2018年2月25日日曜日

十二単と日本”色”文化


きもの学校で「十二単(じゅうにひとえ)の着付け授業」を見させて頂く機会に恵まれた。私の興味は「そんなに重ね着して動けるのか? 一体どの位の重さなのか?」という所にあった。実際の着付け作業を見学して、確かに大変な作業で最低でも二人の着付け係が必要なのだと知ると共に、相撲力士の世界を連想してしまった。
正面と後側に張り付き、二本の紐を操って1枚1枚と重ね着してゆく。1枚目を紐で結わき、2枚目を重ね着してからもう一本の紐で結わき、その後で1枚目を結わいた紐を抜き取る。そしてその紐を3枚目を結わくのに使う。これを前後に付いた二人で繰り返して行くのだ。
この様な装束が流行ったのは貴族文化の平安時代からと言うが、この装束によって社会的地位を平民の前に誇示していたらしい。天皇、皇后、皇太子そして官人の地位によってそれぞれ使える色が決められていたと言う。例えば天皇は「黄櫨(こうろ)色」で21世紀の現在でもこの色は天皇だけが着用しているという。平安時代の色彩には「染色」「織色」「重色」があり600種程の色彩が有ったという。8~9世紀ころに例え貴族社会に限った事とは言え、そんなに多種の色を楽しんでいたかと思うと、日本の文化の繊細さを誇らしく感じてしまう。そう言えば、カメラのカラー・フィルムを使っていた時代、米国コダック社のあのどぎついカラーと富士フィルムの自然色に近いカラーの違いを思い出していた。
ところで「十二単」も平安時代にはなんと16枚から20枚も着重ねして、四季の移ろいを衣服に表現し自分のセンスの良さを競っていたという。それにしても身分を誇示する為の努力は凄いものだ。当時の絹生地も重かったらしく全体で15~20KGはあったらしい。この時代の男子の服装スタイルを「束帯(そくたい)」というらしいが、何か聖徳太子を思い浮かべてしまう。(十二単および束帯の写真はインターネット上のものを使わせて頂きました。)

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