また桜の季節が来て、あっと言う間に去って行った。今年の東京の満開は4月1~2日頃。しかし4月3~4日の雨と強風は桜に厳しい試練を与えた。
4月6日(日)に我が町会が近所の公園で「お花見会」を催し、桜の下にブルーシートを敷いて老若男女で楽しんだ。更に翌日の月曜日は俳句仲間で原宿で待ち合わせして、明治神宮の隣の「代々木公園」の桜を観に出掛けた。月曜日の真昼間なので、多分見物客も少なくゆっくり花見が楽しめるかと期待して行ったが、何と桜木の下で大勢の人々が宴を楽しんでいるではありませんか。
冬の季節は家の中に閉ざされっぱなしで気分も滅入ってしまうが、春ともなると木々に若芽がつき始め、桜満開の時期にはわ~っと外に飛び出すのである。つまりは「花見」は農耕儀礼の一種であり、そもそも農耕民族の日本人には生活と切っても切れない行事であったのだろう。その証拠に江刺地方の「種蒔桜(たねまきさくら)」とか、下呂市の「苗代桜(なわしろさくら)」といった農季を示す桜がある。そんな訳で桜は「万葉集」の中に詠われたり「源氏物語絵巻」にも登場していたのだ。俳句の世界でも「花」と言えば「桜」を意味する代名詞的な存在である。
花の雲 鐘は上野か浅草か (松尾芭蕉)
<油絵:六道の堤から木曽駒ケ岳> |
そして日本絵画の世界でも多くの名作があるが、例えば浮世絵の世界では歌川広重の「名所江戸百景・団子坂」に桜が描かれたり、更には強烈な迫力で迫ってくる長谷川等伯の「桜図」(国宝)など印象的な作品も数多い。
そういえば私も4年前に木曽駒ケ岳を背景に「高遠小彼岸桜」の油絵を描いていた。高遠コヒガンザクラは花弁が多く花は小ぶりだが色が濃いのが特徴で、平成2年に高遠で開催された「国際さくらシンポジューム」で高遠固有の種類である事が認定された新種でる。
とにかく桜は日本人の暮らしに深く関わっている花であり、ぱっと咲いてぱっと散るその生き方が何か日本人気質に通ずるものがあるのだろうか。