来年の正月は南紀白浜で迎えます。私たち夫婦が正月を外で迎えるのは人生で2回目になります。1回目は今から20年前の1995年の正月をオーストラリア・ゴールドコーストで迎えました。シンガポールの駐在生活が終わり帰国の前にと企画したものでした。この時の主目的は家族でゴルフをプレイする事で、ブリスベンで2回、ゴールドコーストで1回プレーが出来ました。
今回はワイフが年末のおせち料理造りや正月の接客から解放されるようにアレンジしたものですが、元旦と2日の2回、ゴルフを楽しんで来ます。
大晦日の朝6時に家を車で出発、南紀白浜までおよそ8〜9時間のドライブです。殆どが高速道路なので助かりますが、お昼は2時間ほど奈良市内で観光を楽しむ予定です。
それでは、皆様 良いお年をお迎えください。
2014年12月30日火曜日
2014年12月21日日曜日
アベノミクスで悩む安倍さん?
今回の衆議院選挙において自公で326議席を確保、国民は「アベノミクス」を一応評価し後半戦に期待するという結果が出た。
ところで「アベノミクス 3本の矢」はそれなりに射られて来たのであろうか?
甚だ疑問である。「金融緩和」策はそもそも間違っていた。ジャブジャブお金を市場に投入しても国民の生活に一向に日が射さない。
2本目の矢「経済政策」はマイナス成長、そして3本目の「成長戦略」に至っては、日本がこの先どこを目指して行くか見えないままで、メチャクチャな現状である。
実は安倍さんご本人も、もはや3本の目標達成が無理と分かり始め(これがまともな判断なのだが)「アベ・ノミクス」なんて自分の名がついてしまって、方向転換もはかれずに、只まっしぐらこの道を走らなければならず、と実は悩んでいるかも知れない。
そもそもお金は汗を流した結果に付いてくる物で、人間とは自分の身の丈にあった分だけ有れば一番幸せに暮らせるのだ。為替や株や証券を数秒間で売り買いをして、汗もかかずに金を稼ぐ「金融空間」はごまかしの世界。これが格差社会を益々大きくしているのだ。
この辺を語り始めると、ブログでの行数では無理である。そこでまた近い内に悲憤慷慨をエッセイにして「ふざける菜古漬け」とでも題名を付けて第3弾を書いてみたい。
ところで私をそんな気持ちにさせた面白い本に巡り会った。それは水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)である。彼は言う:「日本は世界に先駆け、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ(定常状態=ゼロ成長時代)という資本主義の完成域に達しており、これまでの成長至上主義から脱却し、つまり【より速く、より遠くへ、より合理的に】の考えから【よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に】と転じなければならい」と指摘している。小生の【日本復活私論】に近似な考えに心強く思った。是非一読をお薦めする。
2014年12月7日日曜日
【投扇興】で「えい! やぁ〜〜」
12月5日 NPO法人『江戸連』の師走講と忘年会が堀切菖蒲園内の「静観亭」で開催された。何と開演が午後1時から宴会終了までが7時間という長丁場なのである。そしてその内容が盛りだくさんなのだ。第1部が「投扇興」そして第2部が落語2題、第3部が大道芸の大御所・光田憲雄氏による講演と実演である。そしてその後、その会場が8時まで「忘年会」会場に早変わり。ところがこのまま終わらずに、この日の司会・進行をやってくれた幹事を誘って「ご苦労さん会」を駅前で10時まで。ところがまだ続きが有って、同じ方向に帰る友が「腹が減ったのでそこの寿司屋で食べて帰ろう」となり巣鴨駅前でまたまた一献となる。家に帰ったのが11時30分。何と長い1日で有った事か。
しかし一晩明けたら、友人が「投扇興のいい写真が出来たよ」とメール送信してくれた。余りの素晴らしい瞬間なのでブログに載せてもらいました。
2014年11月30日日曜日
『いきいきシニアの作品展』始まる
今年も文京シビックセンター1階のサロンにて『いきいきシニア作品展』が11月29日〜12月1日開催されています。今回はゴッホ作品『アイリス』の模写を出展しました。私はゴッホの作品が大好きで、特に彼の黄色系の使い方がたまらなく好きなのです。この模写は今から16年前の1998年5月に描いた私の油絵作品の6作品目なのですが、なんとも黄色の色出しがうまく出来たと思っている自慢の作品なのです。
ゴッホの生涯はたった37年間なのですが、28歳ころから油絵を描きはじめたのですから、画家としての活動はわずか9年間しか無いのですが、あれだけの印象的な油絵を残しているのです。最も黄色を生かした作品「花瓶の中の12本のひまわり」、「収穫の景観」、「夜のカフェテラス」、そしてゴーギャンと一緒に住もうとアルルに借りた家「黄色い家」や「沈む太陽と種まく人」などはアルル時代(1888〜1889)に描かれました。
ゴーギャンに振られたゴッホは心傷つき、幻覚に悩まされる精神異常を来たし自分の耳を切り落とす事件を起こします。その後パリから30km離れたオーベルに移り、「アイリス」や「オーベルの教会」など沢山の作品を描きあげますが、最後の作品は黄色が強烈な「カラスのいる小麦畑」を残して、1890年7月ピストル自殺してこの世を去りました。何とも壮絶な人生であったように思います。
2014年11月22日土曜日
早稲田大学・異業種勉強会にて講演
11月13日(木)早稲田大学国際会議場・共同研究7号室にて【日本復活私論】というテーマでお話させて頂きました。このお話の詳細は別途レポートに纏めようと考えていますが、ここではその骨子と小生の講演中の雰囲気をお伝えしましょう。
さてその「本当の日本人文化」とは、『外の文化から良い所を取り入れて、日本人用(Dタイプ用)に加工する文化。そっくりそのまま真似るのは日本人の文化ではないのです』というもの。
そしてこの会では最後に次の3つの宿題が出された。
(1)自分の国「日本」をどう守るのか? (それとも誰かに守ってもらうのか。これをしっかり考えてから次に「日本国憲法」をどうするか考えるのだ。)
(3)マスメディア系はこのままでよいのか?
