2013年6月23日日曜日

遂に2回目の「チャリティ公演」!


<室尾理事長の開会の挨拶を
ロボット「彦星君」と一緒に>
 6月20日(木)小雨降る【めぐろパーシモンホール】にてNPO法人『楽しいひととき出前どころ』の第2回目の「チャリティ公演」が創立満3周年を記念して行われました。今回も大変に内容の濃いイベントでしたが、プログラムの最後にあった私、応援団長からの「挨拶」と出演者の1コマ写真とを下記に併記して今回の「チャリティ公演」がどんな催しだったかをお伝えします。
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     <応援団長からの最後の挨拶>
 『ただ今紹介頂きました応援団長をさせて頂いております「宮原」でございます。

<クリスタルボール演奏/佐藤理恵>
 
<朗読(藤井直子)と太極拳
(宇都宮徳久)>



<遠隔ロボット「オリヒメ」と
吉藤健太朗>
今日は第2回目のチャリティ公演で、大勢の皆様にお集まり頂き、本当にありがとうございました。応援団としてこれほどやりがいのある応援はございません。

第1回目のチャリティ講演は2年前の2011年5月に【中目黒GTプラザホール】で開催されましたが、それからの2年間、芸の持ち主の会員も増え、応援団の人数も増え続け、そして日に日に会員の技にも磨きがかかり、今日はその技量の発表の日でございました。
皆さん! 楽しまれたでしたでしょうか? もう一度今日の出演者に絶大なる拍手をお願いします。 
 今回、会員に何とロボットの「彦星君」、そして「オリヒメちゃん」までいる事を皆さんにご披露しましたが、大変にユニークな集団だと感じられた事でしょう。このように絶えず時代の波に乗って新しい挑戦をしている集団だからこそ、この「楽しいひととき出前どころ」のNPO団体が皆様に幅広く理解され、認められて来ている証だと思います。 
<ギター演奏:小杉誠治/浅川実>

今日お集まりの皆様もそれぞれお住いの地域、あるいはお勤め先で各種のイベントが催されていることと思いますが、その際に「出し物は何にするか?」という話になった時には、すぐにこの集団「出前どころ」を思い出してご一報下さい。私達は直ちに「楽しいひととき」を出前致しますので。
  
<花伝亭長太楼>
 


<藤間信子の清元「おまつり」>
もう一つお願いがあります。お手元の資料の中に【アンケート用紙】が入っておりますので、是非ご記入頂き、お帰りの際に提出をお願い致します。皆様からのご意見を参考にまた明日からの修行の糧にして参ります。
<藤間先生のお弟子さん達>

<池田真理子>

<佐野涼子>
 これからも「楽しいひととき出前どころ」の集団は幅広く活動を展開して参りますので、是非皆様の引き続きのご支援を頂けます様、お願いを申し上げて、私の「挨拶」とさせて頂きます。今日は長時間にわたり、ご声援を頂き誠にありがとうございました。』

 
<応援団長の挨拶>
 お陰ざまで第2回「チャリティ公演」は無事に終了することができました。
さてさて、次回は何時どんな企画で展開されるのか今から楽しみです。



 
<出演者全員: これからもよろしくお願いしま~~す!>


2013年6月8日土曜日

あやめ?花菖蒲?杜若(かきつばた)?


6月に入って近所にある水戸光圀公の庭園「小石川後楽園」で始まった『花菖蒲まつり』に出掛けました。最大の目的は「あやめ」と「花菖蒲」と「かきつばた(杜若)」を見比べてやろうという研究心(?)が有ったからでした。

<これが花菖蒲>
5月の「端午の節句」の時に「風呂に入れる菖蒲にはあの綺麗な花は咲かない。風呂に入れる菖蒲は『葉菖蒲』といわれ“サトイモ科”であり“アヤメ科”の『花菖蒲』とは違う」と知って驚いたのです。それなら「あやめ」と「花菖蒲」とはどこが違うのだろう? そして美人の形容として「いずれあやめか杜若」というが、一体「あやめ」と「杜若」に違いが有るのだろうか?なんで疑問が湧いてきたのです。


