2012年4月2日月曜日

第9回「文京を歩くかい」実施される

3月24日(土)「文京を歩くかい」の番外編として【春の高尾山と高幡不動尊】と銘打って山登りが企画されたのです。目的は今年は辰年であり辰は神様からのお使いだそうで、縁起のいい年にしようと、春が来たら少しでも神様に近づいてみようと企画した訳です。
しかし実施日の2日前から雨が降り続き24日の天気予報も昼まで雨が残るという最悪の状況だったのです。「中止」にしようと覚悟はしていたのですが、何と金曜日の夕方になると天気予報が少し好転し「昼にはお日様のマーク」が出ていたので「実行」と決定したのです。
こんな天候にも関わらず、参加者は8名(1名は途中参加)。朝10時の「高尾山登山口」駅前では肌寒く春が程遠く感じられました。それでも皆さん元気に出発。登山ルートはいくつかあるルートの内で最も楽なコース【稲荷山コース】でしたが、渓流に沿った登山道は変化に富んでいて飽きの来ない楽しいコースでした。(一番上の写真)
高尾山頂上で楽しい昼食。ビールと日本酒を体に入れると少し体がポカポカして来ました。(二番目の写真)

下山は1号路を「薬王寺」経由で予定通り14:30に京王線「高尾登山口」駅に着いて、高幡不動駅まで行こうと乗車したのですが、ここでハプニングが起こります。電車が発車時間を過ぎても動かないのです。すると「先ほど京王片倉駅付近で人身事故が起こり電車は1時間後に発車予定です」とのアナウンス。高幡不動には途中から参加の友人が待っていますので慌てます。そこで「高尾山登山口」駅から隣の「高尾」駅まで出ればJRが走っていると判断し、その区間を歩いて行くことにしたのです。(上の写真)
その頃は天気予報通りに空は青空が顔を出し太陽光線がギラギラ照り付けて、今度は汗ビッショリです。何ともとんでもない付録でした。
高幡不動尊には予定より30分遅れで到着、途中参加の友人と合流して記念写真をパチリ。(下の写真)
さてお次は、この会の最大の楽しみである【懇親会】を高幡不動駅前にて明るい内から「乾杯!」でスタート。散会は案の定20:00でございました。皆さんほろ酔い気分でのご帰宅でした。ご苦労様でした。(歩行総合距離:14km)

2012年3月8日木曜日

小石川【傳通院】には山門が無かった?

そういえば【傳通院】には山門が無かったのだ。桜の季節には両サイドの桜の巨木の枝が垂れ下がりあたかも門の様に思わせたのかも知れない。またインターネットで夏の【朝顔・ほおずき市】の記事を見たが(上の写真はインターネットから借用)、入り口に大きく「朝顔・ほおずき市」と書かれた幕が門のように張られているが、両サイドに壁は見えるが確かに山門は無い。私は門が有るものと錯覚していた事になる。
傳通院は徳川家康が生母「於大の方」の菩提寺に定められ、その法名から「傳通院」と呼ばれ、その後徳川千姫や三代将軍・家光の正室孝子など将軍側室や子女の墓所が多く建立されるなど徳川家の庇護を受け、増上寺、上野寛永寺と並び「江戸三霊山」と言われた。
山門は江戸時代に2回、明治43年と三度の大火に遭遇、更に昭和20年の戦火で本堂を含めすべてが灰燼に帰したそうだ。三度目の大火に「永井荷風」が遭遇したそうだが、彼の著作『伝通院』の中で 「何という不思議な縁であろう。本堂はその日の夜、追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になってしました」と書いている。
(参考:傳通院HP)
法然上人八百年御忌、開創六百年奉賛を期して、2012年新しく「山門」が完成し、3月4日【山門落慶奉告法要】が執り行われた。
その模様は下記のユーチューブでご覧下さい。

2012年3月1日木曜日

原発ゼロが正論! 「停電」を恐れず!

