2013年10月20日日曜日

【神田川上流部】ひとり歩き

<井の頭池【お茶の水】 いまも水が湧き出ている>
ある日【神田川再発見 歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる】という題名の本(神田川ネットワーク編 東京新聞出版局)を友人から紹介されました。(左写真)題名の中に、「歩く」、「江戸」そして「歴史」といった私にとっては、たまらない単語が羅列されています。早速Webで中古本が見つかればと検索すると、なんと618円でゲットすることが出来たのです。この本は実に内容が濃いのに驚かされ、そして本の価格が1500円(税込)というその安さにも驚かされたのです。
この本の内容の濃さの例として、神田川に沿っての行程を1km位に区切って細かに分かりやすく手書き地図(上図)を掲載してくれているので、すぐに歩きたい気持ちにさせられます。(赤線は私が歩いた行程)更に凄いのがこの図の説明文ですが、これまたその地域の特徴から、各々の橋の名前の謂れや、神田川に沿った神社仏閣、公園などの歴史的説明と、兎に角至り尽くせりの内容なのです。最初の「井の頭池」の説明はこんな言い回で始まっています。
<井の頭池・弁天橋から>
「江戸名所図会に、『池の中に清泉湧き出するところ7所ありて、旱魃にも涸れることなし。故に“七井の池”ともいう。慶長11(1606)年家康公この池に至らせ、池水清冷にして味わい甘美なるを賞揚し給い、御茶の水に汲ませらる。また寛永6(1629)年、家光公ここに渡御なしたまい、深くこの池水を愛され、御手みずから辛夷(こぶし)の木に“井の頭”と彫り付けたまう。これより後この池の名とす』とある。」ってな具合です。
<「正用下橋」で孫と>


10月14日 「体育の日」の祭日、清々しい秋晴れの朝、居てもたってもいられず、この本を小脇に抱え、朝7時に家を出て吉祥寺に向いました。神田川に沿って歩く途中「高井戸」に息子家族が住んでいるので、孫を呼び出して会うことも出来てラッキーでした。この日は「環七通り」まで歩き、そこで打ち止めとし、方南町から地下鉄丸の内線で帰宅しました。家に戻ったのが午後2時20分でした。次は近いうちに残された部分、環七の「方南橋」からスタートして神田川が隅田川に出るところまでの【神田川都心部】を歩きたいと思っています。

2013年10月13日日曜日

友達っていいな~~~ぁ!!



<りんご園から浅間山>
大学の同期で「ちば三九会」と名づけた集まりがある。“三九”とは“昭和39年入学”から来ているのだが、これは入学するのは皆一緒だが、卒業はマチマチという事から入学年次を会の名前に付けた。卒業してから45年の歳月が経ち、仲間の数人はすでに“古希”を済ませ、大勢は来年迎えるのだが。今回は、定年後清里で農業を営んでいるT氏、そして佐久平の立科でリンゴ園をやっているN氏と久々に会おうという企画が組まれ10月10~11日で実施された。丁度紅葉の時季でもあり、大学生時代にスキーに、そしてアルバイトにと思い出のある浅間山の脇にある標高2000mの「高峰温泉」が宿に組み込まれた。
 
<紅葉と仲間達>
何年振りかで会った仲間達だが、一瞬にして打ち解けてしまう。
雲上の野天風呂、たまらない仕合せ感。
いつまでもこうしていたい。
もし熊が近づいて来たらどうしよう。
この温泉の湯でも飲ましてやろうか。
<りんご園にてN氏を囲んで楽しいひと時>
本当に楽しい2日間でした。友達っていいな~~~~ぁ!

2013年10月6日日曜日

面白かった2冊の本

秋は「読書の秋」とよく言われるが何故だろう。「スポーツの秋」はくそ暑い夏を終え秋に入ると小中学校で運動会が催され、国体も開催されることから理解できるし、「食欲の秋」も美味しいものが沢山出てくる秋だから理解できる。しかし秋になれば日も短くなり読書には向かないし、美味しい物で腹が一杯になれば眠気が差して本も先に進まない。

とは言いながら、この秋に面白い本(2冊)に行き逢った。その1冊が【強欲資本主義 ウオール街の自爆】(神谷英樹著 文春新書)である。この内容骨子は「これまでの強欲化した資本主義は一部の人たちが巨大な富を形成し、一方で大多数の人々が搾取される仕組みと化した。その巣があの“ウオール街”にあるが、その仕組みが今崩壊しつつある」という。「その強欲資本主義から脱するためには当面世界経済を縮小せざるを得ず、誰もが苦しい困難な時代を迎えよう」と指摘する。私も我慢を恐れず早くそうなるよう求めたいのだが、強欲な金融市場が自制するとは思えないので、行く着くところまで爆走し致命的な第2の「リーマンショック」を待つしかなかろう。覚悟しています!

さて2冊目だが、【“ご縁”という日本の最強のビジネス法則】(釣島平三郎著 講談社)を友人から頂いたが、頂く理由が「あんたがいつも主張していることと全く同じような事が書かれているので、読ませてやろうと思った」ということだった。内容骨子は「古来の日本人の“自然との繫がり”を大事にする思想と“仏教の縁起の法”の影響があり、現代の日本人のDNAにも確実に引き継がれており、欧米の“近代西洋合理主義”とは違うのだ。“縁起の法”とは、例えば「花が咲く」というのは、種子が直接の「因」であり、それに土を耕し、水をやり、肥料を撒くという「縁」が働いて、初めてその結果として「花が咲く」ということを日本人はDNA的に理解しているのだ。アメリカ人にはその「因」-「縁」-「果」の過程を「因」-「果」的に理解しているのだ。なるほど私の「日本復活私論」もあながち奇論では無さそうだ。

そんな訳でもう「アメリカ追従」はそろそろ控えめにして、私達の孫やひ孫の世の中を思い、アジアの中の日本という立場で「日本独自(大人になった日本)路線」を構築して行くべきではないのか。その為には日本人一人ひとりの理解と行動に掛っているのだ。

もしご興味あればこの2冊をお読み頂くとうれしいです!