2014年8月31日日曜日

ルポ『貧困大国アメリカ』を読んで

久々に面白い本を読んだので紹介したい。本名はルポ『貧困大国アメリカ』(岩波新書 760円+税)で、2008年に発刊されベストセラー本と言われていたので、すでに読まれた方も居られるでしょう。著者“堤未果”氏は東京生まれ、ニューヨーク市立大学でマスターを取得、米国野村証券に勤務中、9・11同時多発テロを隣のビルで直視したという美女だからこれも興味を引く。
目次を見ただけでも読みたくなってしまう。それではその目次に沿ってその内容骨子を紹介してみよう。如何にアメリカが精神的、健康的に病んだ「後進国」になり下がっているか、その姿に気づかされよう。
第1章:『貧困が生み出す肥満国民』
ニューヨーク州の公立小学校に通う生徒の半分が肥満だそうだ。原因は学校給食がファーストフード的内容で高カロリーのメニューとなっており、更に貧困児童の夕食はこれまたファーストフードやジャンクフードで揚げ物が中心になる。そして多くの家が「食料配給切符(食料交換クーポン)」に頼っているそうだ。
第2章:『民営化による国内難民と自由化による経済難民』
1979年、ジミーカーター大統領によって作られた「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」が、ブッシュ政権時代に「自由競争」という言葉とともに“民営化”に走ってしまったという。FEMAの主要任務はいかに災害の被害を縮小し多くの人命を救うかという事だったのに、民営化により如何に災害対策業務をライバル業者より安く行う事ができるかを証明する事に代わってしまったと言う。2005年8月ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの際もFEMAの出動が大幅に遅れ洪水による巨大被害を発生させたが、これも民営化により救助対応が遅れた為に引き起こした問題で「人災」であると指摘している。
第3章:『一度の病気で貧困層に転落する人々』
80年代以降、“新自由主義”の流れが主流になり、大企業の負担する保険料を下げる為にアメリカは公的医療を縮小し、「自己責任」という言葉の下に医療費の自己負担率を拡大させて行った。結果は一度病気してしまうと個人破綻してしまう人が急増し続けている。
第4章:『出口をふさがれる若者たち』
2002年ブッシュ政権時代、「教育改革法(落ちこぼれゼロ法)」を打ち出したが、結果的には学力優秀だが貧困学生を選び出し、大学費用負担と職業訓練も可能と勧誘条件を出して軍隊に入れさせる“裏口徴兵政策”が幅を効かしている。
第5章:『世界中のワーキングプアが支える民営化された戦争』
アメリカは「市場原理」の導入により中間層は消滅し、貧困層は「勝ち組」の利益を拡大するシステムの中に組み込まれた。グローバル市場において、最も効率よく利益を生み出すものの中に「貧困ビジネス」があるが、その国家的レベルが「戦争」であると指摘する。現在イラク、アフガニスタンなど中近東の戦場で戦っているアメリカ軍兵士は貧困高卒生に加え、フィリピン人やメキシコからの不法入国者が民間戦争請負会社で採用され、生活保証という“甘い言葉”につらされて戦場に駆出されているのだと指摘している。
最後の「コラム欄」では“民営化はテロ行為より怖い。それは民営化の恐ろしさは責任の所在が明確でないことにある”と述べている。

何か、アメリカの体たらく状態が、日本にもしっかりと伝染して来ているようで不安である。そして現日本政府は「戦争」という「貧困ビジネス」を取り込もうと、その準備に入っているよにも感じてしまうのは私だけだろうか。