原発再稼動か、原発廃止か、の論争が繰り広げられていますが、政治家の皆さん、そしてメディアの皆さん、そして原発機器のメーカーさん、更には一般大衆である私達一人ひとり、原発は今すぐに止める方向でそれぞれが対策を打ってゆくべきなのです。どっちがいいか、なんて議論をする問題では無いのです。この地震国【日本】にすんなりと海岸線上に作ってしまった原発を、それもこれから更に地震活動が活発化すると言われる時代に入っており、地震と津波はつき物なのだから、これからはどのようにしてこの危険装置(原発)を捨てるかという事(廃炉)に頭を絞ってゆくべきなのです。

今朝の新聞に、福島原発30km以内の市町村の首長の57%が条件付で再稼動に賛成という記事が載っていましたが、首長たる者はそんないい加減なこといわずに「反対」という姿勢をしっかりと主張すべきなのです。その「条件付」とは“【安全】が確保されれば”と言うことなのでしょうが、残念ながら100%の安全な装置など世の中にはあり得ないのですから。

【原子力発電】とは原理的には広島・長崎でアメリカが落とした【原子爆弾】と同じように「ウラン原子」の【核分裂】による膨大な破壊力(猛烈なエネルギー)を分厚い鉄で覆われた炉の中で発生させて、そのエネルギーで水を蒸気に替え、その蒸気でタービンを回し電気を起こすという原理そのものは単純な変換なのですが、恐ろしいことに【核分裂】は生き物の敵【放射能】を発生させるのです。この放射能を撒き散らさない為にその管理の為の複雑なシステムが必要になってきます。人間に例えると中央管理器官である【脳】から神経が全身に渡って広がり複雑なシステムを組んでいますが、交通事故とか病気などでその神経線に異常を来たすと、半身不随とか各種機能不全で苦しんでおられる方が沢山おれらますが、複雑なシステムを持つということは、それだけリスキーなのです。

原発はもう止めろ」と言うと、すぐに反論は「それじゃぁ、今使っている電気が足りなくなって、工場も止まり、コンピュータもおかしくなり、国民生活もおかしくなり、結局日本が沈没してしまうだろう」なんて言うのでしょうが、そんなことは無いのです。

現在日本には54基の原発があり、その内52基が運転停止中であり、動いているのはたった2基で、それも北海道電力・泊原発と東電・柏崎原発(新潟)であり、ただ今現在の電力状況はチャント維持されているではありませんか。真夏の最大消費時ならどうする?という反論も出てきましょう。その時は我々大衆一人ひとりが「停電」を覚悟し、万一の場合には騒がず「ろうそく」の元で生活しようではありませんか。しかし政府機関・鉄道・病院・警察・消防署などへの優先配電ルートの構築や、会社・工場のコンピュータへの対策としては緊急蓄電装置や自家発電装置などを準備しておけばいいのです。

電気も無い、テレビも無い生活は、私達に新しい何かをこころの中に創り出してくれるかもしれません。

2012年2月3日金曜日

【酒街道】は、どこに有るの?

【酒街道】は本当に有るのでしょうか?
私は古道「一人行脚」に大変興味があるのです。今は姿を消しつつある古道を、たった一人で歩くのが好きなのです。これまでに静岡県・相良町から新潟県・糸魚川市までの【塩の道】350km、そして福井県・小浜市から京都・出町柳までの【鯖街道】75kmを一人行脚して参りました。
【鯖街道】の紀行文の最後に私はこんなことを書いています。
〔友人から「最初に【塩の道】で次に【鯖街道】を歩いて来て、今度はどこですか?」と質問を受けたので、即座に「塩、そして鯖と来れば、あと足りないものは何ですか?」と返答して、続けて「そうです。足りないのは酒です!ですから次は【酒街道】を探します」と答えていました。その時私の頭には「きっと昔 杜氏が通っていた道が在るかもしれない。どうしても見つからなければ自分でそんな街道を作ってしまえばいい」と勝手な事を考えていたのです。〕
これが2010年5月の出来事でした。
インターネットで「酒街道」を検索しても、それらしき街道は見つかりません。しかしある日「気仙沼商工会議所」が出していた観光資源活用トータルプラン『時を紡ぐ空間づくり』の企画書(2006年)の中に【黄金酒街道】の活字を見つけたのです。この資料によると黄金酒街道は一関市から気仙沼市までの国道284号線(気仙沼街道)上に4つの古い酒蔵があり、この4酒蔵の日本酒に共通用語ラベル貼ることから、そのように名づけたとありました。そこで私は「よし、それなら黄金酒街道を日本海まで延長して、その線上に存在する酒蔵を横串に刺して、そこを【酒街道】と名づけよう」と思い地図を見ながらのルート作りと酒蔵をチェック、遂に私の【酒街道】が完成したのです。 ルートは【黄金酒街道】の一関市から芭蕉の【奥の細道】に沿って鳴子温泉峡~尾花沢~新庄と繋げ、そして最上川に沿って日本海の「酒田市」が最終地となる、本州をほぼ北緯39度線に沿って横に突っ切ったのが「私の酒街道」なのです。ゴール地の名前は何と「酒」の田んぼですよ。この街道沿いに12の酒蔵があります。(下の地図の番号①~⑫は酒蔵の場所です。)これらの酒蔵を訪ねながらの「一人行脚」も楽しかろう、と心ときめいておりました。

