2016年12月30日金曜日

来年もよろしく!

ついに申年が終わり、いよいよ酉年を迎えようとしています。
みなさん、大掃除は終わりましたか。
来年もよろしくお願い致します。
好いお年をお迎えください。





2016年12月23日金曜日

『江戸連』12月講「忘年会」無事終了

<投扇興>
毎年「堀切菖蒲園」の集会場での開催が恒例となった「江戸連」の忘年会、今年も12月18日(日)開催され、その開幕は「投扇興」に始まり、次が「日本舞踊」そしてこれも恒例となった【花伝亭長太楼】さんの「落語」と盛り沢山の出し物、そして最終章はその集会場での「宴会」となる。 
<お集まりの皆さん>
日本舞踊は「藤間信子師匠」と二人のお弟子さんによる「江戸唄」に載せて舞れました。江戸唄とは歌舞伎に付随した三味線伴奏の「長歌」、それに対して短かものの「小唄」、さらにおどけや艶ものなど一種の流行り唄的な「端唄」と3種を言うそうだ。
<日本舞踊>
そして次の出し物は長太楼さんによる落語が「占い八百屋」。この演題は「柳家権太楼」師匠が演じていたものをテープで聞いて覚えたというのだから、これまた凄い。特にその古典落語に入る前の「18歳と81歳」の小話には腹を抱えて笑ってしまったのだ。他人事では無いと思うのでちょっと茲に書き残しておきたい。

心がもろいのが18歳、 骨がもろいのが81歳。
偏差値が気になるのが18歳、 血糖値が気になるのが81歳。
道路を暴走するのが18歳、 道路を逆走するのが81歳。
夜グッスリ寝れるのが18歳、 夜中に3回トイレに行くのが81歳。
恋に溺れるのが18歳、 風呂で溺れるのが81歳。
旅に出て自分探しをするのが18歳、出かけて戻らず探されるのが81歳。

おいおい他人事では無いぞ、クワバラ、クワバラ。
<花伝亭長太楼さん>
江戸連の忘年会、毎度毎度感心するのだが、午後1時半から始まり夜8時過ぎまでの長時間にわたり、そしてその間文化度の高い出し物が続き、江戸文化を愛する人たちの集まりだけあって、江戸時代の時の流れで進行しているのかも知れない。大したものだ!

2016年12月8日木曜日

早大「セールスフォースマネジメント研究会」  40周年記念祝賀会

<熱気がムンムンしていた会場>
12月2日(金)早稲田大学・異業種勉強会「セールスフォースマネジメント研究会」の40周年記念祝賀会が池袋のパーティ会場「グレースバリ」にて開催されました。
今回は会場の設営から式次第や、さらにはイベントの内容などを決めて行く運営責任者として大役を任されていたので、その結果が出る瞬間なので本当に緊張しました。限られた予算の中で、是非とも「派手に音出し」をしたいと思い参加人数が40~50人規模のパーティ会場を探しました。2時間という限られた時間の中に「木津かおり(三味線、ボーカル)+佐藤錦水(尺八)の民謡コラボ」、「藤間信子の日本舞踊」、
<2次会のカラオケでもムンムン>
「三条アンナのジャズ」そして「田村真穂のクラシックピアノ」と盛りだくさんで、あっと言う間に2時間が過ぎて、きっと皆さんに満足して貰ったと思っています。
<やちゃいました!>

祝賀会の後は会場の隣の「カラオケ」にて二次会。私は大役を無事に終えた満足感と虚脱感で、無我夢中で1曲「君はほんとの妻だから」を歌わせて貰いました。今日はよく声を出した長く感じた1日でした。お疲れ様。