2014年7月31日木曜日

地元町会での講話

7月27日、我が町会が地元の集会場で私の講話を聴いて頂く機会を作ってくださったのです。この日は真夏の日曜日、それも最も気温が上がる午後2時からの開演にも拘らず多くの方々に集まって頂きました。
日本の政治や経済の混迷で国民が自信喪失の状態にあり、気狂い的暑さでグッタリしている時に気分がスッキルする話をということで『日本復活私論』のお話をさせて頂きました。それも1時間ほどで[Part1]と[Part2]の総括編をと言う事で、4時間ほどの内容を1時間でという難題に挑戦しました。
また聴講者が町会の皆様ということで20歳代から80歳代までの幅広い年齢層なので話の纏め方も難しい。あまり難しい話にしてしまっては、皆さんが居眠りを始めてしまうだろう。そこで私はふんだんに話の途中で「動画」を入れる構成にしてみたのです。3・11関係で2本、昨今の新しい教育の動きに関して2本、そしてこれからの日本の姿の例としてNHK番組の一部『里山資本主義』、また日本的生活の回想として小津安二郎監督の映画『東京物語』の一場面を使いました。と言う事は6本の動画をスピーチの合間に組み込んだのです。 参加頂いた人数は23名で、結果的におしゃべりと放映で1時間半になってしまいましたが、お陰さまで眠り込んだ人は皆無だったようです。
おしゃべりの中身は「何故に日本は立ち直れるのか?」という点に重点を置きました。立ち直る理由として、①これからは地球と共生が大事で日本人はそもそも「森の民」だから得意である。②これからは軍事力や経済力などの「ハードパワー」より「ソフトパワー」が大事で、それを日本人はしっかりと持ち合わせている。③社会の仕組みがこれから益々「中央集権型」から「権限分散型」が主流になる。④これまでの「マネー資本主義」から木材、休耕地などが見直され、里山に価値を見出す「里山資本主義」が到来する。⑤日本の教育が新しい方向に向きつつある。などなどの変化が重なり合って世界の人々が日本を真似する時代がやがて来る、という私論の説明に力を注ぎました。
「今日のお話は目の回るようなスピートだったが、面白かった」との皆さんからの感想を聞き、すこしは鬱積した鬱憤が晴れたのではと、嬉しく思いました。この講話の間中、外から雷の音が激しく聞こえていたが、この集いが終わる4時半には雨は止み空はカラリと晴れ上がっておりました。


2014年7月20日日曜日

夏の朝の三四郎池

7月12日(土)大型台風が関東を通過すると大騒ぎした翌日、静かな朝がやって来た。窓の外には雲ひとつ無い真っ青な空が広がっていた。じっとしてはもったいないとベッドから飛び起きて朝の散歩に出掛けた。徒歩で5分も歩けば東大・正門前に行き着く。昨日の台風通過のせいか朝の空気はまだ冷やっこくて気持ちいい。安田講堂前にある大きな樫の木がきれいに剪定されていた。さっぱりして気持ちよさそうだ。安田講堂は長い年月の汚れを取っているらしくビニールで覆われていて珍しい姿だ。私の朝の散歩のお決まりのコースのひとつである「三四郎池の1周」は、自宅を出発して池をぐるっと回って30~40分コースである。今日は左周りで行くことにした。その1周の行程をフォトストリー化したので、ご覧頂きたい。BGMは松居啓子さんの「Hidamari no Ki」を使わせてもらった。

2014年6月28日土曜日

ナイスなホリデイでした!

NPO法人【楽しいひととき出前どころ】(以下THDD)が6月21日(土)、二子玉川にある「松本記念音楽迎賓館」にてすばらしいひと時をアレンジされましたので報告致します。
<松本記念音楽迎賓館の庭園>
THDDとは、芸を持った人々が集まりその芸を人様に見て頂いて楽しんで頂くことを目的としたNPO集団で、つまりは、養護や介護の施設、更には会社や町会、商店会などが催すイベントの際にTHDDに要請を出せば芸人を「出前」してくれる集団なのです。(HP: http://www.hitotoki@sactown.jp)

この集団の発起人であるマジシャンの室尾理事長のご尽力により、年々会員数も増え続け、この7月に創立5年目を迎えますが、会員数(芸人)が30名、応援団が20名ほどの規模に急成長しているのです。これまでに2回の「チャリティ公演」が開催され、その中間の年に「懇親会」が開催されて来ておりまして、今回の【ナイス・ホリデイ】と銘打ったイベントは「第2回懇親会」に当たります。この企画は3部構成になっていて、第1部が松本音楽記念館の美しい庭園の自由散策、第2部が田村真穂さんのピアノ演奏、佐野涼子さんのジャズ、そしてサプライズは佐野さんのお嬢ちゃんのヒップホップダンス、そのダンスの余りの迫力に高齢者の方々はポカン!その会場は天井・壁面が杉材で作られており、音響を考慮して設計された空間でじっくりと芸の極致を堪能いたしました。
それから皆さんは和室の会場に移動して藤間信子さんのしっとりとした日本舞踊を満喫しました。第3部は、きれいな庭園を前にしたゲストホールでの立食パーティとなり、皆さんワイワイと話しに、お料理に、そしてビール、ワイン、甕麦焼酎と、何から何まで本当に興奮のひと時でありました。
今日の参加者は総勢60名強にも及び、最初から最後まで熱気がムンムンとする中での本当に“ナイスなホリデイ”でした。 THDDへは、メール hitotoki@mbn.nifty.com  へどうぞ!
<全員の集合写真>

