<隅田川からスカイツリー> |
5月24日(土)、NPO「江戸連」の5月講「小名木川遊覧」に参加した。まだ5月だと言うのに真夏を思わせるような強烈な太陽光線が干しあがったアスファルトを更に焼き付けていた。集合場所は何と日本橋の袂で、こんな所に船着場が有るのを初めて知った。
日本橋をすっぽり覆うように走る首都高が日本橋川を薄暗くしている。こんなに太陽光が強烈な日には首都高が日傘のような役をしてくれて好都合だが、最近では景観を乱しているとして評判が悪い。
<真っ直ぐの小名木川> |
<広重【中川口】> |
いよいよ艀のような船は我々を乗せて隅田川に向けて走りだした。すぐに首都高は北の箱崎方面に向かって日本橋川から離れ、笠がなくなった船上で我々はあの強烈な太陽光に晒され続けた。隅田川に出ると暫く川上に向かい清洲橋を過ぎてすぐの芭蕉庵跡庭園の角から右手の人工運河「小名木川」に入った。この水路は徳川家康が、幕府直轄地とした「行徳」の塩を江戸へ輸送するために開削を命じたもので、1590年ころ小名木四郎兵衛によって隅田川から東に旧中川へ一直線に凡そ9kmを開削した。旧中川はすぐに荒川に合流し、その対岸から更に東に運河「新川」が作られ行徳の塩田が拡がる旧江戸川まで開削され、1629年遂に江戸川~江戸間(全15km)の水路が完成した。つまり小名木川は、行徳の塩を江戸に運んだ水路「塩の道」だったのである。小名木川が旧中川に出る附近は荒川そして新川が交差していて四方に行き交う船で賑わっていたらしい。その光景を歌川広重は「江戸名所百景」の中で【中川口】として描いている。
<「おこよ」の松とその説明版> |
<広重【掛川・秋葉道】> |
何とこれも「家康」と「塩の道」が関連した話である。もし家康がこの山奥で「おこよ」に会わなかったら日本の歴史は大きく変わっていたのかも知れない。
そしてこの「おこよの松」の側を流れる三倉川はくねくねと曲がっており大雨が降ると橋がしばしば流されて
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