2015年4月26日日曜日

マンガ大国日本と浮世絵

<見返り美人図/菱川師宣>
最近はインターネットを介してマンガ作家が海外に自分のマンガを輸出していると言う。そういえば日本にはマンガと言えば“手塚治虫”を筆頭に私の少年時代には「巨人の星」や「あしたのジョー」で私を夢中にさせた“梶原一騎”、そして新聞の4コマ漫画では、“長谷川町子”の「ササエさん」や“秋好馨”の「轟先生」などの大御所が居た。
昨日NPO「江戸連」の【卯月講:浮世絵の歴史】の講演を聞いた。絵に文字やセリフを書き足したのは浮世絵が始まりと言うから、マンガの先祖も浮世絵ということになる。そんなことを考え巡らすと、マンガそして絵画の世界はやはり日本が中心になっていたのではと考えてしまう。
<汗を拭く女/喜多川歌麿>
浮世絵は江戸初期の1670年頃“菱川師宣(もろのぶ)”によって浮世絵版画が成功し広まったと言う。江戸中期(1760年代)になって“鈴木春信”によって多色刷りに成功し浮世絵の黄金時代を迎えたという。兎に角この時代の「下絵師」、「彫り師」、「擦り師」の分業体制は当時日本に来た外国人からは、ずば抜けた高度な文明だと感心させたそうだ。江戸の後期(1830年代)になって、“葛飾北斎”の「富嶽三十六景」や“歌川広重”の「東海道五十三次」など名所絵で活況を呈す。
<ヨーロッパの風刺画の例>
この頃ヨーロッパでは“ゴッホ”や“モネ”な どの印象派画家が活躍しているのだが、彼らは日本の浮世絵に興味を抱き自分の画風に参考にしていたほどである。また日本美人画の代表である“鏑木清方(かぶらぎきよかた)”も師匠が浮世絵師の“水野年方”であったという。
そういえばつい最近フランス・パリで【イスラム風刺画騒動】が起きていたが、ヨーロッパの風刺画を見ても、菱川師宣や北斎、広重の風刺画や春画の方が一枚も二枚も上手だと見てしまうのは依怙贔屓なのだろか?(浮世絵はインターネットから拝借しました。)

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