2012年6月25日月曜日

芋ほりと野菜採り



日本の食自給率が40%という低率である。我々日本人は、日本の外で作られたものを食べさせて頂いていると言うことは、「食の安全」という観点から見れば「非常に危険な状態」と言えまいか。
先日親戚T氏から「今度の週末、芋ほりに来ませんか」と誘われた。早速「はい! 参ります!よろしくお願いします」と即断即決で参加を表明した。この日曜日、津久井湖の近くに在る畑をワイフと一緒に訪れた。軍手をはいて盛り上がった土と戯れ、ジャガイモを穿り出す。生き物と直接触れ合う興奮。ず~っとしゃがみ込む姿勢はすぐに腰当たりに違和感を感ずるのだが、それはコンクリート・ジャングルに派生する【都会性時代病症候群】の現われだと思うと恥ずかしくなって来る。
T氏ご夫妻は沢山の成果物を採り、自宅に帰ってから近所の人々に分けてあげるという。これからどんな危機が襲って来ようとも、この食自給率の高いT氏家族は安全なのであろう。都会に住む私はこのT氏がとても大事な人であると再確認した一日であった。
ちなみにこの日家に持ち帰った成果物は、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、大根、ふき、キャベツ、白菜、カブ、ソラマメ、エンドウ豆、バジル、キュウリ、春菊、しその葉、サンセス、レタスの16種に及んだのである。ただ今我家の板の間では、ビニールが敷かれ其の上に新聞紙を広げ、表面の湿気を取ってやる為にジャガイモ、玉ねぎ、ニンジン、カブたちが、一面に広がっている。

2012年5月25日金曜日

『日本復活私論』と神田昌典著『2022-これから10年、活躍できる人の条件』


3・11「東日本大震災」の直後から書いたエッセイが『日本復活私論』です。バブル崩壊の後、日本はデフレスパイラルから脱し切れずに、やれ政治が悪い、教育が悪い、外交が出来る者がいない、マスメディアが腐敗している、などなど人に悪いのを託けて欲望のなすがままに突っ走ってきた我ら日本人が3・11で巨大なるお灸をすえられたのです。しかしその断末魔の中、被災地の方々の行動を観て何かを感じたのです。そして其のころ偶然にもインターネット上で見つけた「日本人は全く独自のルーツを持つ民族」という記事に触れてピンと来たのです。それは今や資本主義先導の地球が崩壊寸前の危機に有るのを救うのは我ら『日本人』であると瞬間にひらめき、それが『日本復活私論』になったのです。(この内容はHP上の<エッセイ>欄に掲載してあります)

ところが、3・11から暫く経って、日本のマーケッターとして活躍中の神田昌典氏がダイヤモンド社のビジネス情報サイト『オンライン』でインタビューを受けた記事に遭遇しました。掲載日は2011年4月4日ですから東日本大震災からわずか3週間後です。その時に彼は「3・11により価値観が一変しました。従い日本人が正しい振る舞いを見せた時、我々のあり方が世界中の経済活動の模範とされていくに違いない。奇蹟の復興の10年となる」と主張していました。小生の『日本復活私論』と同一の“超予測”を言っているではありませんか。それも「東日本大震災」の後のほぼ同じ時期に。

彼はその後構想を纏め上げ、今年2月にPHP社から『2022-これから10年、活躍できる人の条件』という新書を発刊しました。これがただ今各書店で平積みのベストセラーだそうです。ご興味あれば是非一読をお薦めします。
さて小生は、この『日本復活私論』に関して、この度NPO法人『生まれ育ちとこころを学ぶサンの会』から6月23日()にスピーチする機会を頂きました。詳細は次のURLをクリックしてご覧下さい。

2012年4月29日日曜日

春のチューリップ散歩


4月21日、【オランダ友好協会】が主催したイベントに参加し立川の『国営昭和記念公園』のチューリップ鑑賞に出かけました。それはそれはスケールのバカでかいオランダ風庭園にビッシリと色とりどりのチューリップが咲き誇っておりました。チューリップにはこんなにも種類が多いのかと驚かされました。
この公園の企画に携わった方による丁寧な庭園の案内があり、このチューリップ畑の制作には毎年オランダからそのプロを呼び花壇設計をしてもらっているそうで、毎年花壇のレイアウトが違うそうです。
私はその目の覚めるような彩に驚嘆し、フォトストーリーを制作してみました。下の【ユーチューブ】をご覧下さい。


2012年4月6日金曜日

今日が満開だ!飛び出せ!