<全員での記念撮影>

2016年12月3日土曜日

江戸連・11月講 青梅の紅葉を満喫

<青梅織物工業協同組合にて>
11月26日(土)江戸連の11月講「青梅の歴史と御岳渓谷紅葉の散策」が行われました。
JR青梅線の「東青梅」からスタートして、「旧府立農林学校」の佇まいを見ながら、その先の四つ角を左折してすぐに「青梅織物工業協同組合」に到着します。多摩で絹が作られたのは大和朝廷時代からと言われているそうで、この時期に都近辺の渡来人が新座郡への移
<後ろが「津雲邸」>
動が命ぜられ養蚕や機織り技術がこの地に根付いて行ったそうです。従って奈良時代の「租庸調」で布を調として官に収めたとして「調布」という名が今も残っているのだそうです。
次に昭和初期の建築「津雲邸」を訪ねました。青梅市民により維持管理されおり、ボランティアガイドが細かく解説してくれて勉強になりましたが、特に「東海道名所図会」などの草子本を自分の手で直接触れたのには大いに感激でした。次に青梅駅から
<清流ガーデン澤乃井園>
電車で沢井駅に出て、沢井駅から急坂を下り殆ど駅の真下に位置する「小澤酒造」を訪ね、酒造り工程を学び、ここの銘酒「澤乃井」は有名ですが今回は今年の新酒「しぼりたて」を試飲出来ました。昼食は「清流ガーデン澤乃井園」で摂りましたが、丁度紅葉の時期で「御岳渓谷」は人で溢れていました。午後は澤乃井園から多摩川を挟んで対岸にある「寒山寺」、「かんざし美櫛館」を訪ね、そのまま渓流に沿って30分ほど上流に向かって歩き、「玉堂美術館」に到着、ここの石庭越しに見る紅葉はこれまた最高でした。この後「御岳駅」から電車で「立川」に出て「懇親会」に参加し、皆さんでじっくりとガソリンの補給を楽しみました。本当に充実した「紅葉詣で」でした。
<「玉堂美術館」の石庭>

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2016年11月20日日曜日

秋の金沢路


<ひがし茶屋街>
2年に一回の町会・商店会の旅行。毎月8千円づつ貯金をして、2年ごとに豪華な旅を楽しもうという企画。
<うひゃ〜高〜ぇ!>
今年は11月12~13日の週末、北陸新幹線に乗り金沢に出て金沢市内を回って、山中温泉で泊、翌日は永平寺から東尋坊を回って金沢に戻り新幹線でご帰還という行程。とにかく出発の朝の新幹線の中での朝食からアルコールが用意され、昼食も、そして移動のバスの中もアルコール漬けとなる。金沢市内では「兼六公園」には行かず、じっくりと「ひがし茶屋街」と「主計町(かずえまち)茶屋街」をゆっくり散策出来たのは、細い路地を抜けながら江戸時代を思わす家の佇まいを楽しむことで酔い醒ましには好都合だったのだ。山中温泉宿『花紫』でひと風呂浴びると元気が出てきて、宴会ではコンパニオン相手にノリノリの展開となった。そんな一瞬の北陸の旅だったが、丁度シーズンを迎えた海老と蟹を満喫、そしてこれまたグッドタイミングの「山中温泉・ゆげ街道」と「永平寺」の紅葉は大いに目の保養となった。
<東尋坊>
驚いたのは、「金沢市内・近江町市場」で見た蟹の値段の高さ、そして「東尋坊」岬の日本海に向かってなぁ~んにも無い広大さだった。帰りの北陸新幹線の中では往きと違い皆さんグッタリと静かだった。楽しかった体験を、ありがとう!
<永平寺>


2016年11月2日水曜日

第16回『文京を歩くかい』無事終了

<護国寺でガイドのお二人>
10月29日の土曜日、16回目の『文京を歩くかい』が開催され、男性14名 女性5名の総勢19名が参加され、今回は文京区と熊本との関連した場所を中心に歩いて参りました。夏目漱石、小泉八雲の墓地がある「雑司ヶ谷霊園」を巡り、次の「護国寺」からは文京区の「まち案内・ボランティアガイド」に案内をお願いし、じっくりと護国寺を案内頂き、次は三丁目坂を上って目白台地に建つ「東京カテドラル聖マリア大聖堂」へ。さらに肥後熊本・細川家の所蔵品を収蔵している「永青文庫」へ、そして庭続きの「細川庭園」(現在の新江戸川公園)→芭蕉庵→大洗堰跡と回り、午後4時過ぎに江戸川公園に到着。ここでガイドの方々とはお別れし我々は最後のエネルギーを振り絞って水道橋西口の「鳥貴族」までウォーク。午後5時を過ぎ回りはとっぷりと暮れており、鳥貴族に入るや皆さん飲み放題、食い放題に大満足のご様子で、たっぷりと2時間をエンジョイ致しました。本当にご苦労様でした。
<東京カテドラル聖マリア大聖堂にて集合写真>

