2015年6月28日日曜日

讃岐を訪ねて

NPO法人「楽しいひととき出前どころ」の主催による『四国・丸亀コンサートの旅』(6月20〜22日:2泊3日)に参加し讃岐を満喫して参りました。讃岐と言えば「金刀比羅さんとうどん」位に思っていたのですが、今回の旅は文化度が高く大変に充実した旅だったのです。私にとって讃岐は初めてなので多くの発見が有りました。
<讃岐の山々>
高松空港から「栗林(りつりん)公園」に向う途中の車窓からは円錐状の小山がポコポコと見えるではありませんか。讃岐には7つもの「富士」が有ること(讃岐七富士)を知りました。それは今から1400〜1100万年前(中期中新世)の火山活動の産物だそうで山頂に「讃岐岩質安山岩」が覆っているのであのように美しい富士形の小山が群立しているそうです。
<栗林公園の松>
次の驚きは「栗林公園」の中に有りました。この公園は水戸光圀の兄「松平頼重」が初代の高松藩主となり、その後歴代藩主に引き継がれて100年掛かりで作り上げた回遊式庭園だそうですが、公園内の松林が凄いのです。職人が巧みに手を掛けて作り上げた盆栽松が並んでいて、この松林は薬草を作っていた場所を隠す目的で植えられたそうで、これも私を大いに驚かせました。庭園の中で栗の木には全く気がつかず、こんな庭園なら「松林公園」と名づけた方がピッタリではないのかなんて独り言を言っておりました。
高松市内のホテルに向う途中で「屋島」に寄り、四国霊場第84番札所「屋島寺」を訪ね、山頂に建つ荘厳な姿に感動しました。また屋島から見下ろす瀬戸内海は素晴らしい眺めでした。
<偕行社コンサート会場>
2日目は石垣の美を誇る「丸亀城」を見学した後、善通寺市内にある「偕行社」で開催されるピアノコンサートに参りました。偕行社とは明治初期に陸軍将校の社交場として創立された洋風の建物ですが、そのイベントホールにて丸亀が生んだ名ピアニスト『田村真穂さん』が弾き語るスペイン舞曲/スペイン組曲にジックリと浸っておりました。
その偕行社の近くにある四国霊場第76番札所「金倉寺(こんぞうじ)」を訪ねてまたまた驚きました。学生時代に歴史で学んだあの真言宗の開祖と言われる弘法大師・空海がこの地「讃岐」で生まれたことを知ったのです。
<金丸座>
3日目は「金刀比羅宮」を参拝し、その門前町中にある芝居小屋「金丸座」を訪ねてその豪華さに驚きました。しかし今や年に1回桜の時期に歌舞伎公演が行われるだけになったとの事で寂しい気がします。それも火災などの安全性を考えるとそう簡単には公演ができないことが理由だそうです。そして昼は田村真穂さんの案内で「うどん」の“はしご”をしました。1軒目が「谷川米穀店」(伊多郡まんのう町)でかけうどんに生卵をいれて食べる実にシンプルな味で、狭い店のせいか行列待ちの盛況でした。
<谷川米穀店>
そして2軒目は「宇多階(うぶしな)神社」(綾花郡宇多津町)が経営している店名「うぶしな」で、ここはかけうどんに自分で“てんぷら”や“あげだま”などの具を選んで入れてたべる方式でしたが、月曜日だと言うのにどちらの「うどん店」も混み合っておりました。
それにしても今回の旅は目に、耳に、そして味と、十分に五感を満足させる旅でございました。
<屋島から瀬戸内海を望む>

2015年6月15日月曜日

アベちゃ〜〜んへの質問状:「日本は大丈夫ですか?」

ある山奥に住む(ここでいう“山奥”とは現在の低次元なマスコミから遠く離れた山岳地帯を意味しています)変人の一人である日本国住民”イッポウ君”から質問状が届きました。
「日本の安全は大丈夫ですか?」
「安保法案を通せば、日本は本当に安全なのですか?」
「集団的自衛権の行使は自衛隊員に危険をおっ被せていませんか?」
「こんな時代になってもまだTPPを成立させねば貿易はダメになるのですか?」
「東京五輪の計画は日本建築の値打ちを無視し、あまりに杜撰すぎませんか?」
「原発をベースロード電源にするとあなたは今だ主張していますが正気ですか?」
「中国はあなた達を適当にあしらっていることに気が付いていますか?」