2014年6月3日火曜日

徳川家康と塩の道

<隅田川からスカイツリー>
5月24日()、NPO「江戸連」の5月講「小名木川遊覧」に参加した。まだ5月だと言うのに真夏を思わせるような強烈な太陽光線が干しあがったアスファルトを更に焼き付けていた。集合場所は何と日本橋の袂で、こんな所に船着場が有るのを初めて知った。
日本橋をすっぽり覆うように走る首都高が日本橋川を薄暗くしている。こんなに太陽光が強烈な日には首都高が日傘のような役をしてくれて好都合だが、最近では景観を乱しているとして評判が悪い。
<真っ直ぐの小名木川>
<広重【中川口】>
いよいよ艀のような船は我々を乗せて隅田川に向けて走りだした。すぐに首都高は北の箱崎方面に向かって日本橋川から離れ、笠がなくなった船上で我々はあの強烈な太陽光に晒され続けた。隅田川に出ると暫く川上に向かい清洲橋を過ぎてすぐの芭蕉庵跡庭園の角から右手の人工運河「小名木川」に入った。この水路は徳川家康が、幕府直轄地とした「行徳」の塩を江戸へ輸送するために開削を命じたもので、1590年ころ小名木四郎兵衛によって隅田川から東に旧中川へ一直線に凡そ9kmを開削した。旧中川はすぐに荒川に合流し、その対岸から更に東に運河「新川」が作られ行徳の塩田が拡がる旧江戸川まで開削され、1629年遂に江戸川~江戸間(全15km)の水路が完成した。つまり小名木川は、行徳の塩を江戸に運んだ水路「塩の道」だったのである。小名木川が旧中川に出る附近は荒川そして新川が交差していて四方に行き交う船で賑わっていたらしい。その光景を歌川広重は「江戸名所百景」の中で【中川口】として描いている。
<「おこよ」の松とその説明版>
「家康」と「塩の道」の関係で私は全く別のことを思い出していた。そう,あれは今から9年前の2005年、私が静岡県・相良町から新潟県・糸魚川までの350km一人行脚をスタートした三日目の出来事だった。静岡県・森町から秋葉大社に向かって「秋葉街道」を三倉川に沿って北進していると、道脇に横に腕を伸ばしたような形をした松に出会った。その手前の説明版によれば、
<広重【掛川・秋葉道】>
『1574年 家康が武田方の天野氏の【犬居城】攻めの折に天候急変の災いで軍を撤収する途中、天野軍の反撃を受けて徳川方は思わぬ惨敗を喫してしまう。その時、この土地の嫁であった「おこよ」が現われ徳川方武士を山道案内して逃がしてやった。しかしその事を知った天野軍は「おこよ」を厳しく折檻し、「おこよ」はそれに耐えられずに命を絶ってしまった。土地の人々はこの「おこよ」の死を悼み、そこを「嫁田」と呼び弁天様を祀り、その脇の松を「おこよの松」と呼んでいる』と書かれていた。
何とこれも「家康」と「塩の道」が関連した話である。もし家康がこの山奥で「おこよ」に会わなかったら日本の歴史は大きく変わっていたのかも知れない。
そしてこの「おこよの松」の側を流れる三倉川はくねくねと曲がっており大雨が降ると橋がしばしば流されて秋葉街道を行く旅人が川中を歩かねばならない不便さが有ったという。広重は「五十三次名所図会」で【掛川・秋葉道】として往生している旅人の姿を描いている。この絵のバックに聳え立つ山が「秋葉山」である。

「家康」と「塩の道」が関係した2つのお話に「広重」の浮世絵の絡みは如何なもんでございましたでしょうか。
<左の隅田川から真横に真っ直ぐ旧中川まで走る「小名木川」>

2014年5月24日土曜日

司馬遼太郎の【十六の話】にめぐり合って       (「古本」が結ぶ不思議な縁 その2)

