2012年3月8日木曜日

小石川【傳通院】には山門が無かった?

そういえば【傳通院】には山門が無かったのだ。桜の季節には両サイドの桜の巨木の枝が垂れ下がりあたかも門の様に思わせたのかも知れない。またインターネットで夏の【朝顔・ほおずき市】の記事を見たが(上の写真はインターネットから借用)、入り口に大きく「朝顔・ほおずき市」と書かれた幕が門のように張られているが、両サイドに壁は見えるが確かに山門は無い。私は門が有るものと錯覚していた事になる。
傳通院は徳川家康が生母「於大の方」の菩提寺に定められ、その法名から「傳通院」と呼ばれ、その後徳川千姫や三代将軍・家光の正室孝子など将軍側室や子女の墓所が多く建立されるなど徳川家の庇護を受け、増上寺、上野寛永寺と並び「江戸三霊山」と言われた。
山門は江戸時代に2回、明治43年と三度の大火に遭遇、更に昭和20年の戦火で本堂を含めすべてが灰燼に帰したそうだ。三度目の大火に「永井荷風」が遭遇したそうだが、彼の著作『伝通院』の中で 「何という不思議な縁であろう。本堂はその日の夜、追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になってしました」と書いている。
(参考:傳通院HP)
法然上人八百年御忌、開創六百年奉賛を期して、2012年新しく「山門」が完成し、3月4日【山門落慶奉告法要】が執り行われた。
その模様は下記のユーチューブでご覧下さい。

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