しかし2011年3月11日、大地震と共に大津波が気仙沼市を襲い、きっと「昭和レトロ」の港町も大打撃を受けてしまった事でしょう。被災された皆様が一日でも早く平常の生活に戻れる事を切願し、私の【酒街道】行脚も無期延期としました。

2012年1月21日土曜日

『車検』は自分で簡単に取れる!

「父さん、退職したら車検くらいは自分で取るべきだよ。年金生活をしているのに人に任せて費用を掛けて『車検』を取るなんておかしいよ」と息子に言われ、「うっ! その通りだ!」と気づかせてくれた。そう言う息子はすでに自分で『車検』を取って来ている。

『車検』期限が今年の1月22日に迫ってくると、修理工場やガソリンスタンドを訪ねては車検見積りを取ってみるが、おおよそ12~13万円は掛かる(車種はトヨタ・チェイサー)。
息子曰く、「自分でやれば、その半分で取れるね!」と言う。そこで「よっしゃ!! 自分で『車検』くらい取ったる!」と一念発起、インターネットで申請日(1月20日)の予約を取り付けた。
早速、経験者の息子に車検場での要領を聞き出し、事前に予備知識は得ていたものの、人生で初の体験にはやはり緊張するもの。その1月20日が到来。私がそんな事に挑戦するものだからお天気すら驚いて朝から雪を降らせていた。

自分でやってみて驚いた。実に簡単であり、自動車免許証やパスポート申請とほぼ同程度の手続きと時間で済むのだ。それで4~5万円が倹約出来るのだから、これは皆さんに奨励せねばならないと思いブログに載せて、私の体験談を報告しておこう。
その手順だが;
(1) まずはインターネットで自分の地区(ナンバープレート上の地名、私の場合は「練馬」)の【自動車検査法人 自動車検査予約システム】を検索し、希望の日時を選択し予約する。予約が完了すると「確認」メールが入る。
(2) 車検テスト当日持参必要な物として;
・現在の車検証 ・現在の自賠責証明書 ・現在の納税証明書 ・印鑑(三文判でOK)・筆記用具 ・インターネット予約の際の先方からの確認メール・コピー ・現金(7~8万円)
(3) 当日はその予約時間 (私の場合は受付時間:10:00~11:45 検査時間10:30~12:00を選択)の午前10時少し前に練馬車検場に到着。早速次の手順にて必要書類を準備。
・必要書類1セットを購入(20円)
・検査登録印紙代(400円)、新査証紙代(1400円)、重量税印紙代 (私の場合1501kg以上なので40,000円)を纏めて窓口で支払。
・自賠責保険を近所の代行屋に行き支払う。(24,950円) 。このとき必要書類の記入代行をしてくれるので、記入間違いを避ける為には代行屋にすべて 任すのも一法。但し1300円掛かる。
・すべて必要書類が揃ったら、車検テストを申請する窓口にその書類を提出し書類のチェックを 受ける。このときインターネットで予約した際の「予約番号」を聞かれる。そして「~~番のライ ンに並びなさい」と指示を受ける。また「ラインに並ぶ前に一応工場内に入ってどんなテストを 受けるのか事前にチェックするといいですよ」と言われるのでこれは絶対にお勧め。  
(4) いよいよ指定されたラインに並びます。私の場合でこの待ち時間40分。学校のテストの時間前と同じような緊張が走ります。
(5) 自分の番が来てテストに入りますが、親切にその都度口頭で指示がありますので、それに従って 慌てず操作すればいいのです。テストの順番は、 ・外観検査 ・全ライト類の点灯・消灯 ・ボンネ ットオープン ・ブレーキ関連・ヘッドライト点検 (ハイビームも) ・排気ガスチェック ・下回り検査で終ります。 車検工場ラインは全長50mほど (写真参照)
(6) そして「総合判断」を受けます。その場所は上の写真の右手の白いプレハブ・ハウス。すべてOKであ ればこれにて終了で、指定窓口で「新規車検証」と 「窓に貼るステッカー」を入手、これにて 完了。
(7) ライン上で指摘を受けて不合格となった場合 (私の場合は 窓に貼ったステッカーが違反)は、そ れを修理した後、一番空いたラインに並び、 工場テストに入る所に居る検査員に修理した旨を説明しチェックを受けて「認め印」を貰って、次に「総合判断」を受けた窓口へ再度提出すると、最終的に「合格」となり、上述の(6)のステッ プとなる。そして「万歳!」と言って試験場を後にする。私の場合で 車検場を出たのは 11時40分で した。何と2時間と掛らなかったのです。
<追記>私の不合格「窓に貼るステッカー」とは、基本的には運転席、助手席の両サイドの窓にはステッカーを貼ってはいけないらしく(写真参照)、これを剥がせというので試験場そばの修理工場(「テスター」と呼んでいる)に運び込んでステッカーを剥がしてもらった(費用500円)。
つまり車をマニアチックに自分で加工したり交換したり、貼り付けたものには事前にチェックが必要で、最も安全なのはスタンダードに戻しておいて、審査を受けることであろう。「ついうっかり」は、「発炎筒」がちゃんと有るか確認要。