<これが「あやめ」>
後楽園に行って判定に迷わないように事前に荒知識を仕込んで置きました。畑のような所に咲いていて、“花弁の元に網目状の模様(つまり文目模様)があればあやめ”、水湿地に咲いていたら「花菖蒲」か「杜若」のどちらかで、“花弁の元に黄色の目型があれば花菖蒲”であり、“花弁の元のところに白い線があれば杜若”といった具合に。そしてもう一つの判定材料は、花が咲くタイミングが違うようです。5月に入るとまず「杜若」から咲き始め、つぎに「あやめ」が咲き、そして5月下旬から「花菖蒲」が咲くという。
今回の後楽園探訪は事前の一夜漬け知識が多いに助けとなり、次のような形で完全判定が出来たのです。「水湿地に花を咲かせているのが『花菖蒲』で、水湿地の中でもすでに枯れて小さな実をつけているのがきっと『杜若』だろう。そして水気の無い畑のようなところで、すでに枯れ掛かっているのが『あやめ(文目)』なのだ。そして水湿地の縁の所で菖蒲と同じようにス~~ット葉が伸びているが花がないのが『葉菖蒲』なのだ」と自分なりに納得しながら庭園を後にする事ができたのでした。
<小石川後楽園:遠くにジェットコースターが見える>

2013年6月1日土曜日

『たかが蕎麦されど蕎麦』の道を学ぶ


師匠の<切り>の型
2年ほど前から「蕎麦」を打つ修行を始めています。私と「蕎麦」との接点は学生時代に戸隠を訪れ、そこでお土産屋の片隅で蕎麦を打っているおばあさんの姿を見て作詞作曲をしたのが始まりかもしれません。曲名は『雪の戸隠』(昭和45年1月10日作曲)で、次のような歌詞です。
(1番)雪の戸隠や寒むかろが / いろりのばあやは蕎麦をひく / コトコト コトコト蕎麦を切る / 娘十八戸隠育ち / そば粉かかえて嫁に行く (2番)ばあやの口にゃ歌がでりゃ / そば粉のこなも舞い上がる / 信州信濃のそばよりも / わたしゃあんたのそばがいい / コトコト コトコト蕎麦を切る~~。懐かしく歌詞を詠むとギターを片手に唄いたくなってしまいます。

<蕎麦打ちの研修場【愚直庵】>
 次の蕎麦との接点は長野県・伊那市に単身赴任した2年間(平成13~14年)になりますが、この期間の週末は伊那谷をあちこちへ蕎麦の食べ歩きをしたものです。この経験がそばの味、そばつゆの味に講釈するようにさせたのかも知れません。
そして66歳になった頃、友人の紹介で【ソバ連】に入会し、自分で蕎麦を造ることに挑戦したのです。修行は「蕎麦打ち&蕎麦談義場」と言われる【愚直庵】で受けています。
 
我師匠の<切り>です
 師匠の指導は「急がず慌てず欲張らず在るがまま愚直に求める【蕎麦道】を究める」という精神を基に午前10時半に始まり、まずは師匠の解説付きデモンストレーションが40分ほど。そば粉100%でつなぎゼロの本格的10割蕎麦なのです。
師匠のデモの後、奥様の作られた特製蕎麦煎餅、蕎麦がきや蕎麦揚げ物に加え、糠味噌の漬物でお茶をご馳走になった後が恐怖の実習となります。これがおよそ1.5時間。私の大の苦手が「菊練り」、「ヘソだし」と「本延ばし」。それでも「蕎麦」が出来上がると、今度は研修生皆さんで一口食べ比べをします。この時に出して頂くビールが緊張で乾いた喉を潤して最高の味なのです。これで終らないのが「蕎麦談義場」の由縁なのです。この試食の後、皆さんが3階の囲炉裏部屋で焼き物とお酒で蕎麦談義が始まるのです。この長時間に亘るイベントの数々、すべての裏方を奥様が一手にこなしているのです。本当に感謝です。美味しい料理とお酒で気分が最高潮に達する頃にはもう外は薄っすらと暗くなっているのです。
さてさて今回は研修の7回目、やっと蕎麦が長く繋がっています。感激です。早速写真に収めてもらいました。(下の写真)
我師匠曰く、「蕎麦道は奥が深く終りのない道です。偏らず、拘らず、囚われず、一歩一歩あるいて行こうではないか」。 そこで私、「はい!頑張ります!」

ホラ、長いでしょう! 上手に出来たという事です。