例年「憲法記念日」が来ると、あちこちで「改憲派」と「護憲派」が集会を開いてそれぞれの意見を確認し合っている。しかし今年は例年とチョット違った雰囲気が漂っていた。つまりアベノミクスで勢いづいた安倍首相が今年7月の参院選で大勝して憲法改正に進もうとしているとして、それぞれの派が熱っぽく自流の説を訴えていた。
そもそも日本国憲法は、終戦直後、GHQのマッカーサー司令官が短期間に作ったものがベースになっており、それをなぜ後生大事に守り続けているのか私には理解出来ない。
「護憲派」が掲げる「憲法第9条」はマッカーサーが「日本にいかなる陸軍海軍も持たせない」として創り上げた条項で日本に再度戦争をさせない骨抜き国家にしようと意図したのである。これを護憲派は「平和憲法」と崇め奉っているが、それでは日本国は誰が守るのか、それとも誰かに守ってもらえればそれでいいのか、はなはだ疑問である。つまりはご都合主義で「人間とは?」を全く神聖化して、「地球上から戦争を無くすために、日本憲法で掲げた日本がその先頭を切る」と言った妄想に駆られているのだろうか。
先日読んだある雑誌に、『憲法の語源を英語、仏語、独語で調べると、もともとの意味は「国家の構造や国家の成り立ち」という意味。我々は学校で、憲法とは「国家権力を縛るもの、個人の人権を守るもの」と教えられて来たが、ことのつまり我々は日本固有の歴史や伝統と言った国家の成り立ちから憲法を論じる事をしない国民なのである』と書かれていた。
私はこの日にこう思う。「日本人よ、大人になろう。自分の事は自分で決めて、自分で責任を持って前に進もう。世界の中の独立した一国として、他国と協調して地球上で持続可能な代表的な国として進んでゆこう」と言うのが私の考えである。もう米国の言いなりは止めよう。これからは、米国と、中国と、朝鮮の諸国と、ロシアと、アジア諸国と、そして全地球上の国々と大人の付き合いをしようではないか。日本の固有の歴史と伝統を顧みて、それを生かして行きながら諸国と付き合って行けば、それが出来ない事はない。
その第一歩が、自分達の手で、自分達の「憲法」を作ることであろう。
その切り口が、安倍首相の「第96条の改定」からでもいい。新しい「日本国憲法」の草案が固まれば、憲法改正には国民の投票が条件なのであるから、最後は我々が決めるので、政治が暴走する心配はない。早く大人になって欲しい。
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