以上で報告は終りますが、全く難しいところは無く、自分で「車検」を受けて総額68,070ですみ、4~5万円を浮かすことが出来たのです。 万歳!!

2012年1月3日火曜日

2012【アトリエ清水1月展】のご案内

新年明けましておめでとうございます。

毎年正月明けに行われている【油絵展】が開催されます。

期間:1月8日(日)~14日(土)

場所:いきいきプラザ一番町 1階 区民ギャラリー

交通:地下鉄 半蔵門線 半蔵門駅 出口5番 徒歩5分

地下鉄 有楽町線 麹町 出口5番   徒歩5分

今年の出展作品は,ベルト・モリゾの模写【夏の日】、かわいいネコちゃんを描いた創作画 【ネコ様】、そして昨年3月11日の「東日本大震災」の恐ろしい姿を描いた【3・11】の3点です。 キャンバス・サイズはすべてが F8.
私は9日(月・旗日)15:00~18:00、および11日(水)11:00~15:00、会場に出ております。

もしこの期間にお時間の都合の付く方は、是非立ち寄ってご覧いただけますれば幸甚に存じます。

2011年12月14日水曜日

最高にあつい本『夜明け前』

昨夜、やっとの事で島崎藤村『夜明け前』を読み上げた。読み始めたのが今年の6月初めであったから半年掛った事になる。勿論この本だけを読み続けたわけでなく並行して10数冊別の本も読んでいたのだが。しかし私に取っては生涯で最もあつい小説本で、本の厚さは5cmで中の活字が細かく1ページ2段書きだから活字密度は高いので、今思うとよく読みきったものだと我ながら感心した。

先日ある異業種勉強会の35周年記念誌にエッセイ『古本が結ぶ不思議な縁』を寄稿したが、実はこの本も古本が結んだ縁で読み始めたのである。今年3月に神保町で古本『梅と雪(水戸の天狗党)』(杉田幸三著)を購入し読み始めたが、天狗党が常陸国・那珂湊から京都に向けて行進中、信濃国・諏訪に出てきて、三州街道を天竜川に沿って南に下り飯田から馬籠に向かう。この辺は小説『夜明け前』に詳しいと書かれていたので、早速インターネットで検索して、中央公論社の日本の文学『夜明け前』の古本をゲットした。(写真参照)

いざ本を手にして、その厚さ、活字の細かさには尻込みさせられたが、読み始めるとこれが面白い。ストーリーは馬籠宿の「本陣」である青山家の3代に渡って書かれているが、1代目は江戸時代の中期、参勤交代が盛んに行われていた時代の名誉ある本陣職であったが、2代目になると江戸末期、幕府の勢力も弱体化する中、参勤交代の形骸化が進み、黒船来襲と海外からの圧力も加わり、遂には3代目の時、明治維新により本陣の廃止となりお家が滅亡してゆく姿を描いている。あの山奥の馬籠宿でも、京都やそして江戸でのニュースが結構早いスピードで入り込み、この物語の中心人物2代目である青山半蔵の青春時代、江戸や京都に度々出掛けては情報を収集していた姿に感心させられた。この小説を読み上げて、何か今現在日本が直面している「先の見えない日本」に居る自分には、明治維新の中で平田篤胤の国学門下に走った半蔵の気持ちがよく分かるのだ。