2014年9月17日水曜日

敬老の日と僕たち

9月15日は敬老の日で祭日。ここ地元「老人会」では例年「敬老祝い」と7〜9月生まれの「誕生会」とを合わせて祝っている。今年もその日が来た。私は地元の老人会の会長をさせて頂いているので、この日の挨拶では次のような話をした。
「皆さん、去年と同じ会員の皆さんとこうして敬老の日そして7〜9月の誕生日の方達を一同に介してお祝い出来る幸せを噛み締めています。去年と同じメンバーで迎える事が出来たことが本当に嬉しいのです。
<千駄木の「吉里」にて男の集まり>
日本は長寿の国として世界的に有名ですが、100歳以上の方が全国に54万4千人ほど居られまして、過去最多だそうですが、昨年比で3千人ほど増えています。来年も過去最多になる事でしょう。そして75歳以上の方が8人に一人になっています。出生率が2012年で1.41と夫婦で二人の子供を作れないのですから、当然のことながら人口減の現象は避けられないことでしょう。あと26年後の2040年には日本の人口も1億人を割ると言われています。東京都で100歳以上が1634人(内男265、女1396)で、文京区では81人(男9人、女72人)です。何と女性は強いことでしょう。今後もきっと女性群で日本を背負って行ってくれることでしょう」ってな話をしていたのですが、その日集まっていたのが25名で、その内男性は7人でした。なるほど!
その数日後、私の同年代(70〜80歳台)の男同士の集まりが千駄木の<吉里>で有りました。そこでの話の90%が「病」の話でした。この会員の内2名が「がん治療」のために欠席だったのです。おのずと「病」の話に関しては現実味を帯びてきます。そして次回は何時にしようという話題になったとき、幹事から「来年の2~3月ころにしましょうよ」と具体的提案があったのです。その根拠を聞き出すと、11月に白内障手術があり、その手術後の経過が心配だからという幹事の置かれたる事情で「忘年会」は無しにして来年2〜3月と決まったのです。
70歳をすぎると、本当に体が資本なんだとつくずく感じたここ数日でした。チャン!チャン!

2014年9月3日水曜日

え! 日本は大丈夫?? (こんな偶然は驚き!)

私は3日前にブログを書いてUPしたのです。その時のテーマは【ルポ貧困大国アメリカ】という本を読んでそれに就いて書いたのです。な!何と!その私が恐れている事が、日本では着々と実現に向かっているようなそんな記事が、その3日後にデカデカと東京新聞に載っていたのです。そこでまずは下にスクロールして一つ前の8月31日のブログを先にお読みください。そしてその後でここに戻って来てください。

==まずはスクロールして8月31日のブログへどうぞ==

読まれましたか。それでは、この下の東京新聞記事をお読みください。(ちょっと文字が小さくて読みづらいですが。)
なんと言う偶然でしょう。これも神の思し召しだったのでしょうか。