2016年10月17日月曜日

高齢者パワー


毎年秋になると、文京シビック小ホールにて地区の「芸能大会」が開催される。今日はその日で、生憎朝から雨がシトシト。10時から「式典」が始まり文京区長、文高連地区長、本富士警察署長など方々の挨拶があり、10時半頃より第2部~第4部に渡って各クラブからの芸能がご披露され、終了するのが午後3時過ぎ。今年は我が町の高齢者クラブ「みのり会」は13名による合唱に挑戦した。ご披露した歌は、1950年代のヒット曲である藤山一郎の【青い山脈】と岡本敦郎の【白い花の咲く頃】の2曲。曲が世代にピッタリだったのか、そして皆んなのハッピ姿が受けたのか、なかなかの評判だった。このように大声を張り上げて歌うのもストレス解消で、長生きの秘訣なのかも知れない。皆さん、ご苦労様でした。
13名の美声は大いに受けましたよ!(私は右端)

2016年10月8日土曜日

ガソリンスタンドの脇で焚き火は誰?

ガソリンスタンドは「日本列島」、焚き火は「原子力発電所」。日本の島は地球を覆う岩盤(プレート)がぶつかりあって盛り上がって出来上がった「弧状列島」なのだ。そしてその割れ目からマグマが噴き出す火山は地球上の火山の1割がこの弧状列島に集中している。つまりは日本列島は岩盤のずれ込みの跳ね返りからくる地震や、火山の爆発で発生する地震で年がら年中「地震」に襲われて当たり前の「地震列島」なのだ。
<日本列島を覆う50の原発:東京新聞より>

「原子力発電」とはぶ厚い壁で覆った原子炉容器の中の水に「核燃料棒」を釣る下げて核分裂を起こす際に発する高熱を利用して作った水蒸気でタービンを回して電気を起こす原理だが、核燃料棒は揺れさせては危険なので、つまりは地震を最も嫌うのである。とすれば我々にとっての「原子力発電施設」は「原子力爆弾」と同じことになる。それよりもっと悪いことに「原子力爆弾」を破裂させるのは人間の判断である。しかし原子力発電爆弾は自然の力(地震)が破裂させるのだから手に負えない。そして最悪なことに「地震学」は全く何も解明出来ていない。これからも学者が一生懸命に研究を重ねても残念ながら正確な地震予測など出来ない「神の領域」なのだ。実は核分裂の領域も「神の領域」なので、我々が実体験した「福島第一原発事故」ですら5年の歳月が経っても全く目処が経っていない。なぜか? 全てが初体験であるから、その対策も「やってみてその結果がいずれ出る」といった状態なのだから。しかしそれぞれの対策結果が出るのが30年~300年のスパンだから研究者や事業者は無責任極まりないのだ。

現在日本列島にある原子力発電所爆弾は50箇所も有るが、直ちに「地雷撤去」と同様に「廃炉」に向かうべきと言えよう。現在稼働を始めている川内原発(鹿児島県)と井方原発(愛媛県)は地震メッカの「日本中央構造線」に隣接しており、数日前に原子力規制委員会が「適合」と審査判定した「美浜3号機」(福井県)は39年運転してきたもので、来月(11月)に40年満期を迎える高齢機で、これから後20年使うかもしれないのだ。いくら高齢者労働が当たり前の時代とはいえ、原発では堪忍してほしい。それこそ自然の力での爆発では無くて「自爆」の恐れすらあるからだ。そんな事態に陥っても、決して「想定外」と言わせない。
長々と話したが結論として、爆弾は撤去が原則だから「原発」は廃炉の道しか無いのだが、やはり電気エネルギー対策の一番は、国民一人ひとりの「電気の節約」に尽きるのだ。下の夜景写真はスカイツリーから撮ったのもだが、ネオンの光など時間制限し、そしてテレビの24時間放映も夜中は放送を止めてしまうなど、孫の時代までを考えれば「原発対策」は沢山あるように思うのだ。みんなで考えよう!