4月6日の金曜日。我家の前に大きな桜の木があるが、今朝一瞬にして八部咲き状態。明日から週末になり人の出が激しかろうとワイフと家を飛び出した。目的地は上野の不忍池と上野のお山。途中東京大学の敷地内を横切るのだが、東大病院前の桜の木々の下にはすでに今夕の為の予約席が青ビニールで占められていた。ここは桜見物客が少ない穴場なのだ。(左写真)
不忍池の周りには、金曜日の昼間なのにビックリする人の群。外国人が多いのにも驚かされる。よしよし観光立国「日本」が浸透してきていると言うことか。昨年は3・11で今ひとつお目出度い気持ちになれなかったが、今年は2年分の花見のためか、上野のお山の席予約のシートが例年よりビッシリ埋め尽くしているのは気の せいか。
今夜は花冷えらしい。そして満月らしいが曇り空で月は顔を出しそうに無い。数日前の「春の嵐」からは信じられないような、一瞬にして満開を迎えた桜をいの一番に満喫することが出来た。きっと明日からの週末、足の踏み場も無いような人出となるのだろう。

2012年4月2日月曜日

第9回「文京を歩くかい」実施される

3月24日(土)「文京を歩くかい」の番外編として【春の高尾山と高幡不動尊】と銘打って山登りが企画されたのです。目的は今年は辰年であり辰は神様からのお使いだそうで、縁起のいい年にしようと、春が来たら少しでも神様に近づいてみようと企画した訳です。
しかし実施日の2日前から雨が降り続き24日の天気予報も昼まで雨が残るという最悪の状況だったのです。「中止」にしようと覚悟はしていたのですが、何と金曜日の夕方になると天気予報が少し好転し「昼にはお日様のマーク」が出ていたので「実行」と決定したのです。
こんな天候にも関わらず、参加者は8名(1名は途中参加)。朝10時の「高尾山登山口」駅前では肌寒く春が程遠く感じられました。それでも皆さん元気に出発。登山ルートはいくつかあるルートの内で最も楽なコース【稲荷山コース】でしたが、渓流に沿った登山道は変化に富んでいて飽きの来ない楽しいコースでした。(一番上の写真)
高尾山頂上で楽しい昼食。ビールと日本酒を体に入れると少し体がポカポカして来ました。(二番目の写真)

下山は1号路を「薬王寺」経由で予定通り14:30に京王線「高尾登山口」駅に着いて、高幡不動駅まで行こうと乗車したのですが、ここでハプニングが起こります。電車が発車時間を過ぎても動かないのです。すると「先ほど京王片倉駅付近で人身事故が起こり電車は1時間後に発車予定です」とのアナウンス。高幡不動には途中から参加の友人が待っていますので慌てます。そこで「高尾山登山口」駅から隣の「高尾」駅まで出ればJRが走っていると判断し、その区間を歩いて行くことにしたのです。(上の写真)
その頃は天気予報通りに空は青空が顔を出し太陽光線がギラギラ照り付けて、今度は汗ビッショリです。何ともとんでもない付録でした。
高幡不動尊には予定より30分遅れで到着、途中参加の友人と合流して記念写真をパチリ。(下の写真)
さてお次は、この会の最大の楽しみである【懇親会】を高幡不動駅前にて明るい内から「乾杯!」でスタート。散会は案の定20:00でございました。皆さんほろ酔い気分でのご帰宅でした。ご苦労様でした。(歩行総合距離:14km)

2012年3月8日木曜日

小石川【傳通院】には山門が無かった?