(例えばTVでの低次元番組の氾濫の中で、家庭で子供への教育は大丈夫か?)
しかし私のお話は、「日本は大丈夫。ちゃんと復活するのですよ」という講話なのです。「どうして? どうやって? いつごろ?」と疑問を抱かれる方、詳細なる別途レポートをお楽しみに。
2014年11月3日月曜日
紅葉の「恐山」と「十和田湖・奥入瀬」を訪ねて
<恐山と紅葉> |
<八甲田山> |
地元商店会『金曜会』の2年に一度の「豪華絢爛の旅」は、10月25~26日の週末、空路にて紅葉の東北青森の「恐山」へ、そしてその夜は「浅虫温泉」では最高のホテルと言われる「南部屋・海扇閣」にて泊、翌日は「八甲田山」から「奥入瀬渓流」を通り「十和田湖」へ。更に東北自動車道に出てまたまた北上、りんごの産地「浪岡」を経由して青森市外の「三内丸山遺跡」へ。そこから青森空港に出てご帰還というダイナミックな「秋の旅」を満喫して参りました。「霊場恐山」は今から1200年前、慈覚大師“円仁(えんにん)”によって開かれたという。そして「三内丸山遺跡」となると、今から5500年前の「縄文時代」の遺跡だそうで、すでに江戸時代から有名な遺跡だったそうです。本州の最北端にそんなに昔から「大文化」が栄えていたとは驚きでした。そして本州北端の青森「食文化」も凄いのです。陸奥湾のホタテ、大間のマグロ、そして地酒の「田酒」や「古城錦」、果物では浪岡の青森りんご「ふじ」。更に目の保養には何と言っても「奥入瀬渓流」の紅葉でしょう。兎に角この1泊2日の旅は、腹一杯、目一杯に楽ませて頂きました。
<奥入瀬渓流> |
2014年10月5日日曜日
また楽しい【祭り】がやって来た!
地元 本郷田町のお祭りがやって来た。今年は9月27日(土)と28日(日)の2日とも秋晴に恵まれ祭り日和だった。私ども老人会は例年通りに神酒所係を引き受け、皆さんからの「奉納」を受け取りその会計管理と、奉納内容を掲示板に貼り出すのが主なお役目である。今年もお陰さまで昨年より奉納金はちょいとプラスでお酒や飲み物の奉納は昨年より増えたようだ。こんなご時世なのにありがたい事である。
ところで「吉原狐舞ひ」とは、江戸時代、吉原の遊女たちは「狐」と呼ばれ、廓(くるわ)の四隅と大門の外には、計五つの稲荷神社があり、遊女たちの信仰を受けていたそうで、そんな吉原で生まれた芸能が「吉原の狐舞ひ」だそうだ。大晦日の夜、吉原では獅子舞ではなく狐舞が行われ、お囃子衆を従え美しく着飾った白面の狐は、新年を祝いながら町中を練り歩いたと伝えられる。その吉原狐も、遊郭の終焉とともに姿を消すことになったそうで、それから月日は経ち、この廃れたままの「吉原の狐舞ひ」をもう一度掘り起こし、吉原の町をより発展させようという想いを持って、2009年(平成21年)に、吉原狐として活動を復活させたそうだ。(「吉原狐舞ひ」のHPより)
ここ本郷田町でのお祭りは、年の祭りの最終タイミングになるらしく、あちこちから神輿の担ぎ手が「担ぎ納め」ということで集まって来るので、それはそれは迫力のある、見事なお祭りとなり、地元の私たちも大いに誇りに思っている。
登録:
投稿 (Atom)