本当に日本の大人、それも有識者と言われる連中は脳細胞がマヒしてしまっているのでしょうか。末恐ろしくなってきます。

2014年8月31日日曜日

ルポ『貧困大国アメリカ』を読んで

久々に面白い本を読んだので紹介したい。本名はルポ『貧困大国アメリカ』(岩波新書 760円+税)で、2008年に発刊されベストセラー本と言われていたので、すでに読まれた方も居られるでしょう。著者“堤未果”氏は東京生まれ、ニューヨーク市立大学でマスターを取得、米国野村証券に勤務中、9・11同時多発テロを隣のビルで直視したという美女だからこれも興味を引く。
目次を見ただけでも読みたくなってしまう。それではその目次に沿ってその内容骨子を紹介してみよう。如何にアメリカが精神的、健康的に病んだ「後進国」になり下がっているか、その姿に気づかされよう。
第1章:『貧困が生み出す肥満国民』
ニューヨーク州の公立小学校に通う生徒の半分が肥満だそうだ。原因は学校給食がファーストフード的内容で高カロリーのメニューとなっており、更に貧困児童の夕食はこれまたファーストフードやジャンクフードで揚げ物が中心になる。そして多くの家が「食料配給切符(食料交換クーポン)」に頼っているそうだ。
第2章:『民営化による国内難民と自由化による経済難民』
1979年、ジミーカーター大統領によって作られた「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」が、ブッシュ政権時代に「自由競争」という言葉とともに“民営化”に走ってしまったという。FEMAの主要任務はいかに災害の被害を縮小し多くの人命を救うかという事だったのに、民営化により如何に災害対策業務をライバル業者より安く行う事ができるかを証明する事に代わってしまったと言う。2005年8月ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの際もFEMAの出動が大幅に遅れ洪水による巨大被害を発生させたが、これも民営化により救助対応が遅れた為に引き起こした問題で「人災」であると指摘している。
第3章:『一度の病気で貧困層に転落する人々』
80年代以降、“新自由主義”の流れが主流になり、大企業の負担する保険料を下げる為にアメリカは公的医療を縮小し、「自己責任」という言葉の下に医療費の自己負担率を拡大させて行った。結果は一度病気してしまうと個人破綻してしまう人が急増し続けている。
第4章:『出口をふさがれる若者たち』
2002年ブッシュ政権時代、「教育改革法(落ちこぼれゼロ法)」を打ち出したが、結果的には学力優秀だが貧困学生を選び出し、大学費用負担と職業訓練も可能と勧誘条件を出して軍隊に入れさせる“裏口徴兵政策”が幅を効かしている。
第5章:『世界中のワーキングプアが支える民営化された戦争』
アメリカは「市場原理」の導入により中間層は消滅し、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれた。グローバル市場において、最も効率よく利益を生み出すものの中に「貧困ビジネス」があるが、その国家的レベルが「戦争」であると指摘する。現在イラク、アフガニスタンなど中近東の戦場で戦っているアメリカ軍兵士は貧困高卒生に加え、フィリピン人やメキシコからの不法入国者が民間戦争請負会社で採用され、生活保証という“甘い言葉”につらされて戦場に駆出されているのだと指摘している。
最後の「コラム欄」では“民営化はテロ行為より怖い。それは民営化の恐ろしさは責任の所在が明確でないことにある”と述べている。

何か、アメリカの体たらく状態が、日本にもしっかりと伝染して来ているようで不安である。そして現日本政府は「戦争」という「貧困ビジネス」を取り込もうと、その準備に入っているよにも感じてしまうのは私だけだろうか。

2014年7月31日木曜日

地元町会での講話

7月27日、我が町会が地元の集会場で私の講話を聴いて頂く機会を作ってくださったのです。この日は真夏の日曜日、それも最も気温が上がる午後2時からの開演にも拘らず多くの方々に集まって頂きました。
日本の政治や経済の混迷で国民が自信喪失の状態にあり、気狂い的暑さでグッタリしている時に気分がスッキルする話をということで『日本復活私論』のお話をさせて頂きました。それも1時間ほどで[Part1]と[Part2]の総括編をと言う事で、4時間ほどの内容を1時間でという難題に挑戦しました。
また聴講者が町会の皆様ということで20歳代から80歳代までの幅広い年齢層なので話の纏め方も難しい。あまり難しい話にしてしまっては、皆さんが居眠りを始めてしまうだろう。そこで私はふんだんに話の途中で「動画」を入れる構成にしてみたのです。3・11関係で2本、昨今の新しい教育の動きに関して2本、そしてこれからの日本の姿の例としてNHK番組の一部『里山資本主義』、また日本的生活の回想として小津安二郎監督の映画『東京物語』の一場面を使いました。と言う事は6本の動画をスピーチの合間に組み込んだのです。 参加頂いた人数は23名で、結果的におしゃべりと放映で1時間半になってしまいましたが、お陰さまで眠り込んだ人は皆無だったようです。
おしゃべりの中身は「何故に日本は立ち直れるのか?」という点に重点を置きました。立ち直る理由として、①これからは地球と共生が大事で日本人はそもそも「森の民」だから得意である。②これからは軍事力や経済力などの「ハードパワー」より「ソフトパワー」が大事で、それを日本人はしっかりと持ち合わせている。③社会の仕組みがこれから益々「中央集権型」から「権限分散型」が主流になる。④これまでの「マネー資本主義」から木材、休耕地などが見直され、里山に価値を見出す「里山資本主義」が到来する。⑤日本の教育が新しい方向に向きつつある。などなどの変化が重なり合って世界の人々が日本を真似する時代がやがて来る、という私論の説明に力を注ぎました。
「今日のお話は目の回るようなスピートだったが、面白かった」との皆さんからの感想を聞き、すこしは鬱積した鬱憤が晴れたのではと、嬉しく思いました。この講話の間中、外から雷の音が激しく聞こえていたが、この集いが終わる4時半には雨は止み空はカラリと晴れ上がっておりました。


