2014年1月13日月曜日

【謹賀新年】 今年は15回も初詣?

新年あけましておめでとうございます。
<合羽橋本通りから>
<浅草寺を降りてくる毛糸帽の私>
今回は年末から年始に掛けて9日間の長いお休みで、それがすべて晴天に恵まれたということで、皆さんもきっと穏やかな正月三が日をお過ごし頂いたことだろう。私も今年の正月は「神社・お寺への参拝」が何と多い年であったかと思う。そこで参拝の記録を書き出しておこう。まずは大晦日の23時半に近所の「澤蔵司稲荷」での“年越し大護摩”に参列して新年のお札を頂き、その後は近所の「伝通院」~「福衆院」(大黒天)~「北野神社」(牛天神)~「源覚寺」(こんにゃく閻魔)をぐるっと回るのが私の恒例の初詣コース。そして3日は訛った体にカツを入れようとワイフと浅草までのウォーキング。ところが「浅草寺」は初詣客でごった返して、お参りには長蛇の列。列に並ぶのを諦め脇からお参りをして、予定していた御徒町の寿司屋に向かってウォーキング。そして5日は町会の初詣に参加、港区芝の“丸山古墳”脇の「丸山随身稲荷」~「東照宮」を回って「増上寺」へ。そこから日比谷通りを渡って新橋駅方面に歩いて「芝大神宮」を参拝した後、都営浅草線で水天宮に出て割烹料理屋でふぐ料理を楽しむ。11日から「成人の日」を含む3連休で息子が来て家でゴロゴロしていたので、よしウォーキングをと12日の朝10時に妻と息子を誘って上野経由で浅草まで歩く。東大のキャンバスを抜け不忍池に出て谷中七福神の一つ「弁財天」で今日最初のお参り、そして「五条天神」~「花園稲荷」を通過して“上野の山”に出ると、国立博物館の前の広場では「日本全国陶磁器展」が行われており、各地の名産磁器陶器を眺めて楽しんだ。上野科学博物館の脇を通り、「輪王寺 両大師堂」を参拝し、それからあの何本もの線路を突っ切る“両大師橋”を渡って、“合羽橋本通り”に出て真正面に「スカイツリー」の塔を眺めながら、浅草に向かう。今年もう2度目になる「浅草寺」なので今度こそはお賽銭を投げようと、大勢の人の流れに迷い込み賽銭箱の前に出てお賽銭を投げながら、今年の安泰を祈願した。
今年に入って社寺に参拝した数を数えてみれば何と合計ですでに15回。大いにご利益がある一年となることだろう?

2013年12月31日火曜日

日本がおかしい、日本人を取り戻そう

遂に2013年最後の日を迎えた。昨日「年賀状を出してはみたがーー」という題でブログをUPしたが、これは安倍総理の突然の靖国参拝という出来事から私の出した賀状上の一言『日本復活』が間違って解釈されてはいけないと慌てて弁明をしたのだが、その弁明を後押ししてくれるような新聞記事を今朝見つけた。『大晦日に考える=日本人らしさよ=』と言う題の東京新聞・社説である。
頭だしの言葉が『“日本を取り戻そう”と安倍首相は言いますが、それよりも“日本人らしさを取り戻そう”と言いたい。そんなことを思った1年でもありました。』そして本文の骨子を要約すると、『今年印象深かった光景のひとつに、俳優高倉健さんの文化勲章を受けたときの会見で、「日本人に生まれて本当によかったーーー」。それを聞いて実に新鮮な感じを受けました。最近聞いた覚えが無かったからです。(略)そして健さんはこうも言いました。「一生懸命やっていると、ちゃんと見てもらっているんだなぁ」。日本人の倫理観を見事なほどに簡潔に述べています。勤勉を尊び、仕事は公正に評価される。うなずきつつ聞いた人もいたでしょう。(略)