そこで、山奥で秘密電波をキャッチした本当の様な話をお伝えしましょう。

「隣の国は本当にバカやな。我々には十分なるエネルギーの貯蓄なぞない。もし戦争が始まれば我々は1日として持たない。エネルギーが無いので、戦車も船も飛行機も長時間動かせられぬのじゃ。だから言ってるやろ。現在設置しているミサイルは日本の「原子力発電所」を一発で破壊せよ。絶対に逸らすな! それも稼働している原発をターゲットにせよ。それを破壊すれば、日本は大慌てや。自分達の手で放射能被害を食い止めんと躍起になりおる。今の東北の姿を見れば分かるはずやがな。自分達で勝手に慌てるので結果的に我が国へは日本から反撃を受けることがないのじゃ。こんなことあの国の連中は何故分からないのかなあ。そんな訳で日本には原発の再開をドンドン進めて欲しい。我々は戦争が始まったら、そこをターゲントにするやさかい。ところで我が国が逆の立場だったら、”今度どこどこの原発を再開する”などとは口が裂けても言わんな。だって、そこを敵に狙われるジャン!」
この電波傍受はどこの国からかは、お分かりですよね。

本当に日本はおめでたい国なのでしょうか?
おいおい、大丈夫かよ!! アベちゃ〜〜ん!

2015年6月1日月曜日

東国万葉の道「手児奈伝説」を訪ねて

<手児奈霊神堂>
6月1日、毎月1日の早朝に近所の寺で行われる「大護摩」に参加したが、余りの天気の良さに、もし今日を逃すと梅雨に入ってしまい、気になっていた「願い」が先に伸びてしまうのではと不安になった。「やるなら今でしょ!」という事で、市川真間の絶世の美女「手児奈姫(てこなひめ)」が眠る「手児奈霊神堂」に行こうと即断した。多分、私は彼女の魅力に無性に引き付けられたのかも知れない。
昔々の神話の時代に「手児奈」という美しい娘がこの地に居て、その噂が全国に知れ渡り里の若者のみならず国府の役人や都からの旅人が結婚を迫ったという。
しかし手児奈は「わたしの心はいくらでも分け与えられるが、体は一つ。もしわたしがどなたかのお嫁さんになると、他の人たちに不幸を与えてしまうでしょう」と悩みながら、遂に真間の入り江に夕日が沈むのと一緒にひとり海に入って行ってしまったのです。「万葉集」の中でも、山部赤人や高橋虫麻呂の歌人たちも、はるばる都からこの地を訪ね歌を詠んでいる。
<下総国分寺>
奈良時代に聖武天皇は全国に「国分寺」「国分尼寺」を建てますが、市川真間の地は下総の中心地としてその両寺が置かれ、【行基菩薩】がこの地に来た時に「手児奈姫」の話を聞き、痛くその心情を哀れに思い「求法寺」を建て手厚く弔われたといいます。平安時代には【弘法大師(空海)】もこの地に来て求法寺を「弘法寺(ぐほうじ)」と改称されました。なにせ古代から中世、そして近代へと次から次へと男性が彼女を訪ねて来ていたのです。
さて、今朝はいつもより早めに朝食をとり、JR総武線で「市川」駅到着(8:15)、「真間銀座」を歩き抜け京成電鉄「真間」駅に出て、そこから5分ほど歩いて「文学の道」に出ます。
<真間川>
青い葉で覆われた桜並木は大変に気持ちが良かったです。そこはこの市川真間にゆかりの有る文学者達を紹介したパネルが配置された回廊となっているのです。パネルでは、水原秋櫻子、阪井久良伎、幸田露伴、永井荷風、水木洋子、北原白秋、中野孝次、山本夏彦、井上ひさし達が紹介されていました。しばらく歩くと間もなく「真間川」に突き当たり、そこから「手児奈霊神堂」までは10分程で到着。すぐ道を隔てた向かいが「亀井院」となっていて、このお庭に「真間の井」があり手児奈がこの井戸で水汲みをしたそうです。
<亀井院の「真間の井」>
この後「下総国分寺」「国分尼寺跡地」そして「じゅん菜公園」に出て(12:00)公園の木陰のベンチで池を眺めながら、のんびりと昼食をとり、その後は「小塚山公園」—「堀之内古墳公園」—「堀之内緑地」を通過して北総鉄道「北国分」駅に到着(12:50)。北総線は地下鉄浅草線に直結していて、蔵前駅で大江戸線に乗り換え我が家には午後2時には着いておりました。(20300歩)
今日は古代の美女に近づくことが出来て、歴史の深いところに触れたような気がして、好天の元での楽しい“ひとり歩き”が出来ました。今夜はキット“手児奈姫の夢”が見られるかもーー。
<じゅん菜池>