実は4月28日、神保町に出て「古本」を6冊1000円で買ってきた中に司馬遼太郎著
【十六の話】(中央公論社)があり、その初っ端のお話が「文学から見た日本歴史」で、それを読んでビックリしたのです。私は格安で買ってくる「古本」で不思議なご縁にめぐり会えるので、そんな話を2011年にある勉強会の記念誌に題名『古本が結ぶ不思議な縁』のエッセイを出稿したのですが、今回も余りにも偶然な巡り会わせに驚き“「古本」が結ぶ不思議な縁 その2”と副題をつけました。
今年(2014年)5月に私は【日本復活私論 PartII】というエッセイを書き上げました。その中の最後の=あとがき=で、昨年大晦日の東京新聞・社説からの次の様な一文を使わせて貰っています。
「日本人と言えば作家の司馬遼太郎さんが1991年、文化功労者に選ばれた時の会見で、『どうして日本人はこんなにばかになったんだろう。昔はちがったろう。ここから僕の小説を書くことが始まった』と言いました。彼によれば江戸時代の武士道からきたストイシズム、江戸の商人たちが到達した合理主義、その二つが明治で合体し、よき明治人を書く事で、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と彼は諭そうとしたのでした。」

ところが司馬遼太郎は1987年3月英国ケンブリッジで開催された「英国日本学研究会」における特別講演に於いてこのような事をすでにスピーチしていたことがこの古本から分かったのです。それではケンブリッジで彼がどのように言ったか、その一部を書き出してみます。
「戦い(太平洋戦争)が終わったとき、当時二十二歳だった私は『なぜこんなにバカなことをする国に生まれたのだろう』と思いました。さらに、こうも思ったのです。『むかしは、例えば明治時代は、あるいは江戸時代は、さらにそれ以前は、こんなバカなことをする国ではなかったに違いない。』そのことを検証することに、半生をついやしました。というわけで、私の原点は1945年にあります。従って作家としての私は、“人間とは何か”を追求するより“日本人とは何か”ということを考えつづけることで、三十年をついやしました。」

私も3・11『東日本大震災』の後、“日本人とは?”を考えさせられ、私なりの自論を書き上げたのが【日本復活私論I そして II】であります。そして私の私論も1945年が起点となっているのです。つまりその年を境に日本人は敗戦コンプレックスからか、欧米文明の真似師に代わってしまい現在に至っているので、(司馬遼太郎氏も言うように)本来の日本人に戻れば必ず日本は復活する、というのが私の考えなのです。

そうそう、最後に6冊1000円で買った古本の他の5冊を書き出しておこう。この5冊からまた不思議なご縁が生まれるかも知れないから。
『漱石の白くない白百合』塚田裕一著(文藝春秋)
『江戸の想像力』田中優子著(筑摩書房)
『大江戸ゴミ戦争』杉本苑子著(文藝春秋)
『世論の嘘 新聞の偽善』永田照海著(新潮社)
『新日本人事情』深田祐介著(講談社)

2014年5月7日水曜日

5月5日 午前5時 震度5の地震が東京を襲う

2014年5月5日 午前5時(18分)震度5(弱)が東京の丸の内を襲った。震源地は伊豆大島近海で深さ160kmという。しかし震源が伊豆沖なのに何ゆえ東京より震源に近い伊豆半島で震度3なのだろうか。ネットで調べたところ、今回の地震は太平洋プレートがフィリピン海プレートの下に流れ込んでいる所の太平洋プレート上に震源があったという。そして東京は太平洋プレートの真上にあり、静岡県・伊豆半島はフィリピン海プレート上に位置しているため、東京側で強い地震になったと言う。(左図)
今回の地震でいくつかの不吉な現象に思い当たる。昨年末「西之島」付近で海底火山爆発、噴火は島を作り、あれよあれよと言う間に西之島とくっついて大きな「新島」となってしまった。小笠原諸島で何かが起きているのだろうか? (右写真)
不吉なその2は最近になって日本海、瀬戸内海、太平洋の海岸に深海に住む「ダイオウイカ」が不思議にもチョクチョク打ち上げられている。海底で何かが起きているのではないか?
そしてもう一つ。54日(地震の1日前)に孫を連れて近所の公園へ遊びに出た。そこで見た巨大なる「虹」。それも普通は弧を描く虹が、どう言う訳か直線形だったのだ。こんな虹は初めて見た。しかし「地震の前には虹が出る」という話を聞いた事がある。本当にそれを体験したのだろうか。
我家でのこの地震による被害は、ピアノの上に飾っていた「鎧兜」が落下、一部破損しただけで済んだ。その破損箇所を何とかボンドで修復して「もう地震は暫く来ないだろう」と勝手に信じ込んでまた同じようにピアノの上に飾っている。
この地震は【55日、午前5時 震度5】であるから【5555】になる。一般にはこの5の並びを【エンジェル・ナンバー】と言って「ポジティブな大きな変化」を意味するという。本当にそうであってほしい。決して「ネガティブな大きな変化」であって欲しくない。(上記の図、写真はインタネットから拝借させて頂きました。)