日本人論といえば、作家の司馬遼太郎さんは、1991年文化功労者に選ばれたときの会見で、「どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう。昔はちがったろう。ここからぼくの小説を書くことは始まった」と。(略)司馬さんは、明治を書くとことで、無謀な戦争の愚かさや、戦後の土地バブルのようなことは、断じて日本人らしくない、と諭そうとしたのでした。古い日本人をふりかざそうとは思いません。しかしそれは私たちの先人の知恵であり、振り返る価値のあるものです。(略)私たちは経済的に豊かな日本を取り戻すのか、それとも精神的に豊かな日本人らしさを取り戻すか、そこが見るべき岐路です。日本はいま自信喪失状態のようです。しかし政治にせよ、経済にせよ、日本人らしさを忘れているだけなのではないでしょうか。』といった内容でした。
そうです。来年からは私たち「個人」一人ひとりが「日本人らしく」行動して参りましょうよ。3・11のような大災害の時だけ「日本人らしさ」を発揮するのではなく、日常生活に於いても欧米の真似をして「経済の豊かさを求める」のでは無く、「人様のために生きること」で、それが自分の幸せに繋がると信じて行動して参りましょうよ。

 もう一つ寝るとお正月
  お正月には神酒飲んで、テレビを見ながらウトウトしましょう
    早く来い来いお正月

それでは、よいお正月をお迎えください!(写真はインターネット上から拝借しました。深謝)

2013年12月29日日曜日

年賀状を出してはみたがーーー

「ヤバイ!」私が年賀をポストに入れたのが12月23日(天皇誕生日)の夜たった。その時は、来年2月に「日本復活私論=その2=」というテーマで講演をお願いしたいというお話がある勉強会グループから舞い込んでいたので、私としても2014年は本当の「日本復活の元年」にしたいと希望して、殆どの賀状に左のようにメッセージを付けて出状していたのである。
ところが事件は26日に起きたのだ。安倍総理がその日に突然靖国神社を参拝したのである。私は直感的に「マズイ!」と思った。今年年初「アベノミクス」という言葉が世界中を駆け巡り、総理は自分の名前がついてしまった為に平常心を失ってしまったか、自分の目標(最終着地点)の『憲法改正』に向けて、「日本版NSC」、「特別秘密保護法」、「集団自衛権の行使容認」と着々と国会で議案を通して足元を固めて来ていたが、何を思ったか、年末が差し迫って靖国神社を参拝したのである。米国/オバマ、中国/習近平、韓国/朴たちが内政でぐらついているのを機に、丁度総理大臣になって丸1年を記して強気に出たのかも知れぬが、ちょっとばかり読みが浅かったのでは無いのか。年末にそんな行動を取ってくれた事が私にとっても「やばかった!」のだ。
こんな雰囲気の下で、私が賀状に「2014年を日本復活の元年に」と言ってしまっては、あたかも「日本国民のナショナリズムを高揚させ、あの第2次世界大戦突入の時のように持って行く為に憲法を変え、そして戦争ができる国に持って行く」安倍構想が日本復活の第一歩だ、なんて私も同調しているのではと皆さんに取られはしまいかと不安になったのである。
私の言う「日本復活」とは全く政治や経済には関係していない。昨年私が発表した「日本復活」の原点は『Y染色体ハプログループによる研究で日本人は古い特異な人種(D系統)で、人類の根源に近く風土への順応性が高く、自然と共生してゆく種族』だという考えにあり、これからの地球上では日本人の考え方が世界中の人々から理解され、そして真似されて行くと信ずるのだ。私は来年こそ世界中がそんな日本人に気か付く「元年」になって欲しいと願っているのだ。

このような日本の持つ力を「ソフトパワー」と言うそうだ。これに対してアメリカが持つ「軍事力」や「経済力」は他国に政策を変える様に促す為に使える「ハードパワー」だそうである。ハードパワーのように無理やりに従わせるのではなく、味方にする力、それがソフトパワーだとジョセフ・S・ナイは自著『アメリカへの警告』(日本経済新聞社)の中で言っている。つまり私は「D系統の日本人のソフトパワーをそろそろ世界中が気が付き始める」そんな年になって欲しいなぁ、と願っているのだが。

