2013年3月16日土曜日

“うだつ”と車窓民俗学

2年前に神保町の古本屋にて170円で購入した加藤秀俊著【車窓から見た日本】(発行:昭和46年)をもう一度とり出して読み始めた。その切っ掛けは「うだつ」という言葉だった。ある日の新聞記事に「うだつは防火壁。これを造るのには大変に費用が掛ったので、これを持った家屋は裕福の象徴であった」と言った内容が書かれていた。この「うだつ」で前述の本にも確か「うだつ」が出ていた事を思い出して再読しているのだ。この本は著者が文明の力「電車」に乗って、その車窓からぼんやりと外を見ていると、その景色から日本人の生活とその智慧が発見され、その発見をエッセイに纏めた本である。私も「電車」では無く自分の「足」で歩くのが好きで「塩の道」や「鯖街道」などを一人行脚してエッセイを書いているので、この著者とは共通項があるので私の好きな本の一つになっている。

特に印象に残っているのは、「谷間の人生」というエッセイの中の次の文章である。
『谷に入ったら、人はとにかく歩かねばならぬ。谷というのは、人家のある盆地と盆地をつなぐ一種の空白地帯みたいなものだ。谷あいの道はただ歩く為にある。途中で腰を落ち着けてしまうことは出来ない。それは人間世界を離れた純粋な「道」である。そこを歩くのは純粋な「旅」である。そこでは、人は他人に甘えることは出来ない。他人を頼ることが出来ない。なぜなら、谷は人間世界と切れたプロセスだからだ。それは歩く為にある。』
私も一人行脚をしていて、何度と無くそんな体験を重ねてきた事だろう。山と山の間の谷は確かに人間界から離れた霊験あらたかな世界だ。そして頼るものが無いだけに、気を許せない危険な道程とも言えよう。

このエッセイ「谷間の人生」は名古屋から富山に向かう「高山本線」に沿っての車窓からの人間生活を観察しているのだが、下麻生付近を通過中に車窓から「うだつ」のあがった古い商家を見つけた。彼が言うには、昔の上方商家では、借家でない自分の所有する一人前の店を構えたとき、隣家と接する屋根の隅にカワラぶきの塀のごときものをつけたそうだ。それが「うだつ」と言うもので「宇立」とも書くという。なるほど、「うだつ」とは人間の欲望を果たした姿だったのだ。今となっては団地住いやらなにやらで、うだつの上がらない人ばかりということになるのだが。(尚上の「うだつ」の写真はWeb上の写真を使わせて頂きました。深謝)

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