2016年9月25日日曜日

お祭りと秋の到来

<大人による「壱岐坂太鼓」はさすがに迫力満点>
<秋晴れの下、神輿の前で子供たちによる「壱岐坂太鼓」>
我が地域は9月の最後の週末が「お祭り」なのだが、今年は久々に9月24日(土曜日)の午後は突然の大雨に見舞われた。
<田町のハッピ姿衆>
土曜の午後は子供達の神輿が出るのだがこの大雨で中止となり本当にかわいそうな結果となってしまった。夜には雨も上がり「宵宮」で大人神輿は例年通り他地域からの担ぎ手が大勢集まり、一昨年から始まった浅草・吉原からの10人による「狐舞い」が神輿の前を飾り、盛大に町内を巡ることが出来た。

翌、日曜は久々の秋晴れ、午前11時半、恒例の「壱岐坂太鼓」の威勢のいい音で「宮入渡御」が始まった。100人以上の「本郷田町」のはっぴ姿が神輿を囲む風景は何とも迫力があって気持ちがスカットする。こんなに小さな町に、こんなに多くの祭り好きが集まってくれるのが本当にうれしい。
<みんながこの笑顔>

2016年9月19日月曜日

「敬老の日」と「楢山節考」

「敬老の日」の新聞に、「遂に65歳以上が3500万人、総人口に占める割合が27%で、過去最多を更新』と載っていた。その3500万人の内半分の1500万人が75歳以上だという。このような話になると私はなぜか「申し訳ないな」という感じになってしまう。そう思わせるのは、若い人たちに対して「私たちは邪魔になっているではないか」と感じてしまうからか。この人口問題は、しばらくの間は”最多更新記録”は続いてしまうのだろう。
今、私は「生と死」に関してのエッセイを書き始めたのだが、この最多記録更新を抑える為には、出生率が下がっている現状下、死亡率を上げて行かねばならない。どうすればいいか? 現在年間160万人が亡くなっているそうだが、平成26年度「厚生労働省白書」によれば、アンケートで「どこで最期を迎えたいか」の問いに対して半数以上が「自宅で」と答えている。1950年代には8割以上の人が自宅で亡くなっていたが、現在では自宅で亡くなる方は10%強だそうだ。ここに「どうすればよいか?」の最大のヒントが有りそうだ。人間以外の動物、生き物はいったい自分の死期をどのように処理しているのだろうか? 繁華街にあんなに沢山いるカラス(最近は少し減り気味)だが、都心でカラスの死骸は殆ど見ることが無い。彼らはどうしているのだろう。実は彼らは山奥の木の上に作った巣の中で息をひきとるのだ。そんなことを考えていると、深沢七郎著『楢山節考』のストリーが蘇って来る。よし、今度のエッセイでこの辺の提案、つまり「こうすればいいのでは?」の解決策を提示してみようか?

2016年9月14日水曜日

第16回『文京を歩くかい』のご案内

すでに7月26日のブログで日時が決定した旨ご案内いたしましたが、次のように詳細が決まりましたので、秋の紅葉を楽しみながら小石川台地を歩こうではありませんか。

日時: 2016年10月29日(土) =雨天中止=
集合場所/時間: 池袋東口出た所の「東口交番」横 12:50
参加費用: 200〜300円(当日集金)
      「文京まち案内」のガイド費用+協賛金です。
<新江戸川公園>
コース: 「池袋交番前」出発(13:00)→「雑司ヶ谷霊園」→「豊島岡墓地」→【護国寺】(14:00)→【新江戸川公園】→【永青文庫】→【水神社】→【関口芭蕉庵】→【東京カテドラル聖マリア大聖堂】(16:00)→小石川七福神→後楽園→水道橋西口(17:00)
●上記の【 】マークの所に「文京まち案内」のガイドが付く予定。 

打ち上げ・懇親会: 水道橋 「鳥貴族」 
          17:00~19:00 @¥3,000 

特記事項:
●今回は「文京区と熊本との繋がり」をテーマに歩きますが関係している先、人物とは;
 夏目漱石、小泉八雲、嘉納治五郎、
 肥後熊本・細川家・下屋敷『新江戸川公園』、『永青文庫』
 尚「占春園」も予定しておりましたが、夏の蚊の大量発生により「閉園」されており、残念ですが外しました。その代わりとして
【小石川七福神(深光寺・徳雲寺・極楽水・宗慶寺・真珠院・源覚寺・東京ドーム)】を回って水道橋に下りて参ります。
●「雑司ヶ谷霊園」では次の有名人のお墓を巡ります。
 小泉八雲・夏目漱石・ジョン万次郎・永井荷風・泉鏡花・
 竹久夢二・大川橋蔵・東郷青児・川口一族【川口松太郎・浩・
 三益愛子・野添ひとみ】尾上菊五郎
 
参加申込:メールにてお申込みください。その際に携帯電話番号もお知らせください。
     宮原・メールアドレス: miyaha@kazum.net

多くの方々の参加をお待ちしております。

2016年9月1日木曜日

我が家の周りが面白い!


