この題名を見て「これ一体何を言いたいのか?」と思われた事でしょう。少なくとも「金栗四三(かなぐり しぞう)」(1891~1983年 92歳没)を知っている方は相当ご高齢かマラソン好きな方と思われます。しかしインターネットで同氏を検索してみると、それはそれは大変な人物で有る事を知ったのです。その人物の凄さの一部を書き出すだけで次のようになります。
・マラソン界で1911(明治44)年、2時間32分45秒の世界記録保持者
・1912(明治45)年、日本で初めてオリンピックに参加した選手二人の内の一人
・箱根駅伝の創始者
・マラソン用足袋「金栗足袋」の発案者
・来年(2019年)のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公
そしてこれらの出来事一つひとつがそれぞれ強烈な物語を持っていて、とにかく波乱万丈の生涯を過ごされた偉大なる人物なのです。明治44年のストックホルム・オリンピックでのマラソンに出場した時、競技の途中で突然に姿が消え(実は熱中症でコースの脇の森の中で気を失ったのだが)「消えた日本人」として話題となり、それから55年後の1967(昭和42)年にストックホルムで「オリンピック55周年記念式典」が開かれ、招待された金栗氏が式典会場のトラックを走ってゴールデンテープを切ったそうです。この時会場のスピーカーから次のようなアナウンスがあったそうです。
「日本の金栗、ただ今ゴールイン。タイムは54年8か月6日5時間32分20秒3、これを持って第5回ストックホルム・オリンピック大会の全日程を終了とします」
なんという大人的な仕掛けと仕上げでしょうか。そして彼は今後絶対に破られない最も遅いマラソン記録の保持者でもあるのです。
さて次に「金栗足袋」とは一体何ぞや?の話から表題の「文京区」との結びつきをお話ししましょう。彼がマラソンを始めたころは日本にはランニング・シューズが無いので足袋で走ったのですが、アスファルトの上を走るといつの間にか穴が開き裸足で走る事になります。ところが金栗氏は文京区大塚仲町に在った「播磨屋足袋店」の足袋職人・黒坂辛作に特別にマラソン用の足袋を作ってくれるよう依頼します。それでは何故文京区の足袋屋だったのか、これまた偶然が重なるのです。彼は熊本の生まれですが、小学校の通学で往復12kmの通のりを毎日走って通ったそうですが、学力優秀で1910(明治43)年に難関の「東京高等師範学校」に合格、通学を始めます。東京高等師範学校は後の「東京教育大学」今の「筑波大学」で文京区の茗荷谷に有り、播磨屋足袋店は直ぐ側だったのです。彼が入学した時の校長は何と柔道の創始者「嘉納治五郎」だったのです。嘉納治五郎も熊本出身ですが、「教育には知育・徳育・体育の3つが必要」という教育理念の持ち主でスポーツ全般を奨励し年に2回のマラソン大会を開催していたのです。入学1年生で早速3位に入賞して嘉納氏より「抜群の健闘」と褒められ、その後、彼はマラソン人生に突っ走るのです。
そんな彼の波乱万丈な92年の生涯をNHKが2019年の大河ドラマに取り上げたのです。その大きな理由には2020年にこの東京で「オリンピック」を迎えるからでしょうか。文京区に住む私としては、人一倍この大河ドラマ「いだてん」が待ち遠しいのです。
(上の写真はインターネント上のものから利用させてもらいました)
(上の写真はインターネント上のものから利用させてもらいました)
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