2013年12月19日木曜日

まだ残っていた『針供養』


<特大の豆腐に針>
この12月8日 私の勤めている専門学校で『針供養』が行われました。ファッション校、きもの校の学生さんが日々お世話になった針に対して感謝の意を込めて折れた針や使い切った針をお豆腐に刺して神様の前で供養すると言う儀式です。
産業の近代化にともない、縫製も自動化されてゆくに従って針を使っての手作業が激減して、この針供養も廃って行ってしまいました。今ではこのようにして針を使って縫うことを学ぶ専門学校に於いてひそやかに守られている儀式だそうです。
<皆さんでパレード開始>
この針供養は関西方面では12月8日、そして関東以北は2月8日に行われるそうですが、両日やる地域も有りそのようにはっきりと分かれているわけではなさそうです。しかしそもそもは12月8日が「事納め」の日で「農耕具を納めて休む日」2月8日は「事始め」で「農耕を開始する前の休息日」としてこの「事納めの日」「事始めの日」を「事八日」と呼び針仕事も休む日と考えられていました。そしていつも硬い布を相手に縫っていた針に「ご苦労様でした」という気持で、今日だけはと柔らかな「お豆腐」に針を刺してあげて供養をしていたのです。


この日は学校の近くの神社から神主さんを呼んで厳かに神様の前で裁縫を学んだ大勢の学生達がそれはそれは大きなお豆腐に感謝を込めて針を刺して供養を致しました。その後学生達がその巨大なお豆腐をかごに乗せて担ぎ、学校の周りの商店街をグルリとパレードさせて頂きました。周りの方々が珍しそうに眺めておりましたが、このような習慣を一般の方々に知っておいて欲しいし、今後も末永くこのような習慣が残り続けて欲しいものです。
<商店街をお豆腐を担いでパレード>


2013年12月11日水曜日

「京都の紅葉」を楽しみました

<東福寺:正面が「通天橋」>
<東福寺の見事な紅葉>
不思議なご縁で繫がっているグループが在ります。このグループが誕生したのが11年前の2002年で、現在のメンバーは7人ですが、会社の仲間、取引先同士などで構成されているのですが、その繫がりが単純ではなのです。例えばAさんがBさんを紹介すると、そのBさんは偶然にもCさんとも知り合いだったといったようにそれぞれが不思議な縁で複雑に絡み合っている集まりなのです。またメンバーのお住まいも東京、大阪、京都と各地に広がっています。このグループは【ここや会】とメンバーの一人が命名しましたが、この名の語源は、「メンバー全員が“滅私奉公”を終え“活私奉妻”の立場になったが、どうしらいいか分からない。そうだ、それは“仲間同士”で集まって考え出す場所、それが“ここや!”。そしていずれこの会も“好々爺会”に変貌して行くのだ」と言うことで、会員のそれぞれの繋がりも甚だ面白く、そして会えばそれはそれは楽しい集いとなってしまうのです。ちなみに今年2月のブログでこの会の例年湯河原での「新年会」の様子を「朝寝、朝酒、朝湯が大好きでね!」という題名で紹介しましたが、今回は31回目の集いとなるのですが、京都在の方が12月1(日)~2日(月)、1泊2日の旅「京都の紅葉を訪ねて」という企画を組んでくれたのです。
<智積院にて皆さん>
<保津川下り>
紅葉の綺麗な庭を持つお寺を集中的に廻るという事で、1日目は東福寺から始まり、智積院、養源院、方広寺と廻り、2日目は嵐山の紅葉を船から眺めるという企画で「保津川下り」を体験し、午後には源光庵、光悦寺の美しい庭園を巡るという京都のモミジ紅葉を存分に堪能することが出来た二日間でした。感謝!
<源光庵・悟りの丸窓、迷いの四角窓>

2013年11月25日月曜日

横浜西洋館を訪ね歩く

<アメリカ山公園にてI氏による行程の説明>
11月24日 快晴の日曜日、【歴史と文化を語る会】に参加して、横浜の「山手地区」を歩いて参りました。目的は横浜開国の歴史に触れ、山手の洋館を訪ねるという志向。集合場所はみなとみらい線「元町・横浜中華街駅」に午後2時。しかし初っ端から驚かされました。 この駅を出てエレベータに乗りますと、一挙に「山手外人墓地」のある山の山頂「アメリカ山公園」に出てしまうのです。下から上ってくると大変な場所が今では一挙に天辺に着いてしまうのです。そのアメリカ山公園の芝生にて今日のコースに関する解説が行われました。参加者は全部で12名。今日のコースは「横浜市イギリス館」→「山手111番館」→「山手10番館」→「山手234番館」→「エリスマン邸」→「ベーリック・ホール」と巡り、それから中華街に出て「懇親会」といった行程です。

