2015年3月1日日曜日

日本が褒められていいではないか!

2月18日放送のNHK「首都圏ネットワーク」で『褒められたい日本』なんていうバカな題名を付けてパックンが言ったからどうだこうだ、といった内容を報道していた。外国人が日本や日本人を褒めてくれるのだから、堂々としていればいい。なんでそのような状況を「褒められたい」と言う受身的表現にしてしまうのか? NHKも籾井会長問題を引きずったままだが、その職に不慣れな人材なのだから起こるべきして起こしているのであり、このご時世に本当に無駄なことだ。それにしてもTOPがトップならその組織で流している番組の質が低下してしまうのも自明の理であろう。
終戦後GHQ(連合国総司令部)によって仕組まれた「日本憲法」そして「教育」、その教育を受けてきた私たちは「自虐的発想」を叩き込まれているのです。従って外国人が褒めてくれているのを、自分から「褒めてもらいたい」なんて受身的に捉え、NHKの番組を観ていたら、全体的流れを「謙虚な態度が美徳であり、褒められようとする態度は控えよう」なんていう方向に作り上げていた。思わずTVを観ながら、私の口癖『ふざける菜!』と発してしまった。
数日前にある書店に入ったら「日本・日本人論コーナー」という特設台があって、次のような本が平積みされていた。『神々の国の首都』(小泉八雲著/平川祐弘編)、『英文収録 茶の本』(岡倉天心著/涌谷秀昭訳)、『シュリーマン旅行記』(H.シュリーマン著/石川和子訳)、『はてしなく美しい日本』(ドナルド・キーン著/足立康訳)、『英国人写真家の見た明治日本』(H.G.ポンディング著/長岡祥三訳)『日本その日その日』(エドワード・モース著/石川欣一訳)などなどが見事に並んでいた。
シュリーマンやモースは江戸時代末期〜明治初期に日本を訪ねてきて、如何に日本が素晴らしい国かを褒めているのである。シュリーマンは1822年ドイツ生まれで藍の商売で巨万の富を得て1864年に世界漫遊の旅に出て翌年の1865年の日本に立ち寄る。江戸末期の日本人の生活を見て驚嘆した。その旅行記から一部を書き出してみよう。
「もし文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されていると言えるだろう。なぜなら日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。」(例:多色刷り版画における絵師、彫り師、刷り師)
そしてモースは1877年に来日、大森で「貝塚」を発見したことで有名だが、彼の著書『日本その日その日』からほんの一部を書き出してみよう。
「夫人が6人いれば5人までが必ず赤ん坊を背負っていることは誠に著しく目に付く。時としては背負う者が両手を後ろに回して赤ん坊を支え、またある時には赤ん坊が両足を前に突き出して馬に乗るような恰好をしている。赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことは滅多になく、また私は今までのところ、お母さんが赤ん坊に対して癇癪を起こしているのを一度もみていない。私は世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほど良い赤ん坊は世界中に無いと確信する。」
江戸時代、日本そして日本人は素晴らしいと外国人が感じ取っていたのです。
外国人から褒められることは嬉しいことではありませんか。自信をもちましょうよ!是非上に紹介した本を読んでみてください。

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