実は先日面白い地図を見つけた。それは「本郷菊坂・真砂町 人物往来絵図」(企画製作/品川海風塾)というものだが、その絵図の1/4に当たる部分、我が家の付近をコピーしたものが下の絵図だ。
<左の白い建物がイタリアン・レストラン>
図中の☆印した「石坂の家」が我が家の位置だ。備後福山藩の中屋敷だった西片の台地からS字型で降りて来る坂が「石坂」でそれが田町の通りに出た所の現在の姿が左の写真。向かって左角に上の絵図から何と「谷崎潤一郎」が住んでいたことになる。今は洒落たイタリアン・レストランになっているが、我が夫婦でちょくちょくここで世界のビールやワインを楽しむ。上の絵図の右上に「樋口一葉」の住居位置(菊坂下道)が示されているが、そこから点線が引かれていて「石坂」を通って西片の山の方に伸びているが、実は一葉の恋人「半井桃水」は一時期この西片の山の上に引っ越してきた時期がある。そして一葉が2~3度そこを訪ねたと言われている。それならこの道を通っただろうか(?)と推理したのがこの点線である。一葉のわずか24年の生涯で最も生活苦に追われていた「本郷菊坂時代」だけに、彼女が我が家付近を通過するその瞬間は一途に愛する人を思いながら夢中に歩く幸せな時間帯で有ったのだろう。

2016年8月28日日曜日

本の編集の楽しみ

私の参加している早稲田大学の「異業種勉強会」は今年で40年目を迎える。そしてこの会では5年毎に「記念誌」を発刊してきている。私は35周年記念誌から「編集委員」をやらせて頂いている。私は「本」というものはそこに書いた以上は一生残るという満足感を知っているので、「編集委員」を引き受けさせて頂き、是非一人でも多くの人が寄稿してくれるように勧めてきた。しかし「本を作り上げる楽しみ」の裏には結構面倒なことが多くある。まずは本の発刊の為の採算計算から始まる。何人に書いて貰って一人あたり何千文字として全体ページ数が決まり、表紙の質/デザインなど装丁を決めて本の制作費が出て執筆者数で割って一人当たりの負担額が算定される。さてそれから「執筆要項」を配布して寄稿者を募るのだ。目的の人数が確保出来きたら次は指定の期限内に原稿を提出して貰うのだが、今回の40周年記念誌からは原則データでの提出をお願いしたので、手書きのままの提出者は数人で済んだ。この手書原稿は原則「編集委員」がワードなど使ってデータ入力をしなければならないが、文章途中で写真や図を挿入する原稿の場合は二重手間を避ける為に印刷会社に任せてしまう。

そして8月に入って私のところに届いた原稿から順次印刷会社に原稿を送付、昨日これまで送ってあった原稿の「初稿ゲラ」が届き、これから各寄稿者に郵送して最後のチェックを受ける。まだ半分ほどの人からの原稿が未着でチョット心配になるが、今年11月にどんな「40周年記念誌」が完成するか楽しみである。上の写真は10周年から5年毎に発刊された記念誌6冊である。

2016年8月17日水曜日

芥川賞『コンビニ人間』を読んで

車中の雑誌【文藝春秋】の広告の中で芥川賞受賞作品の『コンビニ人間』という言葉に引き付けられて早速「9月特別号」を買ってしまった。小説の題材は昨今の便利過ぎる社会に生きるコンビ通いの人類を扱っているのかと思って読み始めたが、実は主人公はコンビニで働くアルバイトだったのだ。作者「村田沙耶香」氏は小学生時代から小説家にあこがれ、無我夢中で書きまくっていたという。そして早くも大学生時代に野間文芸新人賞や三島由紀夫賞を受賞し、この芥川賞にたどり着く片鱗を見せていたようだ。もの書きに没頭している時、コンビニでのアルバイトをしていた経験を生して今回の作品が生まれたと言う。作者の経歴を見ると、確かに世界観はコンビニを通してしか知らない事になるが、作品を読んでいてもその辺が上手に表現されていると思う。完璧にマニュアル化した【コンビニの世界】で一生懸命に生きる主人公が、「36歳にもなってアルバイト」、「なぜ結婚しないのか」と世間から奇人扱いされて悩むのだが、主人公の生き方と世間の考えとどちらが正しいのだろうか。コンビニ店をガラスで覆われた「光の箱」に例えて、その中での出来事を面白おかしく小説にしたもので、私もあっという間に読み切った久々に巡り合った力作である。