<横浜イギリス館>
<山手111番館>











<スペイン瓦>
今日のガイドをして頂いているI氏は一級建築士であり伝統技法研究者でもある方で、最初の訪問先「横浜市イギリス館」に関して、「この建物は屋根が“スペイン瓦”で覆われています」の説明に関心を持ちました。そして次の「山手111番館」に来ると「この建屋の屋根には“フランス瓦”が敷かれています」の解説にまた驚き! その違いは左の写真で示して置きましょう。スペイン瓦は円筒の管を半分に割りそれを交互に重ねて行くデザイン、そしてフランス瓦は日本瓦に似ていて重ね葺きに繋げてゆくデザインだそうです。


<フランス瓦>
そして今日最後の「ベーリング・ホール」の建屋も“スペイン瓦”が使われているそうです。
これら洋館は関東大震災ですべて破壊されそうで、横浜を逃げ去った外国人に戻ってもらおうと、日本の建築家(例えば浅香吉蔵)によってヨーロッパ建築を再建したそうです。日本人の匠技は本当に大したものですね!

<壁泉の例>
今日の洋館めぐりでは、もう一つ興味をもった設計があります。それは庭の塀や建屋の壁に張り付いた動物の顔したお面の口から水が出る噴水、これを【壁泉(へきせん)】と言うそうですが、これにも大変に興味を持ちました。

そして打上の懇親会は「横浜中華街」に出て、「横浜婆祖廟」に寄って今日の無事を感謝してお参りをした後、予約先の広東料理のお店で美味しい料理を皆さんで楽しみました。


<山手234番館・設計者は浅香吉蔵>




2013年11月15日金曜日

今年も『日本スリーデーマーチ』を歩く

さぁ!スタートだ
今年も、11月2~4日の3日間、東松山市で開催の『日本スリーデーマーチ』の初日20kmを歩いて参りました。初日20kmは『和紙の里、武蔵嵐山』コースで私に取ってはここ数年2日目に参加していたので、このコースは久しぶりでした。
昨年は35回の節目と言うことで大変に派手に催していたと記憶していますが、それに比べ今回は昨年よりはチョット静かさを感じました。それでも催しの冠に「日本」と付くだけあって、さすが日本一のウオーキング・イベントで、朝の東武東上線「東松山」駅は平日の通勤ラッシュのごとく人でごった返しておりました。スタート点になっている「松山第一小学校」の校庭には、この3日間だけは世界の国々から、そして日本の各地からウォーキングが好きな人々で溢れかえっているのです。


市野川べりに出て
このコースの特徴は、全体的にフラットなコースですが、スタートしての小一時間は住宅街を通り抜ける単調な道で今一つなのですが、市野川の土手沿いに出ると、田園風景に変わり視界がパット開けて気持ちがいいのです。途中「鎌倉街道」に入ると「鬼鎮(きじん)神社」を通過。この神社は鬼を祀っているので節分の時には「福は内、鬼は内、悪魔外」と変わった連叫で有名だそうで、節分祭には近隣から多くの人を集めるそうです。およそ10km歩いた中間点が「菅谷館跡」となり、その公園の芝生にて10時半には早い昼食を取りました。
「菅谷館(すがや・やかた)」とは、平安時代末期から鎌倉時代を生きた「畠山重忠」の住居と伝えられ、その広大な土地には空掘りなどがあるところを見ると「お城」のような設計になっていたようです。畠山氏はそもそも「秩父平家」の系譜を引いていて、その後源頼朝に仕える「御家人」となり、鎌倉入りの際には先陣を努め多くの手柄を立て、頼朝からも厚く信頼されていました。しかし幕府内の勢力争いに巻き込まれ北条氏の陰謀により42歳の若さで二俣川(現在の横浜市旭区)にて討死した、平家と源氏の両サイドを渡り歩いた悲劇の主人公のようです。

昼食後は都幾川の河岸段丘に沿って歩き、「原爆の図」で有名な「丸木美術館」を通過、「唐子中央公園」を抜けて関越自動車道を跨いでスタート地の中央会場に到着したのが午後1時半。早速東松山の名物「焼きトン」と生ビールで乾杯! 毎年の事ながら、すこぶる健康的な一日でした。
丸木美術館・ 『原爆の図』