<2011・5・16 早稲田大学・異業種研究会での発表> |
<8年前の私> |
そしてその年の12月にエッセイ「日本復活私論」を書いておりました。このエッセイの中であの瞬間の私の行動を書きましたが、期せずして今日の私の行動は全くその日とほぼ同じ時間に同じジムで同じ内容のエクササイズを行っていたのです。巨大地震の瞬間の部分だけを書き出してみます。
『実はあの瞬間、私は週に1回ほど通っている東十条にある「スポーツジム」に居た。いつもお決まりの1時間半ほどの一連のエクササイズを終えて、最後にもう一汗とサウナに入って座り掛けた瞬間に、あの「グラ、グラ!」が来た。その時サウナの中には数人の人が居たが、皆さん【石原都知事の再出馬宣言】のニュースに見入っていた。
私は瞬間、「これがあの来るべきものの到来だ」と判断、汗が出る前に着替えした方がいいと思い慌ててサウナを出た。その時、サウナ内の人が、「何で入ってきてすぐに慌てて出るのか?」と言った不思議な顔で私を注視している姿が記憶に残っている。
サウナを出て風呂の脇を通る時、風呂の水がチャポン、チャポンと波打っているのが見えた。私は一目散にロッカールームに向かう。その時巨大な揺れが襲ってきた。沢山あるロッカーのそれぞれの中にある衣文掛けがロッカー扉をガチャン、ガチャンと叩きものすごい音を発している。サウナの中で汗を流してしまっていた人たち、そして石鹸を使って体を洗っていた人たちは、それを洗い落す行動が必要で、即座に外にでる訳には行かない。その点私はタイミング的にもラッキーであった。あまりの揺れとロッカーからの騒音で下着がスムースに着られない。
その時スピーカーから場内放送が流れる。「ただ今、大きな地震によりエレベーターが止まっています。皆さん慌てず非常階段を使って1階に非難してください。慌てないで行動してください」と叫んでいる。私が衣服を着てロッカールームを出ようとする頃、風呂内にいた人たちが慌てて飛び出してきてロッカールーム内が騒然となった。
この頃には揺れは治まっていた。1階に下りるとプールで泳いでいた連中が体にバスタオルを巻いて裸足で路上に飛び出してきていた。女性もバスタオルを体に巻いてその恐ろしさに路上でブルブルと震えている。何人かが携帯電話を繋ごうとしているようだが、「ダメだ、繋がらない」といって心配そうな顔をしている。
そこでピンと来た。「そうだ!自動車だ。カーラジオがある!」と急いで2階の駐車場に行って車のラジオを入れた瞬間にまた大きな揺れが来て、路上に居る皆が「キャーーー!」と悲鳴を上げている。そして電信柱の電線が大きく波打っていた。ラジオでの臨時ニュースでは「地震の震源地は宮城県・仙台の海上沖合いと推測されます。まだ大きな揺れが有るかも知れないので安全な場所に退避してください」と言った内容を繰り返していた。そこで周りにいる人々に「震源地は仙台の沖合いのようです」と伝えると、不思議なもので、皆さんも震源地を知り、そしてそれが離れた地である事を確認できた為か、チョットばかり安心した様子をしていた。
少し気持ちに余裕が生まれると、「我家は大丈夫か? 妻はどうしている?」と気になり始めた。すると直感的に「早くこの駐車場を出て家に向かった方がいい。暫くすると主要道路が緊急避難路として交通止めになるかも知れない」という考えが頭をよぎり、直ちに車のエンジンを掛けた。』
今日(2019年3月11日)、私は上述と全く同じ行動を取っていたのですが、ジムからの帰りの車の中で観るTVでは、どのチャンネルもあの日の追悼番組を報道しておりました。
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