そういえば【傳通院】には山門が無かったのだ。桜の季節には両サイドの桜の巨木の枝が垂れ下がりあたかも門の様に思わせたのかも知れない。またインターネットで夏の【朝顔・ほおずき市】の記事を見たが(上の写真はインターネットから借用)、入り口に大きく「朝顔・ほおずき市」と書かれた幕が門のように張られているが、両サイドに壁は見えるが確かに山門は無い。私は門が有るものと錯覚していた事になる。
傳通院は徳川家康が生母「於大の方」の菩提寺に定められ、その法名から「傳通院」と呼ばれ、その後徳川千姫や三代将軍・家光の正室孝子など将軍側室や子女の墓所が多く建立されるなど徳川家の庇護を受け、増上寺、上野寛永寺と並び「江戸三霊山」と言われた。
山門は江戸時代に2回、明治43年と三度の大火に遭遇、更に昭和20年の戦火で本堂を含めすべてが灰燼に帰したそうだ。三度目の大火に「永井荷風」が遭遇したそうだが、彼の著作『伝通院』の中で 「何という不思議な縁であろう。本堂はその日の夜、追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になってしました」と書いている。
(参考:傳通院HP)
法然上人八百年御忌、開創六百年奉賛を期して、2012年新しく「山門」が完成し、3月4日【山門落慶奉告法要】が執り行われた。
その模様は下記のユーチューブでご覧下さい。

2012年3月1日木曜日

原発ゼロが正論! 「停電」を恐れず!

原発再稼動か、原発廃止か、の論争が繰り広げられていますが、政治家の皆さん、そしてメディアの皆さん、そして原発機器のメーカーさん、更には一般大衆である私達一人ひとり、原発は今すぐに止める方向でそれぞれが対策を打ってゆくべきなのです。どっちがいいか、なんて議論をする問題では無いのです。この地震国【日本】にすんなりと海岸線上に作ってしまった原発を、それもこれから更に地震活動が活発化すると言われる時代に入っており、地震と津波はつき物なのだから、これからはどのようにしてこの危険装置(原発)を捨てるかという事(廃炉)に頭を絞ってゆくべきなのです。

今朝の新聞に、福島原発30km以内の市町村の首長の57%が条件付で再稼動に賛成という記事が載っていましたが、首長たる者はそんないい加減なこといわずに「反対」という姿勢をしっかりと主張すべきなのです。その「条件付」とは“【安全】が確保されれば”と言うことなのでしょうが、残念ながら100%の安全な装置など世の中にはあり得ないのですから。

【原子力発電】とは原理的には広島・長崎でアメリカが落とした【原子爆弾】と同じように「ウラン原子」の【核分裂】による膨大な破壊力(猛烈なエネルギー)を分厚い鉄で覆われた炉の中で発生させて、そのエネルギーで水を蒸気に替え、その蒸気でタービンを回し電気を起こすという原理そのものは単純な変換なのですが、恐ろしいことに【核分裂】は生き物の敵【放射能】を発生させるのです。この放射能を撒き散らさない為にその管理の為の複雑なシステムが必要になってきます。人間に例えると中央管理器官である【脳】から神経が全身に渡って広がり複雑なシステムを組んでいますが、交通事故とか病気などでその神経線に異常を来たすと、半身不随とか各種機能不全で苦しんでおられる方が沢山おれらますが、複雑なシステムを持つということは、それだけリスキーなのです。

原発はもう止めろ」と言うと、すぐに反論は「それじゃぁ、今使っている電気が足りなくなって、工場も止まり、コンピュータもおかしくなり、国民生活もおかしくなり、結局日本が沈没してしまうだろう」なんて言うのでしょうが、そんなことは無いのです。

現在日本には54基の原発があり、その内52基が運転停止中であり、動いているのはたった2基で、それも北海道電力・泊原発と東電・柏崎原発(新潟)であり、ただ今現在の電力状況はチャント維持されているではありませんか。真夏の最大消費時ならどうする?という反論も出てきましょう。その時は我々大衆一人ひとりが「停電」を覚悟し、万一の場合には騒がず「ろうそく」の元で生活しようではありませんか。しかし政府機関・鉄道・病院・警察・消防署などへの優先配電ルートの構築や、会社・工場のコンピュータへの対策としては緊急蓄電装置や自家発電装置などを準備しておけばいいのです。

電気も無い、テレビも無い生活は、私達に新しい何かをこころの中に創り出してくれるかもしれません。