2014年7月20日日曜日

夏の朝の三四郎池

7月12日(土)大型台風が関東を通過すると大騒ぎした翌日、静かな朝がやって来た。窓の外には雲ひとつ無い真っ青な空が広がっていた。じっとしてはもったいないとベッドから飛び起きて朝の散歩に出掛けた。徒歩で5分も歩けば東大・正門前に行き着く。昨日の台風通過のせいか朝の空気はまだ冷やっこくて気持ちいい。安田講堂前にある大きな樫の木がきれいに剪定されていた。さっぱりして気持ちよさそうだ。安田講堂は長い年月の汚れを取っているらしくビニールで覆われていて珍しい姿だ。私の朝の散歩のお決まりのコースのひとつである「三四郎池の1周」は、自宅を出発して池をぐるっと回って30~40分コースである。今日は左周りで行くことにした。その1周の行程をフォトストリー化したので、ご覧頂きたい。BGMは松居啓子さんの「Hidamari no Ki」を使わせてもらった。

2014年6月28日土曜日

ナイスなホリデイでした!

NPO法人【楽しいひととき出前どころ】(以下THDD)が6月21日(土)、二子玉川にある「松本記念音楽迎賓館」にてすばらしいひと時をアレンジされましたので報告致します。
<松本記念音楽迎賓館の庭園>
THDDとは、芸を持った人々が集まりその芸を人様に見て頂いて楽しんで頂くことを目的としたNPO集団で、つまりは、養護や介護の施設、更には会社や町会、商店会などが催すイベントの際にTHDDに要請を出せば芸人を「出前」してくれる集団なのです。(HP: http://www.hitotoki@sactown.jp)

この集団の発起人であるマジシャンの室尾理事長のご尽力により、年々会員数も増え続け、この7月に創立5年目を迎えますが、会員数(芸人)が30名、応援団が20名ほどの規模に急成長しているのです。これまでに2回の「チャリティ公演」が開催され、その中間の年に「懇親会」が開催されて来ておりまして、今回の【ナイス・ホリデイ】と銘打ったイベントは「第2回懇親会」に当たります。この企画は3部構成になっていて、第1部が松本音楽記念館の美しい庭園の自由散策、第2部が田村真穂さんのピアノ演奏、佐野涼子さんのジャズ、そしてサプライズは佐野さんのお嬢ちゃんのヒップホップダンス、そのダンスの余りの迫力に高齢者の方々はポカン!その会場は天井・壁面が杉材で作られており、音響を考慮して設計された空間でじっくりと芸の極致を堪能いたしました。
それから皆さんは和室の会場に移動して藤間信子さんのしっとりとした日本舞踊を満喫しました。第3部は、きれいな庭園を前にしたゲストホールでの立食パーティとなり、皆さんワイワイと話しに、お料理に、そしてビール、ワイン、甕麦焼酎と、何から何まで本当に興奮のひと時でありました。
今日の参加者は総勢60名強にも及び、最初から最後まで熱気がムンムンとする中での本当に“ナイスなホリデイ”でした。 THDDへは、メール hitotoki@mbn.nifty.com  へどうぞ!
<全員の集合写真>