2016年8月7日日曜日

談志さんと投機マネー

マネー資本主義の悲劇を談志さんはこう表現したという。「労働の質に対応してお金に色を付けて欲しいね。ただ巨利を得るためだけに世界を走る『投機マネー』と田植えや稲刈りで汗を流して得た『お銭』とは札の色を変えなくちゃいけねぇ。卓上で画面を見ながら数秒間でマネーゲームをしている金なんぞは、もの作りなどで時間を掛けて作ったお金の1/3以下の価値にしてはどうか」
落語家の故・立川談志さんは、舞台の合間を見ながら自分で百姓仕事をしに新潟に足を運んでいたからお金の本当の値打ちをよく分かっていたのだ。

日本の賃金は先進主要国の中で低水準でドイツやフランスの6~7割という。何と日本国は恥ずかしい、そして貧乏な国なのか。我ら日本人は「誰がこんな国にした」と他人ごとのような事を言わずに、我ら日本人が本来持っているのに陰に隠してしまった”縄文人”としてのDNAを奮い起こし、欲のトリコにならずに足るを知る心構えを、一人ひとり自分の生活から見直しをして、日本人が得意とする地球上のあらゆる生き物と共生してゆく生き方を少しずつでも取り戻そうではありませんか。(参考:東京新聞・7月26日朝刊【筆洗】)

2016年7月31日日曜日

早起きして蓮の花鑑賞


高齢者クラブの早起き有志で近所にある不忍池の蓮の花を鑑賞するために早朝ウォーキイングに出かけた。
朝6時、空は真っ青に晴れ上がっているが風は冷たくて気持ちいい。しかし炎天下を歩いている内に汗が噴き出して来る。20分も歩くと不忍池に到着。すでに池の周りには同じ目的の人々で溢れていた。今年の蓮は葉の成長がやけに目立ち、せっかくの蓮の花が葉の陰に隠れているのが多いように感じられたのが残念。しかし大きく開いた蓮の花は薄ピンク色の鮮やかな姿を周りに振りまいていた。

2016年7月26日火曜日

『文京を歩くかい』 秋バージョン日程決定!

ウォーキング愛好家から好評を頂いている『文京を歩くかい』の今年の秋バージョンとして開催日を10月29日(土)に決定致しました。メンバーの皆様には追ってコースの詳細が決まりましたらメールにてご案内致しますが、今回のテーマは「文京区と熊本との繋がりの場所を歩こう」です。
<熊本県広報課の小冊子の表紙>
熊本は4月14日の巨大地震のわずか1週間後には九州を襲う大洪水を受け、集中的に襲ってる豪雨は今だ続いており、熊本の人々にとっては本当に災難な年となりました。少しずつでも被災を受けた皆さんが再起に向けて立ち上がれることを切願します。
先日ある切っ掛けで『東京の中のくまもと』という小冊子を手に入れることが出来ました。この小冊子は熊本県広報課が発刊したもので、この中を読むと何と文京区とも深い繋がりがあることを知りました。肥後熊本・細川家の下屋敷跡の地が「新江戸川公園」(上の写真は公園内にある「松聲閣」)、そして公園に隣接する細川家史料所蔵館「永青文庫」、さらに今年は夏目漱石没後100年であり漱石が眠る「雑司が谷霊園」、この霊園には小泉八雲の墓もあり、小泉八雲を第五高等中学校(現在の熊本大学)に講師に呼んだ(1891年)のが、その時校長だった「柔道の父」である嘉納治五郎です。 嘉納治五郎は「弘道館柔道」を創設(1882年)、東京高等師範学校の校長をされ、その所縁の庭園「占春園」が文京区に残っています。そして第五高等中学校と言えば、漱石も講師として赴任(1895年)しておりました。

