365日のいよいよ最後の日となった。一応数日前から大掃除的な行動を取ってきたが、今日は自分の部屋の掃除をして新年を迎える準備が完了。さてさて今年1年はどんな年だったか、自分の日記帳をペラペラ捲りながら回想してみたい。
今年は3月17日に息子一家が我が家の二階に引っ越して来た。これは今後万が一の時にでも同じ屋根の下に息子一家が居る事は何かと心強い。最初の頃はババは孫相手には疲れるので控えめにしないと、などと言いながら一番に面倒を見ているので、孫からは最も好かれているようだ。
ところでこの一年、株式市場は記録的高値で閉まり、就職状況では人手不足とかで売り手市場だと言われ、好景気の様相というが私には何かピンと来ないのは何故だろうか?
どうやら、好景気とは大企業の一部や金融市場など限られた分野に金が集中しているだけで、所謂人口比率で高い低所得層には寧ろ収入が減っている現実が心を寂しくさせているのだろうか。更にそれに輪を掛けて政治の貧困が我ら国民の気を晴らせない理由だろうか。
近隣の国でごげ臭い匂いを発生させているが、どこそこのトランプさんがプッツンして「戦争」にだけは至らぬように祈るばかりである。
そんな憂鬱な1年を終わろうとする最後の読書で中谷巌著『資本主義以降の世界~日本は文明の転換を主導できるか~』に巡り合った。この本が出版されたのが2012年2月となっている。私は全く同じ時期に『明日の日本を読む【日本復活私論】』を書いていた。中谷氏は近い将来に”文明の転換”により世の中が変わるといい、その主導を取るのが日本だと主張している。という事は私と中谷氏の考えが同じで、あの2011年3月11日の「東日本大震災」の時、被災地の人々の冷静沈着な行動を見て、そのように感じたというところまで私と同じなのだ。私の主張、縄文人の血を持つ日本人が将来この地球を救うのだ、と思うと将来が楽しく見えて来る。こんな事を考えながら「こぞ今年」となってゆくのだ。