2014年6月3日火曜日

徳川家康と塩の道

<隅田川からスカイツリー>
5月24日()、NPO「江戸連」の5月講「小名木川遊覧」に参加した。まだ5月だと言うのに真夏を思わせるような強烈な太陽光線が干しあがったアスファルトを更に焼き付けていた。集合場所は何と日本橋の袂で、こんな所に船着場が有るのを初めて知った。
日本橋をすっぽり覆うように走る首都高が日本橋川を薄暗くしている。こんなに太陽光が強烈な日には首都高が日傘のような役をしてくれて好都合だが、最近では景観を乱しているとして評判が悪い。
<真っ直ぐの小名木川>
<広重【中川口】>
いよいよ艀のような船は我々を乗せて隅田川に向けて走りだした。すぐに首都高は北の箱崎方面に向かって日本橋川から離れ、笠がなくなった船上で我々はあの強烈な太陽光に晒され続けた。隅田川に出ると暫く川上に向かい清洲橋を過ぎてすぐの芭蕉庵跡庭園の角から右手の人工運河「小名木川」に入った。この水路は徳川家康が、幕府直轄地とした「行徳」の塩を江戸へ輸送するために開削を命じたもので、1590年ころ小名木四郎兵衛によって隅田川から東に旧中川へ一直線に凡そ9kmを開削した。旧中川はすぐに荒川に合流し、その対岸から更に東に運河「新川」が作られ行徳の塩田が拡がる旧江戸川まで開削され、1629年遂に江戸川~江戸間(全15km)の水路が完成した。つまり小名木川は、行徳の塩を江戸に運んだ水路「塩の道」だったのである。小名木川が旧中川に出る附近は荒川そして新川が交差していて四方に行き交う船で賑わっていたらしい。その光景を歌川広重は「江戸名所百景」の中で【中川口】として描いている。
<「おこよ」の松とその説明版>
「家康」と「塩の道」の関係で私は全く別のことを思い出していた。そう,あれは今から9年前の2005年、私が静岡県・相良町から新潟県・糸魚川までの350km一人行脚をスタートした三日目の出来事だった。静岡県・森町から秋葉大社に向かって「秋葉街道」を三倉川に沿って北進していると、道脇に横に腕を伸ばしたような形をした松に出会った。その手前の説明版によれば、
<広重【掛川・秋葉道】>
『1574年 家康が武田方の天野氏の【犬居城】攻めの折に天候急変の災いで軍を撤収する途中、天野軍の反撃を受けて徳川方は思わぬ惨敗を喫してしまう。その時、この土地の嫁であった「おこよ」が現われ徳川方武士を山道案内して逃がしてやった。しかしその事を知った天野軍は「おこよ」を厳しく折檻し、「おこよ」はそれに耐えられずに命を絶ってしまった。土地の人々はこの「おこよ」の死を悼み、そこを「嫁田」と呼び弁天様を祀り、その脇の松を「おこよの松」と呼んでいる』と書かれていた。
何とこれも「家康」と「塩の道」が関連した話である。もし家康がこの山奥で「おこよ」に会わなかったら日本の歴史は大きく変わっていたのかも知れない。
そしてこの「おこよの松」の側を流れる三倉川はくねくねと曲がっており大雨が降ると橋がしばしば流されて秋葉街道を行く旅人が川中を歩かねばならない不便さが有ったという。広重は「五十三次名所図会」で【掛川・秋葉道】として往生している旅人の姿を描いている。この絵のバックに聳え立つ山が「秋葉山」である。

「家康」と「塩の道」が関係した2つのお話に「広重」の浮世絵の絡みは如何なもんでございましたでしょうか。
<左の隅田川から真横に真っ直ぐ旧中川まで走る「小名木川」>