行程を完歩出来ました。今回のテーマは「東京を違った角度から眺めよう」で、千鳥が渕公園内の小川、皇居内での森林浴、広大なアスファルト面の皇居外苑から眺める大手町の摩天楼、子供の頃の遠足を思い出した芝生内での昼食、バカ尾根を連想する三宅坂の上り、本当に富士山が見えたのか疑いたくなる九段の富士見坂、急階段で迫ってくる市谷亀岡八幡、市谷台地の上にあった大日本印刷(株)の巨大牙城、なかなか見つからなかった尾崎紅葉の旧居跡、神楽坂文化を思い出させる細いクネクネ路地、そして一見料亭かと思わせた居酒屋「竹子」と、普段見落としそうな場を歩いてまいりました。最後の打ち上げ場「竹子」では、大いに飲み、おおいに語り、8時散会予定が、あっと気がつけば10時近くになっておりました。参加の皆様、本当に長時間ご苦労様でした。

2010年6月20日日曜日

歯科医院が我油絵サロンに

我家の近所の河野歯科医院に私の油絵を飾って頂いてから早くも2年が経っている。そもそも置いて頂く切っ掛けは私が歯の治療で治療椅子に座らされてジィ~ット壁を見ていると壁に有名な北斎の浮世絵が掛かっていた。ここに絵を掛ければ患者さんは必ず目の前の絵を見る事になる。そこである日思い切って河野医院長にお願いした。「もしお許し頂けるなら、ここに私の油絵を掛けて頂けないでしょうか。もし患者さんの評判が悪かったら直ぐに引き下げますから」とずうずうしく一方的にお願いしたのだ。
最初に持ち込んだ絵は【都電 霞町停留所】であったが、患者さんの一人に霞町付近に住んでいた事のある方が居られたりして、まあまあ評判が良かったようだ。


そこで1年ほど前に患者として訪ねた時に、「もう飽きたでしょうから」とゴッホの模写作品【サントマリーの風景】と交換した。そしてそれからほぼ1年後の今年3月また患者とて医院を訪れると、我絵が待合室のソファー正面にデ~~ンと掛けられているではありませんか。
医院長曰く「治療室はチョット暗いのでここに移動しました。壁の色合いとピッタリなので、絵の上の天井にライトを新たに付けて絵を照らすように改造しました。皆さんから大変に評判がいいです」とのうれしいお言葉。


感激した私はロビー待合室のもう一方の壁に掛ける油絵【大沼公園からの駒ケ岳】を持ち込んだのであります。医院長が「この絵も色が冴えていていいよ」と言ってくれます。お陰さまで私の油絵愚作のサロンとなって頂いており感謝しております。

2010年6月12日土曜日

鯖街道 一人行く


5月10日~13日「鯖街道」を歩いて参りました。5月連休の後の3泊4日の旅で、初日から3日間は雨の中という最悪のコンディションでしたが、何とか完歩することが出来ました。
今この旅をエッセイに纏めていますが、あと1ヶ月ほどで書き上げてHPに掲載する予定です。
一方この旅で撮った写真をスライドで流し、BGMにピアニスト松居慶子さんの曲を使わせて頂き、【超癒し版DVD】が完成しておりますので、同時にHP上にUPしたいと思います。是非ご期待下さい。

2010年5月23日日曜日

遂にブログを開始!!


この度ブログを開設しました。このブログを通して私の近況並びに考えを皆さんにお伝えして行こうと思います。
5月10日から3泊4日で鯖街道を一人行脚してまいりました。この写真は、全長75Kmの鯖街道を完歩した後、京都嵐山竹林での一枚。