今回はこれら謂れの地をのんびり歩いて回る午後半日コース(13:00~17:00)を企画します。できればボランティア・サービス「文京まち案内」によるガイドを付けてみたいと思っています。そして恒例の打ち上げ懇親会は前回、王子駅前の焼き鳥「鳥貴族」が参加者の皆さんに大ウケだったので、今回も「鳥貴族・水道橋店」にて打ち上げとしたいと思います。是非多くの皆さんの参加に期待しています。

2016年7月11日月曜日

北茨城 隠れ宿【竹の葉】にて


我が町の高齢者クラブの旅行で北茨城の「うぐいす谷温泉」【竹の葉】を訪ねた。場所は北茨城・五浦海岸にある岡倉天心が「思索の場所」として使ったと言われる「六角堂」に近く、ちょっと海岸から引っ込んだ谷あいの中にひっそりとある一軒宿の温泉だ。知る人ぞ知る「隠れ宿」のようで、この日も団体は我々1組で他のお客はペア組で10組ほどが宿していた。
宿泊料金は決して高くなく、海の幸を使った料理は格別で、今の時期は「アワビのステーキ」が楽しめるが、11月~3月は「アンコウ鍋」が有名。旅荘の名前の通り宿は鬱蒼とした竹やぶに囲まれていて、露天風呂で一人静かに竹林をぬう風を楽しむのも最高。夕日が沈むころ、うぐいすの鳴き声が竹やぶの中の静けさを突然破った。しかしその驚きがこれまた気持ちいいのである。

2016年6月18日土曜日

孫と土に戯れる

6月の日曜日、友人の畑で芋掘りをさせて頂いた。最近の子供たちは土に触れる機会がなかろうと、息子一家を誘っての芋掘りだった。孫たちは土の中に手を突っ込み大はしゃぎ。
軟らかな土の中で硬いもの触れた感じ。「お芋」はどうやって土の中に居るのかを体で知る。そして土の中から蟻やオケラや、そして色々な虫の幼虫がゴソゴソと出てくるのを興味深く観察している。小さな生き物と私たち人間もこうして共生していることを学んでくれるといい。じゃがいも、玉ねぎ、赤かぶ、大根などの「土物」、そしてキャベツ、レタス、ふき、などなど色々な野菜を収穫しました。お昼になると皆さんで畑の脇にビニールマットを敷いての昼食を楽しみました。野原でこんなピクニックは私にとって何年振りのことでしょう。前回がいつ頃だったかは全く思い出せません。帰りには沢山の野菜のお土産を頂き、本当に楽しい有意義な「感謝の1日」でした。

2016年6月13日月曜日

梅雨にも負けず(佐藤正明作)

「辞め」にも負けず カネには負けて
都議にもマスコミの熱さにも負けぬ
丈夫なメンタルを持ち
日ごと回転ずしとイタリアンを食べ
あらゆるものを自分で勘定し
東に病気の自分あれば
行って温泉に入れてやり
西に疲れた妻あれば
行ってホテルに泊めてやり
みんなにセコイボーと呼ばれ
褒められもせず 苦にはされて
そういうものに 私はなった
(東京新聞6/11より)

2016年6月5日日曜日

顔は性格(性分)を表す

さてさてここに掲載されたオジンの顔をジックリとご覧いただきたい。この顔々は6月2日のある新聞に載っていた顔を並べたものである。別段この写真の順番が「重要度」とか「人気度」の順とかいうものでは無く、ただその新聞の1面から2面、3面、4面~〜の紙面上に記事と一緒に載っていた写真を順番に並べただけなのだ。しかし、これらを見て少なくとも「不快感」あるいは「不信感」を抱いてしまうのは私だけであろうか。そこで次のような「入試問題」を作ってみたが、どうであろうか?
(問題1)それぞれの写真を見て下記の【グループA】の中からその写真に最も関連した言葉を選びなさい。
【グループA】斡旋利得、 トランプゲーム、 馬鹿仕合、 アベノミクス、 ファーストクラス

(問題2)この写真が載っていた新聞記事の中で使われていた用語はどれか、写真ごとに次の【グループB】の中から選びなさい。
【グループB】公約違反、 資金集め、公私混同、 不起訴、 軍事挑発
(問題3)この5枚の写真を見て総合的に題名を付けるとすればどれが適当か下記の中から選びなさい。
 ・不信感の塊
 ・はずかしい大人
 ・資本主義の末路
 ・コンプライアンスを知らない人々
 ・不快をバラ撒く人たち

しかしこの写真がたった1日の新聞紙上に載っていたのですから、何という時代なのでしょう。退屈しない時代と言うことでしょうか。21世紀を背負って行く子供達の為に真剣に自分の行動を考え直して貰いたい人たちと言えましょう。
ところで(問題1)、(問題2)は易し過ぎますが、(問題3)はちょいと考えたのでは?この(問題3)にどれが正しいかの正解はありません。いや、5つ全てが正解かもしれませんね。

2016年5月26日木曜日

NPO「江戸連」皐月講と里山ウォークとゴルフ

<さきたま古墳群>
正面①の前方後円墳が「二子山古墳」それから時計方向
に円墳の「丸墓山古墳」、その下に前方後円墳の「稲荷
古墳」その左に前方後円墳の「将軍山古墳」
江戸連の皐月講は「行田・埼玉古墳群と忍城・足袋蔵巡り」と銘打って日帰りバス旅行だった。この旅行で私に興味を引いたのが『埼玉(さきたま)古墳群』の言葉だった。やはり歴史好きの集まり「江戸連」だけあって参加者は51人というバスの補助席まで使う大勢の参加だった。まずは「さきたま史跡の博物館」を訪ねる。そこでは稲荷山古墳から発見された国宝「金錯銘鉄剣」のレプリカではなく実物を見ることが出来た。午後は行田市に出て現地のボランティアによる案内で「足袋蔵」巡り。
<忍城>
行田が足袋の生産地になったのは、綿布の生産地であり、また藍染が盛んであったことにより、17世紀後半から武士の内職として発達し、保管用の蔵を作り商品を火災から守ったらしい。次に行田市の中心に位置している「忍城(おしじょう)」を訪ねたが、この城は室町時代に築城された平城で、豊臣秀吉の関東平定の際に石田三成による「水攻め」に耐えた「浮き城」とも言われ、その後徳川家康の持ち城となったが、「戦国の時代、周りの権力の変遷にじっと耐え” 忍んだ城”」だった事を知った。

ところで私が今回のバス旅行で最も驚かされたのは最後に訪ねた加須市(かぞし)にある「古民家」で起きたのだ。古民家の保存に努められボランティアでガイドをされている奧澤市孝氏の熱の入った「郷土史解説」に私は聞き入ってしまったのだ。
<加須の古民家を訪ねて>
話の中で「寄居の”鐘撞堂山”を知ってますか?」と聞いて来たのでつい私は手を上げてしまった。多分手を上げたのは私一人だったであろう。私に取っては「鐘撞堂山」はこの4月24日に友人と登ったばかりだったからだ。更に話は進み加須にあった「油井が島」の城が「猪俣小兵六」による築城という話になり、またまた寄居の「猪俣の百八燈」の”盆祭り”の話になって行ったのだ。私はちょくちょく『オリンピック・レイクつぶらだC.C.』にゴルフに行っているが、行く途中に車中から「猪俣の百八燈」の案内看板が気になっていたのだが、何と今回のお話でそれが何であるかを知ったのだ。この”偶然の繋がり”は一体どうゆうことなのか? 早速家に帰って地図帳を開いてみると、何と「寄居市」と「行田市」と「加須市」は横一線上に位置していることに気づいた。
<奥澤氏の熱の入ったお話>
旧石器時代(1万年前)よりこの地に人類が住み始め、更に時が経ち海が引いて広大な平地が現れ、そこで農耕が発展して大きな村落が生まれ、やがて古墳時代(3~7世紀)を迎え、そして荘園が生まれ勢力を堅持する「平城」が北関東のあちこち築城され(8~12世紀)、鎌倉時代になって豪族の争いを繰り返し(13~15世紀)、江戸時代になって徳川御三家・水戸家の勢力に治まったのだ。古代には信州・和田峠で取れたヒスイが碓氷峠を越えて「さきたま」に送られ、中世に入って武蔵国・秩父郡から古道「山辺の道」が上野国を走る「鎌倉街道」や「羽根倉道」を横切って「奥州道」に繋がっていたとすれば、古の昔から寄居と行田と加須を結ぶ真横に走る大事な道が有ったと言うことになる。